昨夜も夫と夕食を共にしたが、頭をあげて姿勢を正しているのがまだまだしんどい。食事を摂るだけでとても疲れる。お腹が空っぽになってしまったので、またしても体力消耗である。
夕食後ソファと一体化しながらドラマを視ていたら、急にケチャップべっとりちょっと茹ですぎくらいのナポリタンスパが食べたい、という衝動に駆られる。かといって自分で作る元気は到底ない。ダメ元で夫に言ってみたらトマトソースのアルデンテパスタが出てきた。ほんの一口だけで良かったのだけれど、夫とシェアしてそれなりの量を食べてしまった。いよいよ欠食おばさんタームの始まりか。とはいえ、まだお腹の具合が心配なのでちょっと恐る恐る、である。
今日は母の3か月ぶりの左腎がん経過観察の日。今日で術後2年後相当になる。短期介護休暇を頂き、いつも通り私鉄とJRとバスを乗り継いで病院に向かった。前回も予約時間より大分待ったのだけれど、ひとまず予約時間20分前に到着するバスに乗った。
今日は夏日になり蒸し暑いという予報だったけれど、とんでもない。長袖のワンピースに薄いジャケットを羽織っていても、換気をして冷房が効いている車内では肌寒いほどだった。
予定通り病院に到着する。手指の消毒と自動検温器、マスクチェックを経てエスカレーターで2階の泌尿器科へ。母の姿を見つけ、隣に座る。既に母は採血と採尿を済ませ、診察室でその結果を伺うだけになっている。
母は私が隣にいるとどうしてもお喋りを始めてしまうので、先日読んだ佐藤愛子さんの文庫本を渡す。すると「これ、読みたかったの。」とのこと。良かった。私も読みかけの新書(吉見俊哉さんの「大学は何処へ 未来への設計」(岩波新書))を持って本格的に待ち時間潰し。
泌尿器科のS先生はとにかく丁寧で、なかなか診察が進まない。途中「30分遅れ」と電子掲示板に出たけれど、その段階で既に1時間遅れ。呼ばれたのは予約時間の1時間半をかなり過ぎていた。
中待合いに入ってからも遅々として呼ばれず。どなたもいなくなって漸く母の番、と思ったら、前の方が戻ってきてまた肩透かし。
ようやく診察室へ。造影CT結果をPCの画像で見せて頂く。肺も肝臓も再発転移の兆しはなし。部分切除した左腎臓も問題なし。採血も採尿も問題なしだ。プリントアウトして頂いた結果表には一つずつHやLの値があったけれど、HもLも複数並んでいる私の採血結果よりもよほど良い。米寿の母、立派なことである。次回は3か月後、採血・採尿だけでOKとのこと。
昨年卒業した直腸がんの6年目もCT画像を見る限り心配がないことが分かって無事終了。
いつも通り睡眠導入剤と痛み止め、酸化マグネシウムを処方して頂く。今日は助け舟を出さずにとりあえず自分でリクエスト出来ていた。「夜中に3度お手洗いに起きる。なかなか熟睡出来ない。」と訴えているが、ベッドに入る時間が早すぎるし、目が覚めてからずっとベッドに長くいすぎるような気もする(8時間ぐっすり眠れる80代はいないと思う。)。今回も、最初に提示された次回受診日が私の通院予定日とバッティングしたので、1週間ずらして頂く。
御礼を言って席を立ち、泌尿器科の受付で終了を告げて、1階に降りて会計を待つ。会計はすんなりと済み、病院を出られたのは私が病院に到着してから2時間半近く経ってからだった。
その後、場所を移動して、遅いランチを一緒に。母は見事に別腹のスイーツまでしっかり平らげる。大したものである。広い4人テーブル席にはす向かいに座るように案内してもらえた。先日あれこれトラブったスマホの初期設定を見せてもらうと、なぜかまた初期設定が変わっている。うーん、なぜ触るのか。とりあえず元通りとまではいかなかったけれど、なんとかそれに近い形にして渡す。もう触らないから、と言いつつ、やはり気になる玩具であり、興味があることには変わりなさそうである。
というわけで、今日も昼食を挟み1日がかりのお務めだった。付き添いの私自身がまだ本調子ではなかったけれど、無事にお務めが終わってほっとした。
ランチを終えて母と別れ、再び電車とバスを乗り継いで帰宅した。地面が濡れていて雨が降ったようだ。肌寒い。このままもう暑くなることはないのだろうか。暑ければ暑いと文句を言い、涼しければ寒いと文句を言うのだから、なんとも勝手なことだけれど。
自宅最寄り駅に到着したら、今にも降りそうなお天気だったけれど、なんとか降られずに済んで助かった。帰宅後は生協のお届け品をエッチラオッチラ取り入れる。母からは無事帰宅したという留守電が入っており一安心。こちらは普段より少しだけ早めの帰宅となった。
夫は、明日の休務日に人間ドックの予定で、夕飯は軽くて良いというので、それに乗っかって適当な夕食で済ませることに。
明日はWeb会議が連続の日である。