今日でゼローダを丸々2週間休薬したことになる。
その後の体調のことを少し。
毎食後のミヤBM錠服用のおかげでお腹の方はすっかり普通になった。下痢も便秘もない、普通の排泄が出来ることの尊さと有難さを思う。
口内炎と唇の状況も大分改善した。まだ完璧ではないけれど、一箇所の荒れた部分を残して膿もなく、出血もしなくなった。鼻周りの切れも良くなり、鼻をかんでも鼻血が出なくなった。粘膜が復活しているのだろう。ワセリンをタップリ塗って、昨朝からはケナログ軟膏をお休みしている。あまり塗り続けるとカビが生えるとも聞いて、ちょっと怖いので。
それにつれて、食欲も旺盛になってきた。
お腹が空いて、しっかり食べて、きちんと排泄できて、よく眠れる。結局のところ、「生きていく」ということの基本は快食快便快眠、これに尽きるのだ、と改めて思う。
それでも、一日働いて帰ると、まだ普段より疲れ易い。そして眠くてたまらない。夕食を終えてビデオを見ながらすぐウトウトしてしまう。
一方、手足症候群は相変わらず厄介である。ちょっとした圧がかかるだけで出る焼け付くような酷い痛みはなくなったものの、常時ビリビリチリチリとした痺れるような痛みから解放されないでいる。AH(アンテベートとヒルドイド)クリームを寝る前に手足がベタベタになるまで塗り、手袋をはめて靴下を履いて眠る。翌朝少し良くなっているな、と思うけれど、水仕事をすると元に戻って、途端にゴワゴワシワシワして赤くなる。
手を使わないわけにいかないし、水に濡らさないわけにはいかないから、仕方あるまい。あと2週間の休薬でどこまで回復するかだけれど、祈るしかない。色素沈着は相変わらずというか、ますます小汚い茶色に染まっている。今は仕事中も白手袋をしたままで窓口にも立っているけれど、仕事柄それが許されない人はこの手指を人前に出すのはちょっと辛いだろうな、と思う。足は見せなくて済むけれど、夏はサンダル履きも躊躇するだろう。
夕食の支度と洗い物を嫌な顔ひとつせずに続けてくれる夫には頭が上がらない。すっかり手際もよくなり、レパートリーも増えた。もともと料理が好きでもないし得意でもない私より、ずっと任せて安心!なレベルである。毎日「凄いね」「美味しいね」「ありがとう」を連発中だ。
一足先に帰宅後、一人でひっくり返っているわけにいかないから、ご飯だけ炊いて、洗濯干し、畳み、お風呂洗い等、手袋をしたままでも出来ることをこなしながら夫の帰りを待つ日が続いている。もちろん一人の時は水仕事をしないで済む適当な夕食で済ませている。
ということで、どうなることやらと思った絶不調の1週間を超えて、間違いなく回復に向かっているのは喜ばしいことだ。2週間後にゼローダ内服を再開した時に、どのくらいのタイミングで副作用が出てくるかはやってみないことにはわからないけれど。
1月末に、元アナウンサーの有賀さつきさんが亡くなっていたという報に接した。52歳の急逝。ご本人の遺志で死因は公表しないとあったが、もしや同じ病気ではと感じていた。そして乳がんだったという報道があった。
80代のお父様と15歳の一人娘さんにさえ病気のことは伏せ、シングルマザーとして一人で闘病されていたという。介護専念のため、と年内に仕事の始末もつけておられていたそうだ。ご本人としては覚悟の入院だったのだろうけれど、検査入院でそろそろ退院かと思っていた矢先の訃報だったというお父様の弁に、胸が潰れそうになる。
痩せたのはダイエット、かつらもお洒落の一環と周りの人たちには語っていたという。綺麗な方だったから、こうして一人で逝くことは彼女の美学だったと推察するが、心も身体も置いてきぼりのままのお父様と娘さんを思うと、同じ患者として気持ちは複雑だ。家族がやり場のない悲しみを消化するのには時間がかかるのではないか。
自分が逝った後のことを考えて、出来る限りきちんと準備をしておくこと、家族に伝えておくべきことは折を見て出来る限り伝えておくことはやはり必要なのではないか、と今の私は思っている。
その後の体調のことを少し。
毎食後のミヤBM錠服用のおかげでお腹の方はすっかり普通になった。下痢も便秘もない、普通の排泄が出来ることの尊さと有難さを思う。
口内炎と唇の状況も大分改善した。まだ完璧ではないけれど、一箇所の荒れた部分を残して膿もなく、出血もしなくなった。鼻周りの切れも良くなり、鼻をかんでも鼻血が出なくなった。粘膜が復活しているのだろう。ワセリンをタップリ塗って、昨朝からはケナログ軟膏をお休みしている。あまり塗り続けるとカビが生えるとも聞いて、ちょっと怖いので。
それにつれて、食欲も旺盛になってきた。
お腹が空いて、しっかり食べて、きちんと排泄できて、よく眠れる。結局のところ、「生きていく」ということの基本は快食快便快眠、これに尽きるのだ、と改めて思う。
それでも、一日働いて帰ると、まだ普段より疲れ易い。そして眠くてたまらない。夕食を終えてビデオを見ながらすぐウトウトしてしまう。
一方、手足症候群は相変わらず厄介である。ちょっとした圧がかかるだけで出る焼け付くような酷い痛みはなくなったものの、常時ビリビリチリチリとした痺れるような痛みから解放されないでいる。AH(アンテベートとヒルドイド)クリームを寝る前に手足がベタベタになるまで塗り、手袋をはめて靴下を履いて眠る。翌朝少し良くなっているな、と思うけれど、水仕事をすると元に戻って、途端にゴワゴワシワシワして赤くなる。
手を使わないわけにいかないし、水に濡らさないわけにはいかないから、仕方あるまい。あと2週間の休薬でどこまで回復するかだけれど、祈るしかない。色素沈着は相変わらずというか、ますます小汚い茶色に染まっている。今は仕事中も白手袋をしたままで窓口にも立っているけれど、仕事柄それが許されない人はこの手指を人前に出すのはちょっと辛いだろうな、と思う。足は見せなくて済むけれど、夏はサンダル履きも躊躇するだろう。
夕食の支度と洗い物を嫌な顔ひとつせずに続けてくれる夫には頭が上がらない。すっかり手際もよくなり、レパートリーも増えた。もともと料理が好きでもないし得意でもない私より、ずっと任せて安心!なレベルである。毎日「凄いね」「美味しいね」「ありがとう」を連発中だ。
一足先に帰宅後、一人でひっくり返っているわけにいかないから、ご飯だけ炊いて、洗濯干し、畳み、お風呂洗い等、手袋をしたままでも出来ることをこなしながら夫の帰りを待つ日が続いている。もちろん一人の時は水仕事をしないで済む適当な夕食で済ませている。
ということで、どうなることやらと思った絶不調の1週間を超えて、間違いなく回復に向かっているのは喜ばしいことだ。2週間後にゼローダ内服を再開した時に、どのくらいのタイミングで副作用が出てくるかはやってみないことにはわからないけれど。
1月末に、元アナウンサーの有賀さつきさんが亡くなっていたという報に接した。52歳の急逝。ご本人の遺志で死因は公表しないとあったが、もしや同じ病気ではと感じていた。そして乳がんだったという報道があった。
80代のお父様と15歳の一人娘さんにさえ病気のことは伏せ、シングルマザーとして一人で闘病されていたという。介護専念のため、と年内に仕事の始末もつけておられていたそうだ。ご本人としては覚悟の入院だったのだろうけれど、検査入院でそろそろ退院かと思っていた矢先の訃報だったというお父様の弁に、胸が潰れそうになる。
痩せたのはダイエット、かつらもお洒落の一環と周りの人たちには語っていたという。綺麗な方だったから、こうして一人で逝くことは彼女の美学だったと推察するが、心も身体も置いてきぼりのままのお父様と娘さんを思うと、同じ患者として気持ちは複雑だ。家族がやり場のない悲しみを消化するのには時間がかかるのではないか。
自分が逝った後のことを考えて、出来る限りきちんと準備をしておくこと、家族に伝えておくべきことは折を見て出来る限り伝えておくことはやはり必要なのではないか、と今の私は思っている。