今日は中秋の名月で満月。この2つが重なるのは8年ぶりのことだそうだ。
昨夜も、ヨガクラスからの帰宅途中にふと空を見上げたらあまりに綺麗なお月さまにとてもほっこりした。
朝の天気予報によれば、「今日はお天気が下り坂なので、もしかしたらせっかくの名月を愉しめないかもしれない。けれど、昨夜見られた人はそれがほぼ満月ですよ。」とのことだった。
ところがどっこい、帰路は曇で隠れていたが、夕食を終えてベランダに出てみたらとても美しく銀色に輝いた満月を拝むことが出来た。今日満月が見えた人はツキがある、そうだ。夫は早速カメラを出して写真を撮っていた。
昨日は墓参りの後、ホテルレストランでランチを摂った。混雑を少しでも避けるために、時間をずらしてお昼を1時間過ぎての予約にしたのに満席だった。予約なしではとても入れなかっただろう。7月の墓参帰りや8月に息子も伴って訪れた時もやはり満席で、予約なしだと1時間以上は待つとのことだった。
コロナ禍できちんと感染防止対策を取っていて、席の間隔が十分にあって、天井が高くて、・・・というレストランを探すと、消去法で本当に少なくなってしまうのだなあ、と思う。だから皆ここのホテルのレストランを予約するのだろう。
ふと見まわせば、敬老の日とお彼岸がバッティングして、特に家族で会食の人が多かったように見えた。周りは中年男性と老年女性、中年女性と老年女性、祖父母と子供夫婦、孫の三世代と思しき人達が殆どだった。
我が家は3人ともシニアだったけれど、隣のテーブルのおそらく母と息子は、夫の観察によれば、施設に入っている母を息子が訪れ、今日は一時外出で一緒にランチ、という感じだったのでは、と。
お母さんと思しき女性は気の毒なほど髪の毛を断髪にされていた。施設でケアが簡単だからそういうことになっているのかな・・・、とちょっと切ない思いで見た。
いくつになったって女性にあれほどの短髪を強いるのは酷なことだと思う。抗がん剤で脱毛したという様子ではなかったし・・・。
向かいのテーブルの母娘も久しぶりに会うような風情。娘は終始マスクをしていて、母親にちゃんとマスクをするように何度も促していた。そして持ってきたお土産のあれこれを説明しながら母親に渡していた。
母と毎日スマホでやり取りしているとはいえ、同居していない我が家も、周りと似たようなものだ。たまの会食が普段の距離を果たしてどれだけ埋めてくれるのだろうか。
40年近く前に書いた卒業論文のテーマは「デモクラシーの政治過程における高齢化の影響とその問題点」だった。当時、団塊の世代が皆75歳以上になる2025年なんて遠い先だと思っていたけれど、今や既に超高齢社会。
65歳以上の高齢者が総人口に占める割合は29.1%、過去最高だそう。ほぼ3人に一人になっている。やっと還暦、の私が高齢者という範疇まで生きられるかどうかは神のみぞ知るではあるけれど・・・。