お父さんのマリポタ日記。
マリノスのこと、ポタリングのこと。最近忘れっぽくなってきたので、書いておかないと・・・
?



 母校・慶應義塾大の優勝を初めて神宮球場で見たぞ(^o^)

 勝ち点を挙げた方が優勝という決戦となった早慶戦。10月28日の第1戦は早稲田が逆転サヨナラで先勝。王手をかけられたが、第2戦は4-0で雪辱し、勝負の第3戦。天気も良いので観戦に出掛けた。慶應の試合観戦は一昨年の神宮大会決勝(中央学院大に敗れ準優勝)以来だが、早慶戦は10年ぶりぐらいかな。

 外野応援席は開放しないとあったが、試合開始直前に慶應のレフト側にどんどん人が入り始め、応援指導部、ブラスバンドの人数も徐々に増え、試合中盤には半分以上が埋まった。一方の早稲田側は開放する様子はない。観戦した早慶戦で早稲田に人数で勝ったことはなかったので、これには感激した。


試合前のシートノック。右手前の外野応援席は無人



慶應側外野応援席がどんどん人で埋まっていく



7回のエール交換。塾歌じゃないのか



外野応援席にブラスバンドも来た


 そのレフトスタンドへ3番の廣瀬隆太(4年=慶應)が先制2ランを放り込んだ。応援席に近い外野席で見ていてポールの内か外か分からずファウルかと思ったが、三塁塁審がぐるぐる手を回していたので、「よっしゃ! 入った!」。年のせいか、動体視力が落ちているようだ(^_^; ソフトバンクに3位指名されたスラッガーはこれが通算20号となった。

 追加点もホームラン。1点差に迫られた7回、2番の本間颯太朗(3年=慶應)がレフトスタンド最前列に運んだ。これも届かないかと思ったが、フェンスをぎりぎりで越え、目の前のスタンドで大きくバウンドした。この後、齋藤來音(4年=静岡)、水鳥遥貴(3年=慶應)の適時打で2点を加え、リードは4点に。その裏に適時打と犠打で2点差となったが、先発の外丸東眞(2年=前橋育英)を7回途中からリレーした森下祐樹(4年=米子東)が無失点に抑え5-3で逃げ切った。守備で光ったのは遊撃の水鳥。いい肩してたなぁ。


慶應優勝の瞬間


マウンドに駆け寄る慶應の選手たち


マウンド上で優勝の雄叫びを上げる慶應の選手たち


優勝を喜ぶ慶應の選手たち


スコアボード


早慶の選手たちが整列しスタンドへ向かって挨拶


再び喜びを分かち合う慶應の選手たち


 在学していた当時は敵の2学年上に岡田彰布がいた。そう、今の阪神の名将ね。この人、試合前のバッティング練習から凄かった。ホームベースの後ろから打ってるのに、ライナーでセンターへ軽々と放り込んでるんだもんね。モノが違った。ほかに金森栄治なんてのもいたな。なので在学中は1年の秋に早慶戦で勝てば優勝というチャンスを逃して2位というのが最高位で、その後は卒業するまで優勝することはなかった。

 早慶戦も卒業後を含め何度か観戦したが、勝ったことがない(たぶん)。なので、生観戦した試合で初めて早稲田を倒し、初めて優勝の感激を味わうことができたことになった。実はこの日は65回目の誕生日。最高のプレゼントだったね(^o^)

 さて、次は明治神宮大会。塾高に続く日本一を目指そう!

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 阪神タイガースが21年ぶりにリーグ優勝し、初の日本一に輝いた1985年。その年は入社3年目の広告営業マンだった。

 リーグ優勝のかかった神宮でのヤクルト戦は3試合ともチケットが取れた。だが、初戦だけが一塁側だった。恐る恐る席に着いてみると、隣のおじさんに「どっち?」と聞かれる。どうせばれるので正直に「阪神です」というと、「ほんならええわ」。何のことはない。周囲はみんな阪神ファンだった。

 その初戦でリーグ優勝が決まったが、もちろん消化試合となった2戦目、3戦目も余韻に浸るべく神宮へ通った。

 そして迎えた広岡達朗監督率いる西武ライオンズとの日本シリーズ。最終戦までもつれ込むと予想し、チケットは第7戦を抑えた。1、2、6、7戦が西武球場。3、4、5戦が甲子園での開催だった。

 ところが3勝2敗で阪神王手で迎えた第6戦、初回に長崎啓二の満塁ホームランが飛び出し、早々と決着がついてしまった。世田谷のアパートで阪神ファンの友人の弟とテレビ観戦していたが、その瞬間は喜ぶどころか「あ〜ぁ、打っちゃったよ」とため息。最終戦のチケットがパ〜だ。日本一はもちろん嬉しいけど、個人的にはその瞬間を生で見られず残念至極だった思い出がある。

 それから38年。2度目の日本一が目前に迫ってきた。当時はすべてデーゲームだったが、今回はオールナイター。仕事もリタイアしているので、現地へは行けないがテレビでじっくり観戦できる(ブルベも結果的にDNSとなったし)。僅差でしびれる試合になるに違いない。今シーズンの阪神の試合同様に「野球」がたっぷり楽しめそうだ。

 それにしても阪神はここまで日本一はたった1回で、東北楽天ゴールデンイーグルスと並び最少とは(ちなみに近鉄バファローズは0)。リーグ優勝も6回で中日の9回に続く5番目。最下位は2回の横浜DeNAベイスターズ。人気チームなのに結果はまったく残してないことに改めて気がついた。まあ、それでも小学生の時から今まで負けても負けても応援してきたんだけどね。ダメな子ほど可愛い。分かるでしょ、阪神ファンなら。

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 絶好の天候となったBRM1028「あおば600km向かい風(大雨で603は中止となり1028に延期)。でもね。手術から2週間じゃ200キロならごまかせても、600キロはさすがにごまかせない。いや、600キロは万全の態勢でも危うい^_^; ということでDNSとしました。

 それに不整脈再発のため、記念開催のBRM923岡山400をDNSした時点で今年のSRの可能性は消滅していたので、モチベーションも上がらないしね。

 さらに4度目の手術となった今回は、カテーテルを入れた部分、特に右手に痛みがまだ残っていて、これは今回が初めて。今までは何ともなかったのにね。力を入れると「うっ…」と顔をしかめるぐらいの痛みになるので結構辛い。振動も響くので現状では100キロも走れないかな。少し、静養が必要かもね。脈は正常に戻っているのになぁ。もどかしい毎日が続きそう。

 これで今季のブルベは終了。200キロ4回、300キロ1回と短距離しか走れなかったが、能登半島、十和田湖、長野の遠征は楽しかった。来季はもっと遠くへ行ってみたいなぁ。眠いのを我慢して暗闇を走るより、絶景とグルメを堪能し、暗くなったら終わってビール (≧▽≦) というライドをもっともっと楽しみたい。

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 10月25日夕方のNHK首都圏ニュースで「ダルマ自転車」の話題が紹介されていた。ダルマ自転車? 何だろうと思って見てみると、巨大な前輪を持ったアレだった。

 雑誌などで見たことはあったが正式名称を知らなかったので「アレ」なんだけど、自転車の大先輩によると、「ダルマ自転車」は日本の通称で一般的には「オーディナリー」と言うそうだ。ネットで調べてみるとイギリスでは「ペニー・ファージング」、アメリカでは「ハイ・ホイール・バイク」とも呼ばれるらしい。チェーンもギアもなく、ペダルは前輪に直接取り付けられている。実は少し前にダルマ自転車と逗子の国道134号で実際にすれ違ったことがあり、ホントに走れるんだと驚いた。


10月25日夕方のNHK首都圏ニュース


 ニュースによると、130年余り前にアメリカの冒険家がダルマ自転車で世界一周した際、長崎から横浜まで走破したのを再現すべく、同国の55歳のサイクリング仲間2人が挑戦。前輪の直径が約1メートル40センチもあるため小回りが利かず、速度も上がらないが、見晴らしがいいため、気持ち良く長崎から横浜までの1500キロを30日余りかけて走り抜いたという。

 この自転車で1日50キロとは凄い。坂もきついだろうけど、たぶん信号ストップや渋滞が一番辛そう。足着けないし、漕ぎ出しも体力使うもんね。それなのに「すばらしい旅だった。長崎のきつい坂や大阪の渋滞、美しい風景など、日本らしい体験ができた」なんてコメントしてる。粘り強い心の持ち主だったに違いない。

 それにしても長崎までどうやって輪行したんだろう。いや、アメリカから持ってきたんだから飛行機輪行で来たんだよね。あと50キロごとに30泊か。いろいろと驚きがあるねぇ。

 ルートも知りたいし、チャリダーでやってくれないかな(^_^;

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 またやっちまったよ(T_T)

 先週の土曜日は午前中に孫娘の運動会、午後からは横浜F・マリノス-コンサドーレ札幌戦観戦と珍しく忙しい1日を過ごした後、運動会の振り替え休日となった月曜日に小学校2年の孫娘、年中の孫息子とじーちゃんの3人でズーラシアに出掛けた。その時の話。





 お昼を園内のレストランで食べることに。孫息子は唐揚げとポテトに惹かれ、お子様セットに早々と決まり。孫娘は最初はオムライスがいいと言ったが、その後ナポリタンにも魅力を感じたようで悩んだ挙げ句、ハンバーグ付きナポリタンに決定。2人が席を取っている間、食券を買ってできあがりをしばし待つ。

 じーちゃんのカツカレーが最初にできあがり、次がオムライス。かかっているデミグラスソースに何となく違和感を感じたが、お待たせと孫娘の前に置く。すると「なにこれ。なんでここにおくの」と言いながらあっちいけする。えっ? ……。そうだ。ナポリタンだった。ケチャップじゃないか。あの違和感はこれだった。でもおかしい。確かナポリタンのボタンを押したはずだぞ。なのに食券はしっかりオムライスとある。あ〜、また大ボケかましたか。

 仕方ない。オムライスはじーちゃんが食べるから(たぶん無理だろうけど)ナポリタン買ってくるよと言いつつ、孫息子のお子様セットができあがったので取りに行き、いったん席へ帰った後、ナポリタンを買いに行こうとすると、孫娘がポツリ。「これでいい。食べる」。「ホントにいいの?」と聞くと「うん」とうなずく。いや〜、7歳なのにこの神対応。まるで天使だよ。でも誰に似たんだろう。

 孫娘はちょとだけ孫息子がハンバーグや唐揚げを食べる姿をうらやましそうに見ていたけど、「ソフトクリーム買ってあげるからね」と言うと笑顔を取り戻してくれ、その後もきょうだい2人で楽しそうに遊んでいた。じーちゃん、ほっとひと息の巻でした(^_^;

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<J1:横浜F・マリノス4-1コンサドーレ札幌>◇21日◇第30節◇日産スタジアム

 序盤から主導権を握られ、個人のデュエルではことごく負けていた。間を抜かれるパスも何度も通され、いつ失点してもおかしくない展開が続き、勝てるとは思わなかった。だが、終わって見れば見事なカウンター3発などで4-1の快勝。なんとか首位戦線に食らいついた。


この日はチャーハン弁当(980円)



横浜F・マリノスゴール裏



コンサドーレ札幌ゴール裏


 先制点は前半18分。自陣でボールを奪ったアンデルソン・ロペスがキープから高速のスルーパス。これが相手DF2人の間を抜け、走り込んだ宮市亮がドリブルからGKとの1対1を右足で流し込んだ。その後は押されながらも1-0のまましのぎ、迎えた後半38分、右クロスを交代出場のFW杉本健勇がジャンピングボレー。まったくヒットしなかったが、これが奏功し、ふわりとした浮き球となってGKのタイミングを外してゴールネットを揺らした。その7分後には吉尾海夏のパスカットからカウンターを仕掛け、パスを受けた交代出場のエウベルが左足で流し込んで3点目。1点を返されたが、同ロスタイム、右サイドバックに入った榊原彗悟を起点に、ヤン・マテウス、杉本、エウベルとパスが繋がり、最後は今季初先発初フル出場となった植中朝日が右足で蹴り込んだ。


宮市先制ゴール



杉本2点目



エウベル3点目



植中4点目



勝った!


 畠中槙之輔、エドゥアルド、上島拓巳、角田涼太朗と負傷者が続出し、残った本職のセンターバックは今季リーグ戦出場1試合のみの実藤友紀のみ。この実藤と、コンビを組んだ本来はボランチの主将喜田拓也の気合が札幌の攻撃を1点に抑え込んだか。喜田は何度も両手を広げて前へ前へと高いラインを保つことも忘れなかった。もちろんGK一森純のスーパーセーブも見逃せない。

 ただね。1点差の終盤に実藤が足をつって交代を余儀なくされた瞬間はどうなることやらと思ったよ。控え選手にDF登録はおらず、代わったFW杉本がセンターバックやるのかと思った。まあ、そんなことはなく、右サイドバックの松原健がセンターバックに入り、ボランチで途中出場しリーグ戦デビューした榊原が右サイドバック、左サイドバックはその前から途中出場していた吉尾という最終ライン。誰もこんな布陣を想像できないぞ。マスカット監督の名采配なのか。何度もいうが、よく勝てたと思う。決定力の差だったかな。

 このあとは水曜日のACL、土曜日のアウェー福岡戦と続く。どうなるんかいねぇ。


鶴見川サイクリングロード。後方は日産スタジアム


 この日は午前中が孫娘の運動会。終わってから日産スタジアムに駆けつけた。もう秋だねぇ、という道中。鶴見川サイクリングロードも草が刈られ、走りやすくなっていたよ。それにしてもこの日の観客は2万3286人。運動会で来られない人が多かったのかな。ハーフタイムのトイレも並んでなかったし、優勝を狙うチームとしてはちょっと淋しい数字だね。

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※山本文緒(1962年神奈川県生まれ。2021年10月13日、膵臓がんのため58歳で死去。OL生活を経て作家デビュー。「恋愛中毒」で吉川英治文学新人賞、「プラナリア」で直木賞、「自転しながら公転する」で島清恋愛文学賞、中央公論文芸賞を受賞)



●一生に一度しか書けないものを命かけて書いた

 ある日突然がんと診断され、58歳で余命6カ月(セカンドオピニオンでは4カ月、これが副題となっている)と宣告された、直木賞作家の山本文緒さん。治療法はなく、抗がん剤で進行を遅らせるしか手はなかった。しかし、副作用が軽くなっているとして臨んだ抗がん剤は地獄だった。がんで死ぬより抗がん剤で死ぬと思ったほどだという。そのため緩和ケアへ進むことを決断し、夫とふたり、無人島に流されてしまったかのような日々が始まった。

 余命宣告をされた衝撃の診断の1カ月後から始まり、死の直前まで綴られた作家の日記である。活字にしてほしい思いがある反面、こんな救いのないテキストを誰が読むんだろうと懐疑的になりながらも決してジタバタせず、淡々と客観的に自分をみつめ、そして作家らしくユーモアも交えながら残された日々の様子を語る。

 余命宣告というのは、言い換えれば人生の残り時間が明確になることでもある。だから「うまく死ねますように」と準備もできる。周囲も覚悟ができる。それでもノンフィクションだけに自然な中にも当事者でなくては語れないような、心にズシリとのしかかる重い言葉が出てくる。病気であることを知らない人へ「心の中でありがとうございますとさようならを言った」にはぐっときた。

 結末が分かっているだけに残りページがどんどん減っていくのが切なくて悲しい。一生に一度しか書けないものを、まさに命をかけて書ききった。

 山本文緒さんは2021年10月13日10時37分、自宅で永眠。亡くなられてから初めて著作を読んだことになったが、ほかの作品も読んでみたい気になった。僕が生きている限り、心の中で生き続けます。
 

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 13日の金曜日に不整脈(心房細動)の手術(カテーテル・アブレーション)が無事に終了。

 午前9時過ぎに手術室に入り、準備されているうちに全身麻酔で気を失い、ふと気がついて時計を見ると午後4時を回っていた。長くて5時間と聞いていたが、7時間を超える手術となったらしい。

 今回で4回目だが、やっぱり今回も手術台に乗った途端に言われちゃったよ(^_^; 「わっ、なに、この日焼け」。

 主治医は手術前に何度も「全力を尽くす」と言っていた、その言葉通り、もうやることが無くなるまで徹底的に治療(焼灼)を続けてくれた。手術後の説明も丁寧で、レポートまでコピーして渡してくれた。専門用語が多すぎて理解できない部分がほとんどだが、もう、感謝しかない。詳しくは言えないが細かいことまで気を遣ってくれ、まさに名医といっていい(^o^)

 だが、その後の集中治療室(ICU)での翌朝までベッド上安静は苦行。右半身、特に右下半身が動かせないので寝返りも打てない。ただ、前回までは体も起こせなかったが、今回は手術後2〜3時間後から30度まで起こしていいという。ICUなのでスマホはできないが、このおかげでテレビが見られ、代表のカナダ戦が観戦できたのはラッキー。でも、昼間たっぷり寝ているので、消灯後は地獄の苦しみ。眠れず、腰も痛い。時間が進むのが遅かったなぁ。

 翌朝、15時間の安静からようやく解放され、ICUから元の部屋へと帰還。トイレと自販機へ自由に行ける幸せを満喫した。おまけにちょうどその日は箱根駅伝予選、セパのクライマックスシリーズ第1戦がデーゲームとナイターであり、特に広島-DeNA戦は延長までやってくれたのであっという間に1日が過ぎたよ(^o^)

 しかし、退院後に体重を測ると1キロ以上増えてる。手術当日は夕方にあんぱんとゼリーを食べただけ。あとはささやかな病院食しか食べてないのに何で太るんだろうね。でもおにぎり2個、唐揚げ2個の夕食でも満腹感を覚えるから不思議だ。


まるでPCでの補給食のような夕食(^_^;


 現在、脈は安定。お願い、このまま!

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※伊東潤(1960年神奈川県生まれ。早稲田大学卒業。「巨鯨の海」で第4回山田風太郎賞と第1回高校生直木賞、「峠越え」で第20回中山義秀文学賞を受賞)



●臨場感あふれる遭難場面 もうひと工夫あれば

 明治35年1月に199人の犠牲者を出した八甲田雪中行軍遭難事件。歴史雑誌の編集者が取材で現地を訪れると、実は犠牲者は200人であった可能性を知る。「その1人」は誰でどうなったのか。そして雪中行軍には公にできない秘密があった。

 今年5月にブルベ「十和田クラシック」で八甲田山へ行っていたこともあり、読みたくなった。新田次郎の「八甲田山死の彷徨」は読んでおらず、高倉健の映画「八甲田山」を見た程度の知識しかなく、県道40号の銅像茶屋の先にある第一露営地と第二露営地があまりにも近くにあるのが不思議だったが、これで氷解した。

 雪山ミステリーとしては非常に面白いし、八甲田雪中行軍遭難事件ついての描写も臨場感あふれ、筆致も分かりやすくほぼ一気に読めた。

 ただ、現代パートの描写は先をある程度予想することができ、意表をつく展開もない(最後は流石に驚いたけど、テーマからするとそうなるのが必然?)。主な登場人物に「その1人」がすでに表記されてプロローグから登場しており、謎解きもちょっと巧くいきすぎる感がないでもない。現代パートの人物設定にもうひと工夫ほしかった。着想は良かっただけに、ちょっと残念。

 来年、また「十和田クラシック」に参加するようなら、コースを外れて後藤伍長発見の地までは行ってみたいな。

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 9月下旬に小出川の彼岸花を見に行った帰りは久々に目久尻川サイクリングロードを走った。スポーツバイク(MTB)に乗り始めた十数年前はよく走ったが、ロードバイクに乗るようになってからはご無沙汰だった。

 サイクリングロードの起点は用田橋だが、この日は目久尻川が相模川と合流する寒川神社付近から川沿いを走ってみた。寒川神社から少し南下したJR相模線の踏み切りまでの道は途中に大きな鳥居もあったし、参道なのかな。


寒川神社近くにある水道記念館。この日はお休み



寒川神社


 宮山大橋から川沿いに出たが、サイクリングロードらしきものが始まるのは寒川広域リサイクルセンター手前からだ。実はこの近くの旭橋からは風変わりな景色を見ることができる。川の上を川が流れているのだ。


上の橋は川の橋。下に流れるのは目久尻川


 上に流れるのは相模川左岸幹線用水路で、河口の茅ケ崎市域まで広大な水田を潤している。下に流れるのは目久尻川。相模川の支流で相武台団地付近が水源となっている。一度は見る価値はありそう。


ピントが手前の柵に合ってますが(^_^; 上が相模川左岸幹線用水路。下が目久尻川



相模川左岸幹線用水路


 寒川広域リサイクルセンター手前から始まるのはサイクリングロードではなく、目久尻川ふるさと緑道。最初は舗装されているが、やがてじゃり道となりこれがしばらく続く。久保田橋、大昭橋、戸中橋と過ぎていくが、欄干に書かれた目久尻川の文字が次々と変化して面白い。


目久尻川ふるさと緑道



久保田橋



大昭橋



戸中橋


 戸中橋の先からの右岸は一般道となるが、用田大橋手前の旧道の用田橋からいよいよ「待望」の目久尻川サイクリングロードが始まる。右岸を5.7キロ先の小園橋まで続いている。この日は道庵橋の先が工事中で左岸へ迂回。川沿いはダートしかなく、さらに一般道へ迂回し、次の村野橋からサイクリングロードに復帰した。

 舗装状態は全体的にあまり良くなく、途中、サイクリングロードらしさを感じさせる区間もあるが、長くは続かない。終盤はほぼ歩道部分を走ることになる。案内版も新しくされているのがあると思えば、枠だけあってなくなっている所もあった。新武者寄橋から小園橋の区間のものは古いままだった。頑張れ、綾瀬市。サイクリングロードの名が泣くぞ。


目久尻川サイクリングロード起点の用田橋



終点の小園橋までは5.7キロ



年代物の「利用しよう! サイクリングロード」の看板



用田橋付近の舗装は良好



村野橋付近



サイクリングロード案内図



ここは案内図はなく、枠だけが残っていた



内藤橋付近



新武者寄橋から小園橋までの案内図も年代物



瀬瑞橋付近。ここの案内図は新しい



終点の小園橋手前。この辺りは広い歩道を走る


 目久尻川というと河童伝説がある。いつの頃からか住み着くようになった河童が田畑を荒らすので、生け捕りにした親分の目玉をくじり取って退治したことから「目久尻川」の名が生まれたと言われているが、これは昔話の世界だそうだ。以前の目久尻川の流れには、U字形をした場所や直角になっている所が多く、大水のときは水の勢いが出っ張っている川岸の土をえぐり取って流したことから「目久尻川」の名が付いたと海老名市の公式HPでは説明している。

 といいながら、海老名市と綾瀬市の境にある小園橋付近には河童の像があり、少し先の伊勢下村橋の欄干にも河童がいるのはなぜだろう? やっぱり目久尻川は河童の川だったんだねぇ(^_^;


小園橋付近にいる河童


 ま、平坦をのんびり走りたい時はいいかもね、というサイクリングロードかな。

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※朝井リョウ(1989年岐阜県生まれ。2009年「桐島、部活やめるって」で第22回小説すばる新人賞を受賞しデビュー。13年「何者」で第148回直木賞、14年「世界地図の下書」で第29回坪田譲治文学賞を受賞。他に「チア男子!!」「星やどりの声」「もういちど生まれる」「少女は卒業しない」「スペードの3」など)



●問題作であり、傑作でもある

 あってはならない感情なんて、この世にない。それはつまり、いてはいけない人間なんて、この世にいないということだ――共感を呼ぶ傑作か? 目を背けたくなる問題作か? 絶望から始まる痛快。あなたの想像力の外側を行く、作家生活10周年記念、気迫の書下ろし長篇小説。というのが、出版社の謳い文句。

 『多様性を認めると言っても、結局、それはマイノリティの中のマジョリティにしか当てはまらない。想像しうる”自分と違う”にしか向けられていない言葉。想像を絶するほど理解しがたい、直視できないほど嫌悪感を抱き距離を置きたいと感じるものには、しっかり蓋をする。だから、おめでたい顔で「みんな違ってみんないい」なんて両手を広げられても、困るんです。ほっといてほしいんです』

 冒頭にあるこの言葉が全てを言い表している。認められる多様性と、話しても全く理解されないので話すことさえ諦めた多様性の中のオンリーワン。多数派が正しいのか? 「あり得ない」と認められないものは異常なのか? 登場人物が互いに絡み合うようになった終盤は一気にページが進んだ。

 「ひとりの異性に何十年も性的に興奮し続けることは、誰かにこうして取り調べられることがないくらい自然なことなんですか」。最後に出てくる言葉が強烈だ。よくここまで書けたと思う。問題作であり、傑作でもある。

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 数日前にディズニーランドへ孫たちと行ってきた時の話。

 スティッチ・エンカウンターへ行きたくないという5歳の孫息子と二人で別行動することになり、トゥーンタウン方面へぶらぶら歩いていると左手にお城が見えてきた。「あれ何?」と聞かれたので、「う〜む、何だっけ?」としばらく考えた。そういえば何か新しいのができてたよなぁ。そうだ。ハリー・ポッターだ。確かこんな雰囲気だったはず。するとあれはホグワーツ城に違いない。そう孫息子に説明すると、納得したみたい。特に強い関心があったわけでもなさそうで、気持ちはお土産屋さんに傾いていたからね。

 それをあとで娘に話すと大笑いされた。「ハリーポッターはユニバーサル。あれは美女と野獣!」。あ、そうだっけ? 雰囲気が似てたけどなぁ。ユニバーサルは昨年6月に行ったばかりなので印象が強かったか。しかし、美女と野獣もごく最近に行ったはずだが、あまり記憶にない。でも、どんなんだっけ? とまでは聞けず、「てへへ」と苦笑いしてその場は終わり。


40周年のガチャガチャ。何個も買ってる隣の人が気になる孫息子



孫娘はアンナ、孫息子はアイアンマン


しっかりドナルドと手と繋ぐ孫息子


 でね。帰宅後に写真を見返すと、しっかりお城の中の肘掛け椅子に座ってにっこりする写真が出てきた。日付は2年前の11月。綺麗さっぱり忘れてた。というか、昔からあるアトラクションはわかるが、新しくできたものはどうも覚えられない。これってやっぱり認知症の始まりなのかねぇ。

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※浅田次郎(1951年東京生まれ。95年「地下鉄に乗って」で第16回吉川英治文学新人賞。97年「鉄道員」で第117回直木賞。00年「壬生義士伝」で第13回柴田錬三郎賞。16年「帰郷」で第43回大佛次郎賞)



●「真面目」な悪党3人が織りなすドタバタ喜劇

 鉄砲玉で13年ムショぐらしのやくざ「ピスケン」、湾岸戦争に反対し自決を図った自衛官「軍曹」、収賄事件の罪をかぶり妻にも大物議員にも捨てられた大蔵官僚で元政治家秘書「ヒデさん」。この3人が何の因果か定年した極道まがいの老刑事に集められ、彼らを欺いた巨悪に挑むというお話。デビュー翌年の92年1月に天山出版に刊行。すでに平成となっていたが、昭和の臭いたっぷりで笑わせてくれるユーモア小説。

 「悪漢(ピカレスク)小説」とあるが、主役3人は悪党ではなくいたって「真面目」。出世より筋を通すことに血道をあげる。それが逆に笑いを誘う。特に3人のうち「軍曹」が登場するシーンは抱腹絶倒。作者自身が元自衛官という事もあって、本当に「自衛隊はヒマ」なんだろうかと思ってしまう。ほかにも思わず「クスッ」となる会話の連続。ヤクザの組長と妾のセックスシーンでさえ爆笑するほどで、まるで吉本新喜劇のような掛け合いが続く。あっという間に読み切った。うまいなぁ。

 この人は時代ものを含めどんなジャンルでも書けてしまう凄い作家だとつくづく感心していたが、デビュー当時からもう凄いの書いてたんだね。続きを読もうっと(^o^)

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 サザンオールスターズの残り香でも残ってないかなと茅ヶ崎へ行ってみた。デビュー45周年を記念した「茅ヶ崎ライブ」が神奈川・茅ケ崎公園野球場で9月27日から10月1日まで行われた。その最終日翌日の10月2日のこと。

 辻堂経由で国道134号に出て西へ。久しぶりにサザンビーチのCマークを訪れたが、やはり昨日の今日で写真撮影は長蛇の列。これまで何回か来てるけど、こんな光景は初めてだねぇ。で、聞こえてくるのは大阪弁。みなさん、茅ヶ崎に泊まったのかな。なので、Cマークの先で烏帽子岩をバックにパチリ。ここは空いていた。


サザンビーチ。遙かに烏帽子岩


 少し戻って会場の野球場へ行くと、撤収作業の真っ最中。周辺道路では交通整理も行われ、その様子を僕と同じように見学する人もちらほら。まあ、見たところでどうなるものでもないけど、昨日までの熱気は何となく感じられたかな。


国道134号の野球場前交差点




撤収作業中の茅ヶ崎公園野球場


 メンバーは全員65歳超で前期高齢者。そして、ユーミン69歳、中島みゆきは71歳。みんな元気だ(^o^) ちなみに僕は今月末で前期高齢者(^_^;

 この後は国道134号を東へと走り、逗子マリーナ経由で鎌倉へ行き、十二所(じゅうにそ)を越え、朝比奈から環状4号を北上して帰宅。走行距離は85キロ。


逗子マリーナから江の島を望む


 ランチは小坪の「ゆうき食堂」か「めしやっちゃん」かと思ったが、ちょうどお昼時で混んでいて、自転車を置く適当な場所も見つからず断念。結局、コンビニおにぎりという消化不良なライドだった(T_T)

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<明治安田生命J1:横浜0-2神戸>◇9月29日◇第29節◇日産スタジアム

 天王山で首位を奪回するはずが、まさかの完敗。今季2度目の観戦試合黒星となった。金Jなのに3万人超とよく入ったのにねぇ…。残念。

 最初のPKのシーンはよく見えなかった。武藤嘉紀が倒れたままでなかなか試合が再開しないのでどうしたのかと思ってたら、主審の西村雄一さんがオンフィールドレビューしてた。まさかPKとはねぇ。2失点目もちょっと目を離したらネットが揺れていた。誰が得点したのかも分からなかったよ。こっちのシュートは枠にいかないし、まったくいいところなし。アンデルソン・ロペスのカウンター攻撃に相手が4人きたのはびっくりした。そりゃ、止められるわ。大迫勇也は良かったね。いい動きをしていた。エウベルは酒井高徳の前にサイド突破ができず、カットインするしか道がなかった。最後は4-1-4-1と超攻撃的にしたが、あきまへんな。水沼宏太はどうしたんだろう。キレがまったくないぞ。


天王山の神戸戦



神戸ゴール裏



トリコロールギャラクシー



傷心の帰り道。満月は雲の中


 帰りは中秋の名月というのにお月さまは雲の中。そして夜の鶴見川サイクリングロードはジャングル。あ〜ぁ。

 でもまだ終わったわけじゃないぞ!

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