あけぼの会HPで「9月は『みんなで考える:患者から見て、どうしても必要なのか?』をテーマにしました。 みんなで考えましょう。患者のためというが、本当は誰のため? 3回目は『抗がん剤治療はどこまでも続けるべきなのか』(完治はないとわかっても最後まで治療することの意義)」というお知らせを見つけ、早速申し込んだ。
完治はないとわかっても最後まで治療することの意義、このことを自分できちんと納得していなければ今後エンドレスの治療を継続していく上で、気持ちが折れてしまうこともあるだろうから。
プチ虹のサロンの方たちも興味のあるテーマということで、「ランチをしてから一緒に出席しましょう」ということに。5月に初めて集まって以来、6月にSさんのご自宅が火事にあわれたり、Kさんのお母様が倒れられたり、と災難続きのメンバー。4人が4ヶ月ぶりにようやく顔を揃えることが出来た。
思えば私もこの4ヶ月間いろいろあった。アロマシンが効かなくなり、最後のホルモン剤ヒスロンHに望みを託したが、わずか2ヵ月半で内服打ち切り。ナベルビンを始めた矢先にポートの不調で皮下漏出のトラブル。骨髄抑制で好中球が低下し、今だに2回目以降の投与が出来ない。そして先週はポートの再設置手術で一泊入院。
昨日の夕方で手術から72時間経過、ということで夜、入浴した。こわごわガーゼをはがしてみた。3箇所の縫い傷はまだ赤く盛り上がっており、周辺部は広範囲に内出血している。また、これまでカテーテルが入っていた血管と思われる部分には、くっきりとミミズ状の赤黒い筋。いつも手術の後には傷跡を見て(こんなになっちゃったんだ・・・)と思うけれど、今回もしかり。退院後の保護はガーゼつきのテープ1枚ではあったが、外したらなんだかとても不安で、都心まで行くのに人とぶつからないように右胸をかばい、知らぬ間に猫背で歩いている自分が哀しい。
本当は昨日、懇談会の後に美容院に行ってきちんとカットしてもらい、かつらを外してきました、と言って皆さんにお会いするつもりだったが、さすがに傷口がひきつれたまま仰向けでシャンプー台にあがる元気がなかったので、キャンセル。抜糸後の来週末に再度予約した。
今朝は出がけに、息子の態度と嘘に夫の大きな雷が落ち、非常に険悪なムードで家を出た。せっかくの爽やかな青空、秋晴れの朝だったのに、気持ちはちょっと憂鬱だった。
ランチではそれぞれの近況報告。あっという間に時間が経ち、4人揃って開始時間10分前に会場へ入った。
入り口で早速事務局Tさんのお顔を見つけ、ご挨拶。今日の報告書を書くことの依頼があったので快諾。
定刻どおり13時にTさんの挨拶で開始。会長さんは高知の講演会からの帰途にあり、今、羽田からこちらに向かっている、とのこと。ほどなくして黒いお洒落な帽子をかぶって颯爽と登場された。高知では家族性(遺伝性)乳癌のお話をされ好評を博したとのこと。
また、ハーセプチンやフェマーラ、ゼローダを製造している中外製薬の方のご紹介もあった。
さて、今月は会長さんの発案で「ドクター抜きで患者の本音を話そう」という試みなのだそうだ。初発治療は完治する可能性があるから、やれるならしっかりやった方が良いが、再発は完治が難しいので、どういう治療をするかはきわめて個人的な問題になる、とTさんがお話を始める。そして御自身が卵巣転移の手術を控えておられることも紹介された。たとえば初発の抗がん剤と違って、ハーセプチン治療は高価でエンドレス。なるべくずっと投与したほうがよいが、経済的な事情等で一時的にでも止めるなら、悪くなる可能性も覚悟して納得の上でと医師は言う、とも。
定員50名で40名強の方が参加しておられたが、挙手の結果、再発治療中が2/3以上。ホルモン剤治療中7、内服抗がん剤7、点滴治療中11だった。
なんと、そこで会長さんから指名があり、私に前に出てこれまでの治療経過を話すように、とのこと。
私はこうして書くことは好きだが、人前で話すことはどうも苦手である。が、そうも言えず前へ出て、2005年2月の初発から術後治療、卵巣のう腫摘出手術後に痛みを感じるようになってから再発転移確定、再発後、セカンドオピニオンを取得した後での転院、その後のホルモン治療、抗がん剤治療等を順を追ってお話した。つい水曜日のポート再設置手術まで。30分ほどお話しただろうか。その場で会場の皆さんからの質問にお答えし、開始1時間10分ほどで前半終了の休憩。
後半は、会長さんから一人ひとり出席者が名前を呼んでもらい、顔を確認して頂く。和歌山から出席されていた方は17年前に初発、4年後に骨転移、その後肝臓と肺に転移されておられるという。
高知でも、会長さんはこの「あけぼのハウス」の活動紹介をされ、患者対医師でない患者同士の集まりについていろいろな方から興味をもたれた、とおっしゃっていた。こうして患者の真実の声、生の声を聞くと、普通の人が難しい医学をきちんと受け止め、きつい治療を続け、副作用に耐えている。凄いことだと思う。今日の様子をビデオに録画しておくのだった、との感想を述べられた。
その後、来月のハウスの開催予定日の連絡があり、今後どんなテーマで開催してほしいか、会場からの意見や希望を募った。予定終了時間の16時より30分前にいったん解散。あとは個別相談やフリートークをどうぞ、となった。私のブログを読んでくださっている方たちからも声をかけられ、とても励みになった。
会場最寄り駅や乗り換え駅で、「10月9日の大会でまたお会いしましょう。」とご挨拶しながらメンバーたちと別れた。途中ターミナル駅で、明日から息子がお世話になる義妹宅へのお土産類等を購入し、帰宅した。最寄り駅ではなんと雨が降り出しており、日傘が雨傘に変身した。
夕食は息子の好きなお寿司をとってしまったので、帰宅後すぐに届き、簡単に済ませた。そしてデザートはKさんが作ってくださった栗の渋皮煮に舌鼓。
明日からまた、1週間が始まる。水曜日には抜糸。傷も落ち着き、ナベルビンも無事に投与できるよう体調を整えたいと思う。
週末は早くも10月だ。今年もピンクリボン月間がやってくる。
完治はないとわかっても最後まで治療することの意義、このことを自分できちんと納得していなければ今後エンドレスの治療を継続していく上で、気持ちが折れてしまうこともあるだろうから。
プチ虹のサロンの方たちも興味のあるテーマということで、「ランチをしてから一緒に出席しましょう」ということに。5月に初めて集まって以来、6月にSさんのご自宅が火事にあわれたり、Kさんのお母様が倒れられたり、と災難続きのメンバー。4人が4ヶ月ぶりにようやく顔を揃えることが出来た。
思えば私もこの4ヶ月間いろいろあった。アロマシンが効かなくなり、最後のホルモン剤ヒスロンHに望みを託したが、わずか2ヵ月半で内服打ち切り。ナベルビンを始めた矢先にポートの不調で皮下漏出のトラブル。骨髄抑制で好中球が低下し、今だに2回目以降の投与が出来ない。そして先週はポートの再設置手術で一泊入院。
昨日の夕方で手術から72時間経過、ということで夜、入浴した。こわごわガーゼをはがしてみた。3箇所の縫い傷はまだ赤く盛り上がっており、周辺部は広範囲に内出血している。また、これまでカテーテルが入っていた血管と思われる部分には、くっきりとミミズ状の赤黒い筋。いつも手術の後には傷跡を見て(こんなになっちゃったんだ・・・)と思うけれど、今回もしかり。退院後の保護はガーゼつきのテープ1枚ではあったが、外したらなんだかとても不安で、都心まで行くのに人とぶつからないように右胸をかばい、知らぬ間に猫背で歩いている自分が哀しい。
本当は昨日、懇談会の後に美容院に行ってきちんとカットしてもらい、かつらを外してきました、と言って皆さんにお会いするつもりだったが、さすがに傷口がひきつれたまま仰向けでシャンプー台にあがる元気がなかったので、キャンセル。抜糸後の来週末に再度予約した。
今朝は出がけに、息子の態度と嘘に夫の大きな雷が落ち、非常に険悪なムードで家を出た。せっかくの爽やかな青空、秋晴れの朝だったのに、気持ちはちょっと憂鬱だった。
ランチではそれぞれの近況報告。あっという間に時間が経ち、4人揃って開始時間10分前に会場へ入った。
入り口で早速事務局Tさんのお顔を見つけ、ご挨拶。今日の報告書を書くことの依頼があったので快諾。
定刻どおり13時にTさんの挨拶で開始。会長さんは高知の講演会からの帰途にあり、今、羽田からこちらに向かっている、とのこと。ほどなくして黒いお洒落な帽子をかぶって颯爽と登場された。高知では家族性(遺伝性)乳癌のお話をされ好評を博したとのこと。
また、ハーセプチンやフェマーラ、ゼローダを製造している中外製薬の方のご紹介もあった。
さて、今月は会長さんの発案で「ドクター抜きで患者の本音を話そう」という試みなのだそうだ。初発治療は完治する可能性があるから、やれるならしっかりやった方が良いが、再発は完治が難しいので、どういう治療をするかはきわめて個人的な問題になる、とTさんがお話を始める。そして御自身が卵巣転移の手術を控えておられることも紹介された。たとえば初発の抗がん剤と違って、ハーセプチン治療は高価でエンドレス。なるべくずっと投与したほうがよいが、経済的な事情等で一時的にでも止めるなら、悪くなる可能性も覚悟して納得の上でと医師は言う、とも。
定員50名で40名強の方が参加しておられたが、挙手の結果、再発治療中が2/3以上。ホルモン剤治療中7、内服抗がん剤7、点滴治療中11だった。
なんと、そこで会長さんから指名があり、私に前に出てこれまでの治療経過を話すように、とのこと。
私はこうして書くことは好きだが、人前で話すことはどうも苦手である。が、そうも言えず前へ出て、2005年2月の初発から術後治療、卵巣のう腫摘出手術後に痛みを感じるようになってから再発転移確定、再発後、セカンドオピニオンを取得した後での転院、その後のホルモン治療、抗がん剤治療等を順を追ってお話した。つい水曜日のポート再設置手術まで。30分ほどお話しただろうか。その場で会場の皆さんからの質問にお答えし、開始1時間10分ほどで前半終了の休憩。
後半は、会長さんから一人ひとり出席者が名前を呼んでもらい、顔を確認して頂く。和歌山から出席されていた方は17年前に初発、4年後に骨転移、その後肝臓と肺に転移されておられるという。
高知でも、会長さんはこの「あけぼのハウス」の活動紹介をされ、患者対医師でない患者同士の集まりについていろいろな方から興味をもたれた、とおっしゃっていた。こうして患者の真実の声、生の声を聞くと、普通の人が難しい医学をきちんと受け止め、きつい治療を続け、副作用に耐えている。凄いことだと思う。今日の様子をビデオに録画しておくのだった、との感想を述べられた。
その後、来月のハウスの開催予定日の連絡があり、今後どんなテーマで開催してほしいか、会場からの意見や希望を募った。予定終了時間の16時より30分前にいったん解散。あとは個別相談やフリートークをどうぞ、となった。私のブログを読んでくださっている方たちからも声をかけられ、とても励みになった。
会場最寄り駅や乗り換え駅で、「10月9日の大会でまたお会いしましょう。」とご挨拶しながらメンバーたちと別れた。途中ターミナル駅で、明日から息子がお世話になる義妹宅へのお土産類等を購入し、帰宅した。最寄り駅ではなんと雨が降り出しており、日傘が雨傘に変身した。
夕食は息子の好きなお寿司をとってしまったので、帰宅後すぐに届き、簡単に済ませた。そしてデザートはKさんが作ってくださった栗の渋皮煮に舌鼓。
明日からまた、1週間が始まる。水曜日には抜糸。傷も落ち着き、ナベルビンも無事に投与できるよう体調を整えたいと思う。
週末は早くも10月だ。今年もピンクリボン月間がやってくる。