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ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2021.6.17 祝・還暦 いつもと同じ一日が迎えられる幸せ

2021-06-17 21:10:17 | 日記

 到底迎えることが叶わないだろうと思っていた60歳になった。
 朝のうちは雨が降っていたが、午前中には止み、昼前には青空が広がる汗ばむ陽気となった。やはり晴れ女である。記憶にある限りこの日が一日中雨降りという日はなかったように思う。

 さて、還暦である。赤いちゃんちゃんこである。
 自分が60歳。いや~こんな頼りないのに堂々の60歳。確か私が就職した昭和60年に定年制度が敷かれたのではなかったか(調べてみたら昭和60年3月31日に定年制施行だった。)。
 当時女性で60歳まで働き続ける人は公務員くらいしかなかったように思う。

 男女雇用機会均等法も制定はされたけれど、施行前だった。民間企業で先を走る同性のロールモデルがいない中、総合職として太く短く男並みに馬車馬のように働くか、公僕となって細く長く定年まで勤めあげるかという究極の二者択一。
 そんなに体力強健でもなかった私は、健康に気を付けながら定年まで地道に働ける職場、仮に結婚して家庭を持たずとも、自分の給料だけで口を糊することが出来る職場ということで就職したのだった(結果としてそう細かったわけでもなかった。)。

 何度も繰り返しているけれど、もうすぐ勤続20年という43歳でステージⅠの左乳がん初発、それが46歳で両肺、胸骨、鎖骨、縦郭リンパ節の多発転移となって再発したとき、数年先の未来が描けなくなった。ステージⅣの10年生存率として示されたのは5パーセントという時代だった。
 だからこそあと5年くらいか、せめて50歳までは、という覚悟をした。中学受験を終えたばかりの息子の高校卒業式までは生き永らえないかもしれない、と。

 ところがどっこい高校卒業式、大学入学式に参列し、成人式も終え、大学に至っては1年余計にお世話になってその卒業式にも参列した(あと1年留年していたらコロナ禍で卒業式は中止だったから、滑り込みセーフだった。)。今や社会人3年生、25歳(早生まれなので来年1月末には26歳)になった息子である。
 この先、息子のパートナーや孫の顔を拝みたい?いやいや、そんなことはもう神のみぞ知る世界だろう。

 この間ずっと化学療法室にお世話になってきた。治療を休んだ期間はほぼ、ない。楽な道のりではなかった。このブログは2009年から綴り始め、今年で12年になる。患者会に入ってからの記録であるから、最初の抗がん剤だったタキソテール治療については直接触れていないけれど、それ以降はほぼ漏らさず全て記録している筈だ。
 使った薬は10数種類に及び、今は新薬エンハーツのお世話になっているが、そろそろその効き目も怪しくなってきた。タキソテール、EC、ハラヴェン、エンハーツと脱毛することも4回。
 いよいよ使ったことのない薬はタキソールのみとなり、次回以降この薬を使うのか、それともこれまで使った薬のリバイバルで行くか、まだ思案中である。

 ともあれ、誕生日だからといって特別なことはないのは例年の通り。普通に仕事をして終業後は普通にヨガクラスに行って、帰ったら夫が食事を作って待っていてくれる!(これについては夫の休務日に本当に感謝している。)
 これ以上何を望むべくかという幸せな一日である。

 お読み頂いている皆様へ

 ということで、自分でもびっくりしつつ60歳になりました。60歳、もっと落ち着いてそれなりの威厳があって・・・なんて思っていましたが、とんでもない。これは50歳を迎えた時もそうでした。
 大人の女性50歳、なんてことも全くありませんでした。まあ、これが私なりの60歳ならそれはそれでよしとしましょう。
 60歳、3度目の成人式という節目の年をこうして迎えられた奇跡のような幸せを噛み締めながら、また明日から何気ない日々を綴っていけたら、と思います。
 LINEやFacebook等で沢山の誕生日のメッセージも頂戴いたしました。この場をお借りしてお礼を申し上げます。どうもありがとうございます。
 これからも細く長くしぶとく、頑張り過ぎずに頑張ってまいります。引き続きどうぞよろしくお願いいたします。
コメント
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