2日のFC東京戦は横浜F・マリノスのクラブ創設30周年記念試合だった。
92年4月に日産フットボールクラブが設立され、チーム名を「日産F.C.横浜マリノス」に改称。翌93年5月にヴェルディ川崎とJリーグ開幕試合を戦い、歴史的1勝を挙げた。以来30年。1度だけあった降格の危機を乗り越え、オリジナル10の中で鹿島アントラーズとともに30年間J1で戦い続けている(とってもいい響きですな)。
そのJ開幕戦を実は取材した。Jリーグ立ち上げを追う大型連載企画に携わった関係で内勤ながら「現場へ行ってみたら」とお声がかかった。もちろん本職ではないのでお手伝い程度。満員の記者席には当然入れず、川崎のベンチ裏で立ったまま試合を見ていた。取材自体は試合前にほぼ終わっており、気楽な気持ちで迫力あるシーンをグランドレベルで堪能したわけだが、一番驚いたのは川崎の松木安太郎監督の声。でかすぎ。
その後は公私ともに観戦機会はなかったが、土日が休めるようになった02年ごろから小学生の娘を連れてスタジアムに足を運ぶようになり、03年からは家族分の年間シートを購入。その年の劇的な完全優勝を決めた磐田戦はカミさんを含め家族全員で見て感激を味わった。
そして月日は流れ、安貞桓(アン・ジョンファン)のシャツを着て小学校に通った娘の子供たち、つまり孫たちもマリノス戦デビューを果たした。ただね、一番楽しかったのはコンコースに設けられた遊び場で遊んだことだったんだってさ。試合を楽しむにはもう少し大きくならないと無理みたい。
この日の試合は1-1の後半開始から投入された水沼宏太が好クロスでアンデルソンロペスの決勝弾を導き、東京に2-1で競り勝ち記念試合を勝利で飾った。父は水沼貴史で木村和司、金田喜稔らと主力を形成した「日産のプリンス」。岡田武史の後を継いで指揮を執ったこともある(この時が降格危機だった)。日産といえば「水沼」なのだ。この試合はDAZNで解説を担当。息子が絡んだゴールシーンを冷静に解説しながらも、ポツリと「ぴったりでしたね」と称えた。
それにしても横浜の記事が1行も日刊スポーツにないのは残念(ネットではなく新聞ね)。朝日は水沼でしっかり書いていたのにねぇ。
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