先日、あけぼの会から臨時ニュースとともに「再発乳がんと向き合うためのヒント 先輩患者から学ぶ」という小冊子が贈られてきた。
8名の先輩患者さんの手記、患者へのアンケート調査結果、サポート情報を含む50ページほどのもので、日本イーライリリー社(抗がん剤ジェムザールの会社)が会に寄付してくださったものだという。
監修の中村清吾先生が「はじめに」を書いておられた。
「再発乳がんでも、自分らしく生きる そのためのがんと向き合う方法と処方箋」の中に“「再発乳がんは治らない」。なんて冷たい言葉!・・・”とある。
4ページにわたる文章を恐れながら大胆にもまとめさせて頂くと、次のようになる。
“確かに再発がんの場合、基本的には薬をずっと続けながら、日常生活を送ることになる。かつてはこの状況を「治らない」と言っていた。でもこれは患者の希望を失わせる冷たい言葉である。最終目標は「薬なしで安心して生活できること」だが、画像上がんが消えても細胞レベルまで消えたのか画像では判定ができない。つまり完治したか否かの判定が困難なので、治療はやめずに続けることが前提である。”
そして、先生の喩えが「桜島状態を維持して、富士山を目指す」。“再発がんは最初は雲仙普賢岳のように噴煙が上がり、激しい爆発が起こるが、やがて、たまに小規模な爆発が起きて火山灰が降るけれど、生活は出来る「桜島」のようになる。さらにもう一歩すすめて「富士山」が目指すところ。「富士山」はなお活火山との定義ではあるが、いまや爆発の可能性は皆無ではないものの、殆どの人にとって活火山でさえない。今のところ再発がんの治療で「富士山」まで行けるのは一握りであり、殆どは「桜島」でとどまっている。それでも「桜島」で普通に生活することは可能で、そうした患者は沢山いる。この「桜島」を保つように病気の勢いをコントロールし、願わくば「富士山」を狙おうと考える。”
“医師によっては「はっきり治らないと伝えるのが治療のスタートだ」と言う人もいるし、治療効果が上がらない患者が沢山いるのも事実だが、「富士山を目指して医療も研究も行われている」と伝えることは大切だ”と。
そして“乳がんの場合、薬による治療効果がかなり期待できるようになり、再発後も5年、10年と普通に暮らせる人が増えているということをぜひ知っておいてほしい”と。
“もうひとつ大切なのは、覚悟をもつこと。覚悟を決め、「そのとき」に備えて心の準備をしておくと、逆に日常が充実して生きられる、患者を通じて、そのように感じることがある、と。死ぬことは誰も避けて通れない、だからこそ再発をきっかけに死について考えたり、自分にとって悔いを残さないとはどういうことかを考え、生活も心も整理しておく。これこそ、がんが再発しても自分らしく生きるための鍵であり、それによってがんに打ち勝つことも出来るのではないか”と。
去年の今頃だったか、今は放送終了となってしまったNHKのテレビ番組「プロフェッショナル 仕事の流儀」での中村先生の言葉にとても心動かされたことを思い出した。
乳がんにかかる年齢の女性は、働き盛りであり、母であり、妻である。そういう家族でも社会でも中心の年代の女性がこの病気になること自体大きなストレスであるが、さらに長期間の治療を続けていかねばならないことが一体どれほどのストレスであるのか、ということを真っ向からお話されていた。
それまで自分からはどうしても口に出して言えなかったことを、こんなにはっきりと医師の口から聞くことが出来たのは初めてだったので、ちゃんと判ってくださっているのだ・・・、とテレビの前で呆けてしまった。
そして、先生の「富士山」と「桜島」の喩えが実に私の心にストンと落ちた。告知の時にこんなふうに言って頂ければ、どれほど肩の荷が降ろせ、勇気が出て、前向きに治療に向かうことが出来るだろうか。
奇しくも「桜島」には息子の中学受験の時に近くまで行った。説明会も本番も一泊二日の強行軍だったので、当然のことながら観光する時間はなかったけれど、日本一の富士山とは違う何か温かみのある山だった。
また、元気と勇気をもらった。会には小冊子を送って頂いて、感謝である。希望をもってこれからも治療を続けたい。「富士山」でなく「桜島」で十分幸せなのだから。
8名の先輩患者さんの手記、患者へのアンケート調査結果、サポート情報を含む50ページほどのもので、日本イーライリリー社(抗がん剤ジェムザールの会社)が会に寄付してくださったものだという。
監修の中村清吾先生が「はじめに」を書いておられた。
「再発乳がんでも、自分らしく生きる そのためのがんと向き合う方法と処方箋」の中に“「再発乳がんは治らない」。なんて冷たい言葉!・・・”とある。
4ページにわたる文章を恐れながら大胆にもまとめさせて頂くと、次のようになる。
“確かに再発がんの場合、基本的には薬をずっと続けながら、日常生活を送ることになる。かつてはこの状況を「治らない」と言っていた。でもこれは患者の希望を失わせる冷たい言葉である。最終目標は「薬なしで安心して生活できること」だが、画像上がんが消えても細胞レベルまで消えたのか画像では判定ができない。つまり完治したか否かの判定が困難なので、治療はやめずに続けることが前提である。”
そして、先生の喩えが「桜島状態を維持して、富士山を目指す」。“再発がんは最初は雲仙普賢岳のように噴煙が上がり、激しい爆発が起こるが、やがて、たまに小規模な爆発が起きて火山灰が降るけれど、生活は出来る「桜島」のようになる。さらにもう一歩すすめて「富士山」が目指すところ。「富士山」はなお活火山との定義ではあるが、いまや爆発の可能性は皆無ではないものの、殆どの人にとって活火山でさえない。今のところ再発がんの治療で「富士山」まで行けるのは一握りであり、殆どは「桜島」でとどまっている。それでも「桜島」で普通に生活することは可能で、そうした患者は沢山いる。この「桜島」を保つように病気の勢いをコントロールし、願わくば「富士山」を狙おうと考える。”
“医師によっては「はっきり治らないと伝えるのが治療のスタートだ」と言う人もいるし、治療効果が上がらない患者が沢山いるのも事実だが、「富士山を目指して医療も研究も行われている」と伝えることは大切だ”と。
そして“乳がんの場合、薬による治療効果がかなり期待できるようになり、再発後も5年、10年と普通に暮らせる人が増えているということをぜひ知っておいてほしい”と。
“もうひとつ大切なのは、覚悟をもつこと。覚悟を決め、「そのとき」に備えて心の準備をしておくと、逆に日常が充実して生きられる、患者を通じて、そのように感じることがある、と。死ぬことは誰も避けて通れない、だからこそ再発をきっかけに死について考えたり、自分にとって悔いを残さないとはどういうことかを考え、生活も心も整理しておく。これこそ、がんが再発しても自分らしく生きるための鍵であり、それによってがんに打ち勝つことも出来るのではないか”と。
去年の今頃だったか、今は放送終了となってしまったNHKのテレビ番組「プロフェッショナル 仕事の流儀」での中村先生の言葉にとても心動かされたことを思い出した。
乳がんにかかる年齢の女性は、働き盛りであり、母であり、妻である。そういう家族でも社会でも中心の年代の女性がこの病気になること自体大きなストレスであるが、さらに長期間の治療を続けていかねばならないことが一体どれほどのストレスであるのか、ということを真っ向からお話されていた。
それまで自分からはどうしても口に出して言えなかったことを、こんなにはっきりと医師の口から聞くことが出来たのは初めてだったので、ちゃんと判ってくださっているのだ・・・、とテレビの前で呆けてしまった。
そして、先生の「富士山」と「桜島」の喩えが実に私の心にストンと落ちた。告知の時にこんなふうに言って頂ければ、どれほど肩の荷が降ろせ、勇気が出て、前向きに治療に向かうことが出来るだろうか。
奇しくも「桜島」には息子の中学受験の時に近くまで行った。説明会も本番も一泊二日の強行軍だったので、当然のことながら観光する時間はなかったけれど、日本一の富士山とは違う何か温かみのある山だった。
また、元気と勇気をもらった。会には小冊子を送って頂いて、感謝である。希望をもってこれからも治療を続けたい。「富士山」でなく「桜島」で十分幸せなのだから。