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ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2018.2.4 立春・・・13年生存率100%!

2018-02-04 20:29:10 | 日記
 ここ数年、立春の日はこの題名で書き続けている。昨年は12年生存率100%、一昨年は11年生存率100%・・・と。
 初発手術から数えて、今日で丸13年が経過。他の部位のがんは5年間無事に過ごすことが出来ればひとまず卒業だが、乳がんという病はその期間が倍の10年間。それまで何もなく過ごすことが出来れば、目出度く“乳がん体験者、サバイバー”となれたわけだ。

 けれど、しつこく今年も書くのだけれど、現実は3年経たずして両肺、鎖骨・胸骨、縦隔リンパ節等に多発転移判明。卒業どころか、化学療法主体の本格的かつエンドレスな治療が始まり、卒業は望むべくもない生涯患者となってしまった。
 そして10年。言葉に尽くせないほど色々なことがあった。それでもこうして今日まで生かされている。あれこれ悩んで立ち止まっては落ち込んできたけれど、瞑想ヨーガとの出逢いでここ2,3年は、随分心穏やかに過ごすことが出来ている。改めて感謝だ。

 これまた何度も書いていることだが、再発治療が始まってすぐの頃は、10年先の事など想像すら出来なかった。当時の10年生存率は5%。せめてその半分の5年は生きることが叶うだろうか・・・、とすれば息子の成人式はおろか、高校の卒業式に出席することさえ保証の限りではない、と覚悟した。

 その息子、先日無事22歳の誕生日を迎えた。4月からもまだ当分大学生であることが決まっている。というわけで、まだ学費も下宿代も親がかり、当分親業卒業というわけにはいかない。とはいえ、昨年も書いたように、再発当初のように、子どもが何歳になるまでは、いついつまでは、という切迫感が大分薄らいできているのも事実。
 20歳を超えた一人の成人男性として、親がかりではなく自分で切り開いていくべきだ、と思うからだ。

 こうして今日まで命を繋げることが出来たこと、それを暖かく寄り添いながら支えてくれた方たち、さらには今まで通り働き続けたいという私の贅沢な希望を受け容れ、叶えてくださった職場の方たち、全ての方たちと私を取り巻くあらゆる環境に感謝してもしすぎることはない。素直に頭(こうべ)を垂れている。

 一昨年は、3年前の2月末から始めたカドサイラ(T-DM1)=数多くの患者仲間たちがこの薬を使わずして死ねないと言っていた薬だ=を減量して、副作用となんとか折り合いをつけることが出来ていたが、それもそろそろチェンジをと言われていた。そして去年は2年近くお世話になったカドサイラの薬剤変更。やはり1月末からジェムザールにチェンジした。その途端、初回で早くも好中球ダウン。いきなり休薬という想定外の事態に陥った。

 そして、今年。4年前に10日でギブアップしたゼローダに再び登場頂いて、ハーセプチンとの併用となったが、今度こそと頑張ってみたもののやはり13日半でドクターストップ。休薬後1週間の下痢や手足症候群の酷かったこと。本当に辛かった。
  
 それでも年末年始は親子3世代で、厄除けと買い物旅行に出かけたり、年明けには患者会で瞑想ヨーガクラスの講師を務めさせて頂いた。ゼローダ内服開始にもかかわらず、結婚28周年記念で上海旅行にも出かけた。相変わらずあれこれトライしている。好きなことをしている間は再発患者であることを忘れる。50代も折り返しを超え、還暦も遠い未来でもなくなってきた今もなお、挑戦してみようと思うことがある-こうした気持ちになれることが本当に有難く、愛おしいことだと思う。

 明日から乳がん14年生。そして再発11年生。再発10年という大きな節目を経過したところで、また新しい1年を歩き始めよう。これからも頑張りすぎずに頑張って引き続き前を向いて歩いていこう。

 今日は午前中、先週体調不良でやむなくキャンセルしたWさんのサロンへ。ゲルマニウム温浴は手足の状況を考えると厳しいので、ヘッドマッサージをオプションでお願いした。壊れたDNAを修復してくれるというソルフェジオ周波数528HzのBGMが流れる中、凝りに凝った肩や背中、首をよくよくほぐして頂いて、目の下のクマも顔色も大分よくなった。
 午後は昨年も参加した新聞社主催の「ネクストリボン~がんとの共生社会を目指して~」というシンポジウムの招待状を頂いていたのだけれど、都心まで往復する元気がなく、人混みで流行中のインフルエンザに罹患しては大変だし、と申し訳なくも無駄にしてしまった。
 お昼は駅ナカカフェで簡単に済ませ、午後はハタヨガビギナーのクラスにも参加。昨日より心地よく汗をかいてきた。手足の状況はまだまだだけれど、少しずつ朝食の支度や洗濯など出来ることをやっている。どうしても出来ないことは夫の助けを借りながら、これからもゼローダと折り合いを付けながら毎日を送っていくのだろう。

 昨年の暮れにも大切な患者仲間を見送った。ステージ4、11年生の私にとって闘病の終わり、すなわち生の終わりを迎えることは、決して他人事ではない。常にそういう畏れとともにある。だからこそ、限られた日々を私なりに精一杯大切に送りたい、と改めて思う立春の夜である。
コメント (2)
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