よせばいいのにナベルビンの血管外漏出(?)のトラブルをいろいろネット等で調べた挙句、「やっぱり私ってついていない・・・」という台詞が思わず出てしまった。
昨夜、息子は塾で不在だったので、夕食の支度をしながら、夫が帰ってくるなり一人ごちた。それを聞いた夫が「そんなことマイナスにばかり考えていても仕方ないから、やっぱり受け入れて前向きにやっていくしかないよ。」と。
・・・そんなことは言われなくたって分かっている。そう、何があろうが“闘病は前向き思考”がお約束だ。でも、情けないけれどいつもいつも前向き思考、元気いっぱい頑張ろう、にはなれない。特に痛みがあると、どうしても前向きになれない。
思わず「それは分かっているけれど、『ついていない』って本音は誰にも言えないじゃない。看護師さんにだって、先生にだって、『なんでそんな稀なケースが私なんですか、ついていないじゃないですか、不運だったね、でおしまいですか。』なんてことは思っていたって決して言えない。だけど、この後、この部分の皮膚が潰瘍になったら、壊死して手術が必要になったら・・・とか、またあのアンギオの部屋で局所麻酔で切開して、ポートとカテーテルを取り出して、もう一度埋め込み手術を受けるのはやっぱり気が重いよな・・・ついていないよな、って思うこともつぶやくこともいけないの?今、初めてあなたに言ったのに・・・。治療によって何が起ころうと受け入れるのは自分自身で、痛いのも苦しいのも辛いのも自分なのは仕方ない。結局、お父さん(夫)にとっても所詮他人事(ひとごと)なんだよね!」と。
面と向かって言ったのではなく台所から言ったので、勢いで言えてしまったというのもあるが、言ってから(ちょっと言いすぎ、失敗したなあ・・・)とは思った。が、まだ謝っていない。
そんなわけで、なんとなく険悪な雰囲気になっている。
夫も言いたいこと山ほどあるだろうに・・・。
一方、「“アチャー”はなかった、優良点(80点以上)も期待できるかも・・・」と言っていた息子の期末試験が全科目返却された。結果は惨憺たるもの。どうしてこう自己認識が甘いのだろう、と思うと情けない限りだ。何度裏切られても、息子の「大丈夫」という言葉を信じてしまう私が馬鹿なのだろう。出来たかどうだかわからない、出来ていないものを出来た、と思うところが凄い。まあ本当に出来た時は数少ない間違えたところが気になって出来なかった・・・、と思い悩むものだけれど。
当然の結果だといえば当然の結果なのだ。リビングで勉強をするのはもう嫌なようだし、自室に入れば机からすぐに移動して、ベッドに寝転んで参考書や教科書をたらたらと眺めているだけ。そんな勉強の仕方をしていたら当然ベッドとお友達でうたた寝まっしぐら、だ。 ノックをしても返事がなく、ちょっと覗いて声をかけるとびっくりして目を赤くして起き上がっていたのだから。
もちろん私にもテスト勉強をしながら(まずい、うたた寝してしまった!)ということが多々あったから、その時は翌朝早く起きて、という次善の策を講じた。けれど、彼は朝早く起きる、ということは一切ない(何があろうがぎりぎりまで寝ている。)。書いたり計算したり聴いたり音読したりしているところは、ついぞ見たことがない。それでよく「大丈夫」と言えるものだ。こうして自分流の(と彼は言い張る)勉強の仕方(ベッド寝転び眺めるだけ方式)で10回の定期試験を繰り返し受けてきた。中学時代の定期試験は残すところあと2回だ。その間には外部受験生と同時に受ける入試さえある。ついても仕方のないため息が出る。
よく言われる「男の子はやる気が出れば人が変わったように変わるから」という言葉にどこかで縋ってきた。
勉強以外でうんと好きなこと、何か職業に出来るようなことも見当たらない様子。
まぁ、彼が40歳、50歳になって私と私の年金をあてにしながら一緒に暮らす、ということは現実問題としてなさそうだけれど、どうしたものか・・・、とまたため息が漏れる。
それにしても息子を見ていると、それこそ「いつまでもあると思うな、母と学籍」である。
昨日までは、朝薬を飲み軟膏を塗って出勤、昼食後薬を飲んでも夕方にはじわじわ痛みが出てきて、職場で軟膏を塗り直していたが、今日は塗らずに帰宅できた。
そしてこれまでバランスの関係か右肩でしかショルダーバックを持てなかったのだが、右に負担がかかると患部に響いて痛んだので仕方なく左で持ってみた。最初はとても持ちづらかったが、ようやく違和感なく慣れてきた。これも怪我の功名だ。
気になるのはなんともいえないだるさ。明日、白血球が下がって予定しているナベルビンが投与できない、ということがないことを祈りたい。
昨夜、息子は塾で不在だったので、夕食の支度をしながら、夫が帰ってくるなり一人ごちた。それを聞いた夫が「そんなことマイナスにばかり考えていても仕方ないから、やっぱり受け入れて前向きにやっていくしかないよ。」と。
・・・そんなことは言われなくたって分かっている。そう、何があろうが“闘病は前向き思考”がお約束だ。でも、情けないけれどいつもいつも前向き思考、元気いっぱい頑張ろう、にはなれない。特に痛みがあると、どうしても前向きになれない。
思わず「それは分かっているけれど、『ついていない』って本音は誰にも言えないじゃない。看護師さんにだって、先生にだって、『なんでそんな稀なケースが私なんですか、ついていないじゃないですか、不運だったね、でおしまいですか。』なんてことは思っていたって決して言えない。だけど、この後、この部分の皮膚が潰瘍になったら、壊死して手術が必要になったら・・・とか、またあのアンギオの部屋で局所麻酔で切開して、ポートとカテーテルを取り出して、もう一度埋め込み手術を受けるのはやっぱり気が重いよな・・・ついていないよな、って思うこともつぶやくこともいけないの?今、初めてあなたに言ったのに・・・。治療によって何が起ころうと受け入れるのは自分自身で、痛いのも苦しいのも辛いのも自分なのは仕方ない。結局、お父さん(夫)にとっても所詮他人事(ひとごと)なんだよね!」と。
面と向かって言ったのではなく台所から言ったので、勢いで言えてしまったというのもあるが、言ってから(ちょっと言いすぎ、失敗したなあ・・・)とは思った。が、まだ謝っていない。
そんなわけで、なんとなく険悪な雰囲気になっている。
夫も言いたいこと山ほどあるだろうに・・・。
一方、「“アチャー”はなかった、優良点(80点以上)も期待できるかも・・・」と言っていた息子の期末試験が全科目返却された。結果は惨憺たるもの。どうしてこう自己認識が甘いのだろう、と思うと情けない限りだ。何度裏切られても、息子の「大丈夫」という言葉を信じてしまう私が馬鹿なのだろう。出来たかどうだかわからない、出来ていないものを出来た、と思うところが凄い。まあ本当に出来た時は数少ない間違えたところが気になって出来なかった・・・、と思い悩むものだけれど。
当然の結果だといえば当然の結果なのだ。リビングで勉強をするのはもう嫌なようだし、自室に入れば机からすぐに移動して、ベッドに寝転んで参考書や教科書をたらたらと眺めているだけ。そんな勉強の仕方をしていたら当然ベッドとお友達でうたた寝まっしぐら、だ。 ノックをしても返事がなく、ちょっと覗いて声をかけるとびっくりして目を赤くして起き上がっていたのだから。
もちろん私にもテスト勉強をしながら(まずい、うたた寝してしまった!)ということが多々あったから、その時は翌朝早く起きて、という次善の策を講じた。けれど、彼は朝早く起きる、ということは一切ない(何があろうがぎりぎりまで寝ている。)。書いたり計算したり聴いたり音読したりしているところは、ついぞ見たことがない。それでよく「大丈夫」と言えるものだ。こうして自分流の(と彼は言い張る)勉強の仕方(ベッド寝転び眺めるだけ方式)で10回の定期試験を繰り返し受けてきた。中学時代の定期試験は残すところあと2回だ。その間には外部受験生と同時に受ける入試さえある。ついても仕方のないため息が出る。
よく言われる「男の子はやる気が出れば人が変わったように変わるから」という言葉にどこかで縋ってきた。
勉強以外でうんと好きなこと、何か職業に出来るようなことも見当たらない様子。
まぁ、彼が40歳、50歳になって私と私の年金をあてにしながら一緒に暮らす、ということは現実問題としてなさそうだけれど、どうしたものか・・・、とまたため息が漏れる。
それにしても息子を見ていると、それこそ「いつまでもあると思うな、母と学籍」である。
昨日までは、朝薬を飲み軟膏を塗って出勤、昼食後薬を飲んでも夕方にはじわじわ痛みが出てきて、職場で軟膏を塗り直していたが、今日は塗らずに帰宅できた。
そしてこれまでバランスの関係か右肩でしかショルダーバックを持てなかったのだが、右に負担がかかると患部に響いて痛んだので仕方なく左で持ってみた。最初はとても持ちづらかったが、ようやく違和感なく慣れてきた。これも怪我の功名だ。
気になるのはなんともいえないだるさ。明日、白血球が下がって予定しているナベルビンが投与できない、ということがないことを祈りたい。