お父さんのマリポタ日記。
マリノスのこと、ポタリングのこと。最近忘れっぽくなってきたので、書いておかないと・・・
?



※内舘牧子(1948年秋田市生まれ、東京育ち。13年半のOL生活を経て、88年脚本家としてデビュー。テレビドラマの脚本に「ひらり」「毛利元就」(1997年NHK大河ドラマ)など。武蔵野美術大学客員教授、ノースアジア大学客員教授、元横綱審議委員、東北大学相撲部総監督。著書に「終わった人」「今度生まれたら」など)



●すぐには死ねないねぇ(^_^;

 10年前に実年齢より上に見られてショックを受けた忍(おし)ハナは「人は中身より外見を磨かねば。そこらのバアサンになりたくない」と一念発起。ナチュラルよりアンチエイジングと精を出した結果、78歳の10年後に60代に見られた上、シニア向け雑誌のグラビアに掲載されるまでになるのだが…。小気味いい語り口(というより毒舌)でテンポ良く進む、まさに痛快な「終活」小説。2018年8月講談社より刊行。21年8月の文庫化にあたり一部を加筆・修正。

 「平均寿命まで生きたとしても先はない。せいぜい10年足らず。ならばあと10年を好きに生きて何が悪い。犯罪以外は何をやってもいい年齢だろう」とハナは幸せを感じていたが、夫が急逝してからは「いつ死んでもいい」と気が沈み始める。「夫に死なれ、生きる意味も先もないバアサンに、やる気がでないのは自然のことだろう」。ところが、とんでもない事実を知ることで物語は急展開していく。ここからが面白い。そこらのバアサンじゃないパワーがみなぎり始め復活していくのだが、心はなぜか年相応に穏やかになっていく。すぐには死ねないねぇ(^_^;

 「年を取れば誰だって退化する。鈍くなる。緩くなる。くどくなる。(中略)身なりにかまわなくなる。なのに『若い』と言われたがる。孫自慢に、病気自慢に、元気自慢。これが世の爺サン、婆サンの現実だ」。あ〜、いったいいくつ当てはまるんだろう。近所のスーパーへはジャージーで行ってるし、まだ65歳なのにもう立派なそこらのジイサンじゃないか。

 ハナの長女のブログでの人生相談の一節に面白いのがあったので紹介。。
 「32歳の女性です。4つ年上の夫が生活費も入れず、趣味のロードバイクで一人で遊び回っています。2歳の子供がいるので、何度も言ったのですが直りません。でも別れたら暮らせません」
 その回答。
 「すぐ別れなさい。一生直りっこありません。そんなバカ男と人生、無駄にする気ですか。別れたら暮らせないって、今だって生活費入れてないなら同じです」
 内館さん、ロードバイクにお金がかかることをよくご存じで(^_^;

 

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 久しぶりに御殿場から乙女峠を目指した。ブログを検索してみると18年前の夏に一度行っていたこの時はまずスバルラインを往復し、反時計回りに富士山を4分の3周ほど回った後、上っていた。すげぇな、47歳のおれ(^_^; もうそんなライドはできないよ。

 今回は国道246号から向かった。善波峠、渋沢丘陵と越え、松田付近の籠場でいったん246号を離れ、庶子で復帰。山北で再び離脱し、山北駅前、都夫良野、谷峨と通過するおなじみの車のいない国道246号回避ルートを走る。清水橋からまた大型トラックびゅんびゅんの国道264号に出てしばしの恐怖を味わうが、自転車通行禁止の標識のある生土交差点から県道に入っていく。

 この日はいいお天気で富士山も綺麗に見えた。JR御殿場線と鮎沢川に沿うようにして上っていったのだが、常に右手に富士山が見え、それが段々と大きくなっていくというのは気持ちがいいね。


山北町の国道246号から望む富士山



山北の鉄道公園にあるSLのD52



小山町から望む富士山。左は鮎沢川



小山町から望む富士山


 JR足柄駅が綺麗にリニューアルされていてびっくりした。16年に来たことがあり、その時は田舎のローカル線の小さな駅だった。金太郎の像もあったがそれもバージョンアップされ、昭和レトロな雰囲気が一掃されていた。調べると20年(令和2年)に完成したそうで、小山町役場足柄支所を兼ねた足柄駅前交流センターが併設。金太郎像の原画は小山高校美術部が作成し、22年(令和4年)10月に完成とあった。なんだかここだけ別世界。周囲の道も綺麗に整備され、走っていて気持ち良かった。


JR足柄駅



16年7月撮影のJR足柄駅と金太郎像



JR足柄駅。左手上が交流センター



交流センターから望む富士山。ここでお弁当食べるのもいい


 御殿場アウトレットモールを過ぎたところで御殿場線と鮎沢川に別れを告げ、東山湖手前の湖水前交差点から乙女峠に向かう国道138号線に入る。路肩があまりなく、車が後から後からやってくるのがいやになり途中から歩道を走っていたのだが、それもやがて消え、結局、狭い路肩を走るしかなかった。ガーミンにルートを入れてなかったので先が見えず、カーブを曲がれども曲がれどもトンネルの姿はない。10%を超える勾配はないのだが、なぜか結構キツかった。ただ、峠で出迎えてくれた美しい富士山を見ると、疲れも吹き飛んだよ(^o^)

 交差点からピークまでは6.1キロ、平均勾配6.0%、最大勾配9.3%。途中の2.6キロ地点の深沢東交差点を曲がって行く長尾峠は、そこから7.3キロあるが平均勾配は3.8%。急がば回れだったかな。


乙女峠から望む富士山



乙女峠バス停


 6.1キロを40分以上かけて上ったが、乙女峠から箱根湯本駅までの17キロ弱のダウンヒルは約30分。函嶺洞門から先は渋滞していたが、そこまでは車がほぼいなかったので気持ち良〜く下ることができた。

 さて、この日のライドはここで終わり。小田原駅でFCXの輪行練習をしましょう。自宅でやるのと現場では違うからね。一度、勝手知ったるところでやっておかないとということでトライするとこにした。

 折りたたみ自体は10分もかからなかったかな。ただ輪行袋(この日は純正のものではなく、PEKOさんのロード用縦型超軽量輪行袋)に詰め込むのと荷物の整理で、結局ロードと同じぐらいの時間がかかった。


折りたたみ終了



小田原駅ホーム


 かついでみると、重い(約11キロ)(T_T) それに歩きづらい。試行錯誤してベストポジションを探してみたものの、しっくりこないなぁ。こりゃ、刻んで歩くしかないかな。ただ、ロードよりパッキングと展開は速いのは事実。二兎は追えないか。ちなみに小田急線に乗るなら西口の方が近いことを学んだ。

 この日の走行距離は99.3キロ、獲得標高は1213メートル。

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 梅は咲いたかな? ということで1月24日に小田原の曽我梅林へ(^o^)

 中井町へはいつも七国峠(バス停の方。実際の峠は県道を外れた、もう少し上)を越えて行くのだが、この日はなんとなく気になっていた土屋霊園方面へと上ってみた。最初は緩やかだったが、霊園の先に12%が待っていた(T_T) しまった、来るんじゃなかった。500メートルだったが、全てがきっちり12%だった。


土屋霊園の12%坂


 中井町から曽我へ向けては広域農道のやまゆりラインを行き、終盤の田島峠の手前でやまゆりラインを外れ曽我方面(「よるべ沼代」の案内版の所を入る)へと上る。最大14%の急坂を登り切ったところが六本松跡。その昔、ここ千代台地はこの地方の文化の中心地だったそうで、西からの旅人はここに寄り、この道を通って板東や奥羽へ向かったらしい。また、源頼朝が上洛や富士の巻狩の際にこの道を通ったという。蕪村や芭蕉も句を残しているという由緒ある場所。もっとも説明書きは日本語より英語の方が簡潔で分かりやすい。

 ただ、周辺はコンクリート舗装の急坂だらけなんでねぇ。リムブレーキの小径車よりはディスクブレーキのグラベルロードで来たほうが、きっと楽しい。


六本松跡


 まだ上へ上る道もあるのだが、ここからは六本松架橋をくぐって曽我方面へと下る。しかし、この先は滑り止めのドーナツ加工がほぼ麓まで続く、最大18%の超急坂。一度、逆から上ったことがあるが、真っ直ぐ走れなかった。そんな坂は下るのもしんどい。


六本松架橋。この先が超急坂


 その急坂の途中に、箱根の山々を背景に梅林が広がる絶景が待っている。「おーっ」と思わず歓声。でも、綺麗に咲いていたけど、まだ3分咲き程度かな。


曽我丘陵の梅林



3分咲きかな


 この後に2月3日から開かれる梅祭りの会場となる曽我梅林へ行ってみたが、こちらも同じような感じ。当然、人は誰もいなくて寂しい限り。富士山も雲の中に隠れてた。来月、祭りが始まったらまた来てみよう。


正面にあるはずの富士山は雲の中



曽我梅林


 帰りは田島石橋からやまゆりラインを上っていったが、ランチに大磯の肉汁うどんを食べることを思いつき、途中でやまゆりラインを離脱し、二宮経由で国道1号へ出た。前から気になっていたうどん屋さんで一度行ってみたかったのだが、大磯経由にしたもうひとつの理由は、やまゆりラインの後半を上りたくないなぁという、弱気の虫もあった。やっぱり小径車で上り続けるのはちょっとキツいかな(^_^;

 さて、大磯のうどん屋さんは「なぎさ」という。どこに止めようかと悩んでいたらバイクラックがあってびっくり。うどん屋さんらしくない。店内もおしゃれで綺麗で、うどん屋さんらしくない。餃子があるのも、うどん屋さんらくしないねぇ。

 初の訪問なのでおすすめの「肉汁うどん 並」(950円はちょっとお高いかな)とハーフ餃子(3個で350円)を注文。自家製麺のうどんはそのコシに驚いた。歯ごたえたっぷり、モチモチやん(^o^) 餃子も身がいっぱい詰まっていて、一口では食べられない大きさ。もちろん美味しい。満腹やで。また来ようっと(^o^)


バイクラックがあった



「肉汁うどん 並」とハーフ餃子



大磯の「自家製麺 肉汁うどん なぎさ」


 梅見や食事でのんびりし、ちょっと買い物もしたのでグロス時速はガタ落ち。でもなんとか最後に時速15キロジャストと帳尻を合わせたよ(^_^; 走行距離は105.7キロ、獲得標高は1092メートル。

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※山本文緒(1962年神奈川県生まれ。OL生活を経て作家デビュー。1999年「恋愛中毒」で吉川英治文学新人賞、2001年「プラナリア」で直木賞受賞。著作に「あなたには帰る家がある」「眠れるラプンツェル」「絶対泣かない」「群青の夜の羽毛布」「落花流水」「そして私は1人になった」「ファースト・プライオリティー」「再婚生活」「アカペラ」「なぎさ」など多数。20年「自転しながら公転する」で島清恋愛文学賞、中央公論文芸賞を受賞。この1年後の2021年10月13日、膵臓がんのため58歳で死去。)



●最後の1行に心が震えた

 ひとり娘、32歳で独身の都(みやこ)。アパレルショップの正社員として東京で働いていたが、親の介護のため地元茨城に戻り、近所のモールのアウトレットで派遣社員として働く。そこで出会った中卒でヤンキー風の年下の寛一になぜか引かれ、恋愛のようなものが始まる。結婚、仕事、両親の問題……ぐるぐると思い惑う都。「私」で自転しながら「公」で公転し、幸せを求める姿を描く。『小説新潮』掲載に書き下ろしのプロローグとエピローグを加えて単行本化。

 意表を突く豊かな表現力と、読みやすい文体。500ページ近いがすんなりと読めた。

 最終章の最後の都の一言。いいなぁ。自転しながら公転し、すごいスピードで宇宙の果てまで向かっていたのが、ゆっくりとスローダウンし、ソフトランディングした感じ。そして最後の1行に心が震えた。

 書き下ろしのプロローグ、エピローグがさらにこの物語を奥深くしている。とくにエピローグには驚かされた。たどりついた答えも洒落てる。「そんなに幸せになろうとしなくていいのよ。少しくらい不幸でいい。思い通りにはならないものよ」。

 山本文緒さんはこの作品を発表した1年後、58歳で永遠の眠りについた。

 23年12月、都を松本穂香、寛一を藤原季節が演じたテレビドラマが読売テレビで3話完結で放映された。寛一のイメージがちょっと違ったかな。カッコ良すぎる(^_^;

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 今季からJ1に昇格する町田ゼルビアのホームスタジアム、野津田公園内にある町田GIONスタジアムへ行ってみた。ファジアーノ岡山戦で一昨年に訪れたことがあるが、もう一度、アウェー戦観戦の下見ということで昨年末に訪れた。

 別名「天空の城」というだけあって、当然、上る。岡山戦のときは北にある臨時駐輪場(テニスコート)を目指したので上りは少なかったが(その後、徒歩で上ることになる)、今回はピーク(標高120メートルぐらい)の西へ向かった。小野路交差点から1.7キロ、平均勾配3.2%、最大勾配6.3%。試合前からヒルクライムなんてしたくないが、日本平よりはましかねぇ(自転車は途中まででスタジアムまでは行けないが)。

 西から入るとスタジアムは左手にあり、ちょうどアウェーゴール裏付近に出るが、試合当日はこの周辺には駐輪できないのは残念。右手にはテニスの壁打ちがあり、数人がプレーしていたが、平日とあってのどか。しかし、横浜F・マリノス戦、川崎フロンターレ戦、FC東京戦、浦和レッズ戦、東京ヴェルディ戦とか大変な騒ぎになるだろうねぇ。スタジアム最寄り駅は小田急線の鶴川で、直行バスで20分。徒歩だと60分(「セルフ男気コース!!」と意味不明の言葉がクラブ公式サイトにある)。町田からは直行バス(無料ではないらしい)で40分。アウェー側はたどり着くだけでひと苦労だ。ちなみに大昔だが、カミさんと町田からスタジアムのずっと手前のリス園まで歩いたことがある。行きは頑張れたが、帰りは歩くのもいやになりバスで帰った。とてもじゃないが町田からは歩けない。


町田GIONスタジアムの正面



町田GIONスタジアムのメーンスタンド



町田GIONスタジアムのアウェー席


 ここで妙なことに気がついた。スタンドとトイレの間の道にセンターラインが引いてある。ただ、電光掲示板の先にはバックスタンドがあり、どう考えてもそこで行き止まりになるはず。ところが、テニスラケットを背負ったおじさんが颯爽とママチャリを漕いで目の前を通り過ぎ、バックスタンドへ向かった。しばらくしても引き返してくる様子もない。あれ、もしかして行けるんかい。

 行ってみると、バックスタンド1階裏のコンコースが通り抜けられるようになっていた。へ〜、面白い作りになってるんだね。自転車通行禁止という標識はないのでそのまま先へ進むと、ホームゴール裏へ出る。その先も赤いコーンで仕切られ、綺麗にスタジアムを1周できる仕掛けになっていた。1周はあっという間だし、自転車でわざわざ回る人はそんなにいないだろうから、ジョギングコースとして使用されてるんだろう。でも驚いた。


町田GIONスタジアム、バックスタンド裏



町田GIONスタジアム、バックスタンド裏のコンコース



町田GIONスタジアム、バックスタンド裏のコンコースからメインスタンドを望む


 スタジアムがこの周辺のお山のピークというわけではなく、もう少し上らないと鶴見川方面へは脱出できない。帰りは逆の町田方面へ下った方が良さそうだが、メチャ混みだろうなぁ。近くて遠いスタジアムだ。

 それに比べ自宅から平坦7キロのSC相模原の相模原ギオンスタジアムはいいね。発音が同じでややこしいけど。ただ、昨季はJ3で20チーム中18位。J2への道は遠い。

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※桜木紫乃(1965年北海道釧路市生まれ。高校卒業後、裁判所でタイピストとして勤めたが、24歳で結婚して退職し専業主婦に。2児を出産直後に小説を書き始め、42歳になる年に『氷平線』で単行本デビュー。2002年「雪虫」で第82回オール讀物新人賞を受賞。趣味はストリップ鑑賞)



●奥ゆかしく、上品な性表現

 湿原を背に建つ北国のラブホテルを舞台に、客、経営者家族、従業員らの人間模様を描く7つの短編の連作集。『小説すばる』掲載に加筆・修正のうえ書き下ろしを加えて単行本化。第149回直木賞。

 読みながらどこかで聞いたことのある話だなぁと思っていたら、映画化された作品を見ていた。20年11月公開。武正晴監督で、波瑠が主演を務め、松山ケンイチ、安田顕が共演。ただ、ストーリーは一部を除いてほぼ忘れていたが、予告編を見直すと蘇ってきた。映画はひとつの話として作られていたが、原作は時系列が逆転し、廃墟となったホテルから始まり、1作ごとに時間軸が戻っていき、最後はラブホテル誕生のエピソードで終わるという、なかなか斬新な展開。どうしても逆にもう一度読みたくなってしまう。

 舞台がラブホテルなので性表現は避けて通れない。淡々と書かれているのだが、なんとも奥ゆかしく、上品で非常に魅惑的だ。男の女の性愛の切なさを巧みに表していると思う。泣けるというほどではないが、共感できることが多く、あっという間に読めた。「『新官能派』として性愛文学の代表作家」という評価もあるが、まさにその通りだろう。

 モデルとなったのは実在のラブホテルで、桜木さんの父親がかつて経営していた施設の名前をとったという。ホテル内に住まいもあって、学校から帰ると毎日手伝いをしていただけあって、さすがにホテル内のことは詳しい。朝日新聞デジタルの「telling,」でのインタビューが面白過ぎて、他の作品も読みたくなった。「小説『ホテルローヤル』は虚構を描いた物語です。私が経験したことをそのまま書いているわけではありませんが、経験が書かせる一行もあったのではと思っています」。

 まったく関係ないのだが、甲州街道の相模湖沿いに「ホテル・ローヤル」(相模湖ローヤル)があった。大昔(学生時代だったかな?)の深夜には東京12チャンネル(現テレビ東京)でテレビCMも流れていたが、いつの間にか廃業し、現在は廃墟となっている。ちょうど短いトンネルの迂回路にあり、以前は行けたような気がするのだが、いつの頃からか全く入れなくなっている。自転車で通るたび、なんとなく寂しい気持ちになる。


現在は廃墟となっている相模湖沿いの「ホテル・ローヤル」(相模湖ローヤル)。この作品とは全く関係ありません


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 以前から気になっていた、北条氏康と武田信玄が戦った三増合戦場の先にある志田(しだ)峠。調べてみるとダート区間はあるが、走れそうなので行ってみた。

 いつもは中津川右岸の道を行くのだが、この日は才戸橋は渡らずに直進。左岸の道を進んでみた。八菅橋をくぐった先で道は途切れたが、車がほとんど通らないのんびりした道なので今後はこっちを利用しようかな。

 途切れたところから河岸段丘を上っていると「中津層の露頭」発見。今から300〜200万年前に形成された中津台地の基盤をなすもので、このあたり一帯が浅海であったころ、砂が堆積されてできた地層だという。タモリさんが喜びそうだ(^o^)


愛川町の「中津層の露頭」



愛川町の「中津層の露頭」


 上った後は「愛川町の『べた踏み坂』」とも言われる「水道坂」を下る。何もしなくても時速60キロの豪快な坂(^o^) そして目の前にはあいかわ景勝10選にも選ばれた絶景「箕輪耕地」の水田地帯が広がる。その間を真っ直ぐに伸びる「水道みち」。いやぁ、気持ちいいねぇ。帰りはもちろん通らないけど(^_^;


水道みち。奧にべた踏み坂が見えている


 いったん県道に合流するが、すぐに「卵菓屋」の看板のある「峰の原みち」へと入る。農園、養鶏場の間を抜けると正面右に「卵菓屋」。そして左へ曲がって少し行ったところに戦国期最大の山岳戦とされる「三増合戦場」の碑がある。この戦い、結果は信玄の勝利。当初は高地に陣を張った北条軍が有利に展開するが、山県昌景率いる武田の別働隊がさらに高所の志田峠から奇襲すると戦況が一変。北条軍は総崩れとなった。


卵菓屋の看板



峰の原みち



三増合戦場



 その志田峠へは「三増合戦場」の碑の先を右へ上っていく。東名厚木カントリー倶楽部もこの上にあるので車の往来は多少ある。


いざ、志田峠へ


 「残土埋立反対」の立て看板が立ち並ぶ中を上って行く。序盤の勾配は5%前後だったかな。やがて道が細くなる付近から砂利道となった。2日前に初雪が降ったが、幸いにして南斜面だったので道は乾き、ぬかるんだところもなく助かった。下りの北斜面にはまだ雪が残っていて凍結していたからね。


砂利道が始まる


 勾配は徐々に急になっていく。このままだと辛いなぁと思っていたら、道幅が広くなり舗装道となった。結局、砂利道は500メートルほどだったか。ただ、舗装道となった途端、14%とか、やめてくれ。

 その後も10%超の急勾配が続き、標高約330メートルの志田峠に到着。「三増合戦場」の碑からは距離2.5キロ、平均勾配7.6%、最大勾配14%。ピークは道標とベンチがあるだけのそっけないもので、歴史を感じるものはなかった。


志田峠



志田峠。ここを上ってきた



志田峠。ここを下る。左手は立ち入り禁止で絶景は拝めず


 このまま雪の残る北斜面をダウンヒル。直進し続けるとオギノパン本社工場直売店の手前に出るのだが、この日はその手前で右折。韮尾根(にろおね、ニローネとも言うらしい)ふれあい広場前を通る、里山の雰囲気たっぷりの道を経由して津久井湖方面へ。かながわの橋100選の巨大な吊り橋、名手橋(なでばし)まで足を伸ばした。だが、この先は崩落のため通行禁止。Uターンし、帰りは三増峠(トンネル)を抜けて自宅へという、戦国期最大の山岳戦の地を巡るライドとなった。距離70.4キロ、獲得標高は868メートル。


名手橋



名手橋


 この日は幹線道路をなるべく使わず、路地や里山を通るコースを引いてみた。スピードは出ないけど、新しい発見があるので面白い。これぞサイクリングだね(^o^)

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 20インチ小径車のTyrell FCXでロングライドは行けるのだろうか。昨年12月のシェイクダウンでは峠を含む95キロを走ったが、スピードではやや劣るものの快適で問題なし。ではもっと長い距離は? ということで自宅を起点にすると130キロ超になる三浦半島1周(ミウライチ)にトライしてみた。

 コースはひたすら環状4号を南下し、六浦から国道16号へ。横須賀からミウライチをスタートして海岸線を道なりにひた走り、三崎港から油壺を経由し逗子でミウライチコンプリートというもの。横須賀のヴェルニー公園から逗子の渚橋までのミウライチ自体は約60キロ。

 見渡す限り青空のいいお天気で、予報ではお昼ごろには気温が15度近くまで上がるという。しかし、風がきつい。道中では波浪注意報、強風注意報が発令されており、久里浜から野比にかけての海岸線で吹き飛ばされそうだったら断念しようかなと思いながら三浦半島へ向かう。

 JR横須賀駅でスカレーくんに挨拶し、ランチはお気に入りの横須賀ポートマーケット「船主(ふなおさ)」で平日限定の20センチの特大アジフライ定食(1628円)。でも、年取ったかなぁ。食べるのがきつかったよ。完食はしたが、最後は汗だく(^_^; 次回は甘エビたっぷり丼にしよう。


JR横須賀駅前にいるスカレーくん



ヴェルニー公園



「船主」の平日限定メニュー



特大アジフライ定食


 国道16号の神奈川側起点の先の走水小学校バス停横にある破崎(はざき)緑地展望デッキからは、富士山ば〜ん(^o^) いつも思うのだが、ここから富士山が見えるのは不思議だよね。


破崎緑地展望デッキから望む富士山


 相変わらず風は強いのだが、吹き飛ばされるほどではなかったのでミウライチ継続。三浦海岸からは国道を離れ、江奈湾、毘沙門湾、宮川湾とひなびた風景の中を駆け抜けていく。金田からこのあたりがミウライチのハイライト。小径車でもロード同様、気持ち良くペダルが回る。


宮川公園



三浦海岸



三崎港


 三崎港からは油壺方面へ。油壺京急マリーナからも富士山ば〜ん(^o^)。絶景ですな。


油壺京急マリーナから望む富士山


 ランチを食べた横須賀ポートマーケットでのんびりしたせいか、38キロのこの時点でのグロス平均時速が12キロ台。いくらなんでもこれはあかんと、真面目に漕ぎ続け、三崎港手前でようやく15キロに到達。その後は追い風にも助けられ、何とか最終的には距離132キロ(獲得標高954メートル)でグロス平均時速は16.3キロと盛り返した。ネット平均時速は19.6キロ。昨年ロードで走った時は21.2キロだったのでもちろん遅いのだが、悲観するほどでもない。特に疲れもなく、体の痛みもないのでロングライドも問題なさそうだ。ブルベも行けるかな。ギリギリになりそうだけど…。

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※柚月裕子(1968年岩手県生まれ。山形県在住。2008年「臨床真理」で「このミステリーがすごい!」大賞しデビュー。13年「検事の本懐」で大藪春彦賞、16年「孤狼の血」で日本推理作家協会賞(長編及び連作短編集部門)を受賞。ほかに「最後の証人」「検事の死命」「あしたの君へ」「慈雨」など)



●こんなもの書ける人なんだねぇ

 元弁護士で頭脳明晰、抜群のスタイルと美貌を持った女探偵・上水流涼子(かみずる・りょうこ)と、東大出でIQ140、劇団員だった過去を持つ貴山伸彦がタッグを組み、「あり得ない」依頼を鮮やかに解決に導く。「確率的にあり得ない」「合理的にあり得ない」「戦術的にあり得ない」「心情的にあり得ない」「心理的にあり得ない」の『メフィスト』掲載5作品を単行本化。

 柚月裕子の作品をそんなに読んでるわけではないが、痛快なんだけど何となく軽いなぁ、このままの流れで終わっちゃうとちょっとつまらないなと思っていたが、助手の貴山がまるで主役のようになってくる中盤からは、がぜん面白くなってきた。コンビ誕生のエピソードには驚きも。こんなもの書ける人なんだねぇ。

 23年春には天海祐希が上水流涼子、松下洸平が貴山伸彦を演じてテレビドラマ化もされた。僕はアンジェリーナ・ジョリーの顔しか浮かばなかったけどね(^_^; 

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 カミさんのお墓参りの後、そのまま北上し、関戸橋から久しぶりに多摩サイを上流へ向けて走った。目的地は阿蘇神社。多摩川サイクリングロードの起点とされている神社で、自転車のお守りが販売されているのだ。

 多摩サイって富士山見えるのね、ということを今さら知った(^_^; 何度か走っているはずなのだが、今まではまったく気がつかなかった。なので、止まってばかり。


海から35キロ地点。京王線の鉄橋の向こうに富士山



国立(くにたち)折り返しからの富士山



海から41キロ地点。グラウンドの向こうには中央本線の鉄橋。遙か彼方に富士山


 久しぶりに走った多摩サイは、細かいルートをほぼ忘れていたので何だか新鮮。日野橋はたしか野球場の方へ迂回していたはずだが、橋の下がくぐれるようになっていた。ただ、福生の多摩橋と永田橋の間が工事中で走れなかったのは残念。

 多摩サイは下流へ行くとだんだんと人口密度が増えてくるが、上流は人も自転車もだんだんと少なくなるのでいいね。

 羽村市の羽村取水堰付近が「多摩リバー50キロ」の上流側起点。下流起点は大田区(大師橋緑地付近)で、50キロといいながら実際は53キロあるらしい。この少し先に玉川上水を作った玉川兄弟の銅像があるのでご挨拶。


多摩リバー50キロの起点



玉川兄弟の銅像


 ここが多摩リバーの起点(終点)なので多摩サイもここで終わりとこれまで思っていたが、実は少し迂回した先にもサイクリングロードが伸びていた。春は綺麗なんだろうなと思いを馳せながら、今は寂しさしか感じない三春の滝桜から始まる桜並木を少し走ると、右手にサイクリストの聖地と言われる阿蘇神社の小さな鳥居が見えてきた。どうやらここが終点のようだ。

 ただ、ここは神社の南参道で、道がダートな上、最後が階段らしいので舗装道を探す。ちょっと迷いながらも急坂を上ってなんとか崖の上に鎮座する神社を発見し、無事に自転車守をゲットした。MTBに乗り始めサイクリングを始めて20年、ロードに乗り始めてからは18年。今さらだけど、やっとお守りを手にすることができたよ(^o^)


阿蘇神社南参道



阿蘇神社鳥居



阿蘇神社本殿



お守りゲット。500円


 帰路は羽村大橋で多摩川を渡り、 福生〜あきる野〜八王子と走り、御殿峠を越えるコースで帰宅。途中、道の駅八王子滝山に寄り道し、刻みタマネギたっぷりの八王子ラーメン(大盛り850円)で腹を満たす。アツアツ過ぎてスープまで完食できなかったのは無念じゃ。


道の駅八王子滝山



八王子ラーメン(大盛り850円)


 西東京は土地カンがあまりないのでガーミンにコースを入れてたのだが、道の駅に寄り道したため、ナビがおかしくなり創価大の前の坂を往復する羽目になった。ナビって、最初に間違った所へ戻そうとするみたいね。回り道したけどコースに復帰しているのだから、そのまま先へ行かせてくれないかな。融通が効かないなぁ。

 でもそのおかげでこの日の走行距離は100.2キロと大台に(^o^) 獲得標高は842メートル。

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 午後から軽く行けるところはないかな? と地図を眺めていたら東丹沢にポツンとあった「物寄峠」を発見。行ってみるべ。

 飯山森林公園入口の赤い橋(庫裡橋)を渡ってすぐ左へ。小鮎川沿いを少し走り、やがて川を離れて上りが始まった、とい思ったらあっという間にピークにたどり着いた。距離は500メートル少々、勾配は最大でも8%ぐらいだったかな。

 ピークが切り通しだったので道標なんてないだろうと思ったけど、意外や立派なものが立っていた。



厚木市飯山にある物寄峠


 裏に書かれている由来を読む。「物寄峠(ものよせとうげ) 相州大山参拝の街道であり、戦国時代は甲斐の武田、小田原の北条との合戦に際して、物見櫓(ものみやぐら)を造りいろいろの物資を寄せ集めたため物寄(ものよせ)という名がつけられた」。標高100メートルに満たない、険しいわけでもない峠だが、当時は重要な役割を果たしていたらしい。へぇ〜、ちょっと驚いた。

 この日はもう少し東丹沢の山の中を走る予定にしていたが、七沢森林公園を下っているときに携帯ポンプを忘れたことに気がつきUターン(^_^; なので走行距離は51.2キロ。パンクすることなく無事に自宅帰還(^o^)

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※西條奈加(1964年北海道生まれ。2005年「金春屋ゴメス」で日本ファンタジーノベル大賞を受賞しデビュー。12年「涅槃の雪」で中山義秀文学賞、15年「まるまるの毯」で吉川英治文学新人賞受賞。時代小説から現代小説まで幅広く手掛ける。近著に「亥子ころころ」「せき越えぬ」「わかれ縁」など。20年「心淋し川」で第164回直木賞受賞)



●あぁ、もうみんな幸せになってよ

 「傍から見れば、まさに芥箱(ごみばこ)みてえな町ですがね。汚ねえし臭えしとっちらかってるし。それでもね。あの箱には人が詰まってるんでさ」。舞台は江戸の片隅、千駄木町のどぶ川沿いの吹き溜まりのようなボロ長屋。そこで懸命に生きる人々の哀しみと喜びを描いた連作時代小説。NEWS加藤シゲアキの「オルタネート」などが候補になった中で、「かなり圧倒的な票数」で第164回直木賞を受賞。

 全6作のうち5作目まではそれだけで十分読み応えがある短編。だが、その中に散りばめられたいわくありげな表現からすると、最後はきっと重要な脇役を演じていたこの人の謎を解き明かすんだろうと思ったらまさにそういう展開になったが、内容は期待を遥かに超えるものが待っていた。人の思いが心に染み込み、あぁ、もうみんな幸せになってよと思わずにはいられない。涙が出るとはまた違った感動を味わった、とってもとってもいい作品。心が癒された。


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 2024年の走り初めは、1月4日にチョー追い風に乗って久々に湘南平へ。距離は1.51キロと短いが、平均勾配9.1%、最大勾配14%の激坂。

 この日は20インチのFCXでトライ。小径車なので歩みはのろいが、いや、ロードだって遅いが、何とか足つきなしでクリア。タイムは恥ずかしいので秘密ね(^_^;


右手のお山が湘南平



湘南平まで1.5キロ地点



湘南平



湘南平からの絶景


 この日は強風を除けば、お正月らしい、いいお天気。どこからでも富士山が綺麗に見えるという気持ちのいいライドだった。一昨年、昨年とケガと病気で走れない時期があったが、今年は1年間無事に走り続けたいもんですな。


藤沢市遠藤付近からの富士山



馬入橋からの富士山



湘南平からの富士山


 行きは天国だったが、帰りは地獄の向かい風。時速20キロぐらいがやっと。吹き飛ばされそうになりながらヘロヘロで帰宅。走行距離は80.5キロ、獲得標高は583メートル。

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 7歳孫娘の人生初のロングライドは3キロ先のじーちゃんち(^^) リュックも背負ってるのによく頑張ったね。見ている方はハラハラドキドキだったけど、一生懸命ママの後ろを走った。成長したなぁ。

 やんちゃな5歳孫息子と大騒ぎした嵐のような年末年始が過ぎ、ほっとひと息。静かに箱根駅伝見ているけど、ちょっぴり寂しい…。

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 今年も年始めは5歳の孫息子と仮面ライダー。ようやくカードの意味が分かってきました。ベルトにカードを差し込みながら解説してもらいました(^_^;

 明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。



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