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ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2014.1.19 しこり摘出から9年、ゼローダ・タイケルブスタート

2014-01-19 18:51:18 | 治療日記
 2005年の1月19日、左胸にあったしこりを摘出した。
 午後休を取って局所麻酔の日帰り手術。もし悪性だったら観念して入院手術します、ということだった。翌日だけは消毒のため仕事を休んだが、翌々日からは普通に働いた。
 当時の主治医(外科医)曰く、MRIやCTを撮っても、結局、病理検査をしないと白黒ははっきり判らないから、と。小さいしこりだし、ちゃんと取れるかわからないと生検もしなかった。
 とにかく、さっさと腫瘍だけ取ってもらって良性ならそれでおしまい、のつもりだった。
 仕事はとんでもなく忙しく、年末年始も出勤し、手術の後も外せない大きな仕事が入っていた。さすがに9年前のことだし、幸せな思い出ではないからだんだん記憶は薄れつつあるが、局所麻酔だったから、電気メスで皮膚の焦げる臭いや皮膚が切られる感覚だけはやけに生々しく覚えている。外科医はくりぬいたしこりを手に取って私に見せつつ、「やはり硬いので・・・(がんでしょう。)」と繰り返していたが、恥ずかしいことに当時の私は硬いしこりはがんである、ということすらはっきりと解っていなかった。

 そう、それでおしまいどころか、この日を境に長い長い患者ライフが約束された。
 悪性が判明し、有無を言わさず2月初めに追加切除手術が予約され、あれよあれよ・・・と乳がん患者に。もちろん、ステージ1の低リスクとの診断を信じ、放射線治療が終わって職場復帰し、ごくごく普通の生活をしていたつもりだったが、その後ノルバデックスの副作用とされる卵巣嚢腫やら子宮筋腫やらで開腹手術を挟み、3年経たずして再発・転移し、それからもう6年になる。

 術後補助治療のノルバデックスから始まって、今までに使ったホルモン剤は、フェマーラ(+ナサニール)、アロマシン、ヒスロンH、フェアストン、そして、つい先月までのフェソロデックス。もはやオールスターで使い切ったことになる。
 HER2強陽性だから、分子標的薬のハーセプチンには5年半お世話になっているし、額骨壊死のために春以降中止したゾメタも5年半使った。そして、抗がん剤はタキソテール6クールから始めて、ナベルビン31クール(1年9か月)、EC4クール。
 今朝から飲み始めたゼローダは4つ目の抗がん剤、就寝前に飲む予定のタイケルブは2種類目の分子標的薬。合計12種類である。
 
 気持ち悪くなったら嫌だな・・・と、どうも食欲が減退している感じ。今のところは、さすがに2週間分、3週間分の薬液を一度に入れる点滴と違って、いきなり副作用が出てくる感じでもなさそうだが、この後タイケルブを飲んだら果たしてどうだろうか。
 今の季節、ただでさえ乾燥しているから、水仕事や書類仕事をすると、あっという間に手荒れが酷くなるのに、さらに手足症候群が加わったら、仕事でパソコンも使えなくなったら・・・と、戦々恐々として予防のために、処方された保湿ローションを使い始めた。これがなかなかいい感じだ。履ける靴もまた限られてくるだろうから、もう過去の“イメルダ”のように、細身のお洒落な靴を買うのは我慢しなければ。

 さて、センター試験は無事終了。今日も風が吹きすさぶ寒い一日だった。受験生の皆様、大変お疲れ様でした。
 夫も私もなんだかずっと落ち着かなく、何をしているわけでもないのにがっくり消耗した感じ。
 “忘れ物大王”(夫)の血が濃く流れている息子は昨日、帰宅するまで自分がお弁当や水筒を入れていた手提げ一式を教室に忘れてきたことに気づかなかった。「どうしたの?」と訊くと、「あれ、置いてきたのかな~、ないね。」と。慌てて試験会場の大学に電話。確保して頂き、今朝は会場の受付に取りに行き、同級生に笑われるというオマケつきだった。
 入試はまだ始まったばかり。これから毎回、試験の翌日忘れ物を取りに行くわけにはいかないのだから!と言ったのだけれど、どこまで身に沁みていることやら。「手のかかる子ほど可愛いものでしょ。お母さん、この僕を置いて死ねないよね。」とおっしゃるのだから、なんともトホホなことである。

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