お父さんのマリポタ日記。
マリノスのこと、ポタリングのこと。最近忘れっぽくなってきたので、書いておかないと・・・
?



 3月に誕生した孫娘のお宮参りとお食い初めで、先週末は孫たちと大阪往復1100キロのドライブ。

 途中、大津SAで休憩。懐かしい。2年前のブルベ「いってこいビワイチ1000キロ」以来の琵琶湖。でも記念写真を撮ろうと孫たちを誘ったけど、暑くていやだってさ(T_T)


琵琶湖









 猛暑の中、無事にイベントは終了。百日経って顔つきもしっかりしてきた。だっこすると「にこっ」と笑ったり、あぁ、もう可愛いったらありゃしない(^o^)

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 日曜日は孫とお買い物(^o^)

 あっさりとこれに決定。おい、6年間使うのにそんなに簡単に決めていいのか? それに高いんだぞ、って値段なんか知らないよね。まあ、孫娘は悩みに悩む性格なんだけど、孫息子は一度決めるとぶれないヤツなんでね(^_^;



 最近は受注生産なのね。届けられるのは秋口だそうです。どんなの買ったか忘れそう…。

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 3月26日に誕生した孫娘に会いに孫たちを連れて車で大阪へ。おめめもあいて、かわゆいです(^o^)




 ついでに、でもないけど(^_^;、USJで孫たちと遊び、お初の新世界も訪問。電車であちこちしたので、何となく大阪の地理が分かってきた。









 自宅から長女宅は500キロ弱。そのうち自転車で行ってみるかな、なんて(^_^;

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 今年も年始めは5歳の孫息子と仮面ライダー。ようやくカードの意味が分かってきました。ベルトにカードを差し込みながら解説してもらいました(^_^;

 明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。



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 12月10日で閉鎖となった三鷹の「太宰治ゆかりの跨線橋」。その様子を月曜のNHK首都圏ネットワークが律儀に伝えていた。



NHKテレビより


 名残を惜しむ大勢の人で賑わっていたようで、なんと15日から3日間、渡り納めイベントが行われるという。こんな騒ぎになるなら残せばいいのにと思うのだが、経費がかかり過ぎるのだろうか。それでも階段の一部だけでも残るのはありがたい。でも渡れなくなって困る人はいないのかな?


NHKテレビより


 昨年の日本橋ミステリーブルベで通ったのだが、曇りだったこともあって景色は全く記憶にない。どちらかというと、下の線路ばかり見ていたしね。二度と太宰治が見て小説にも書かれたという景色が見られないのは残念だなぁ。

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 12月8日のNHK首都圏ネットワークで報じた太宰治ゆかりの三鷹の跨線橋。見覚えあったのでもしかしてと思ったら、昨年11月に参加した日本橋ミステリーブルベで鎖骨、肋骨、尾てい骨を骨折しながら、それを知らないまま死に物狂いで自転車を担ぎ上げて渡った跨線橋だった。




NHKテレビより


 キューシートが残っていたので見直してみたが、「陸橋(三鷹跨線人道橋)を押して(担いで)渡る」とあるだけだった。ま、テーマの「鉄道」とは直接関係ないもんね。しかし橋近くに説明書きがあったようだが、気がつかなかったなぁ。体中痛くてそれどころではなかったしね(^_^;




昨年渡った三鷹跨線人道橋。閉鎖1年前の貴重な写真となった


 三鷹市で晩年を過ごした太宰治が好んで訪れた場所で、階段を上って景色を楽しんだという。築90年で老朽化し、10日に閉鎖。12月中にも撤去作業に入る。知らずして由緒ある場所を訪れていたようですな。

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 11月27〜12月1日の週のNHK首都圏ネットワークは相互乗り入れした相鉄線・東急線の沿線特集。その最初の27日は渋谷、武蔵小杉と紹介し、なぜか祐天寺へ戻るという展開。もしやと思ったらやっぱり「ナイアガラ」が紹介された。







以上、NHKテレビから


 ここは鉄道ムードたっぷりのカレー屋さん。実は学生時代に祐天寺に下宿していて、隣の中華屋さんとのローテーションで銭湯帰りに週に2回は食べたかなというお店。当時は本店が駅近、支店がガード下近くの角にあった。通ったのは支店の方で、こちらはカウンターだけだった気がする。店長らしき人が鉄道員の帽子をかぶっていたかな。もう40年以上前の話。

 卒業してからは一度、娘たちを連れていったぐらいで疎遠になっていたが、懐かしくて2年前に訪問した。場所は変わり店も本店だけになっていたが、内装はさらに充実しており、相変わらずカレーを電車が運んでくれて嬉しかったねぇ(^o^)


21年11月にBD-1で訪問



鉄道ムードたっぷりの店内(21年11月撮影)



電車がカレーを運んでくる(21年11月撮影)


 しかし、相鉄と東急が繋がるとは。このおかげで新横浜(日産スタジアム)と浦和美園(埼玉スタジアム)が乗り換えなしで行き来できるなんて信じられん。もちろん時間はかかるけどね(^_^;

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 いきなり気温が急降下した先週にあっさり風邪を引いた。以前なら1、2日寝れば治ったが、もう年なのか、ほぼ1週間の引きこもり(T_T) ようやく元気が出てきたので月曜日に神宮球場へ向かった。明治神宮大会の大学決勝。母校がここまで勝ち上がってくれて良かったよ。


神宮外苑いちょう並木



神宮球場



慶應は三塁側


 ランチには3番目の最寄り駅(徒歩30分)で買った崎陽軒の北海道産帆立応援の「帆立づくし弁当」(1190円)。午前11時過ぎなのに最後の1個だった。


帆立づくし弁当



帆立づくし弁当


 相手は4冠を狙う青山学院大学。先発は阪神ドラフト1位の下村海翔(九州国際大付)ではなく、左腕の児玉悠紀(日大三)。我が慶應義塾大学は初回、3連打で無死満塁の大チャンスをつかむが、4番栗林泰三(桐蔭学園)が三振、5番宮崎恭輔(国学院久我山)が併殺で無得点。その後も0行進が続く。

 慶應大の先発は中1日で2年生の外丸東真(前橋育英)。こちらも4回まで無安打と青学大につけいるスキを与えない。6回2死一、二塁のピンチでは中堅佐藤駿(慶應)がダイビングキャッチの超美技でしのぎ、7回2死二塁には一塁吉川海斗(慶應)が痛烈な一二塁間の打球を横っ飛びで抑え、好守で外丸を盛り立てた。

 だけどね、6回から満を持して登板した下村を打てない。いや、打てそうもない。やっぱ、初回の逸機が痛いなぁ、1点でも取れていればなぁと悔やみながら、タイブレークは10回からだっけなどと早くも延長に思いを馳せた。

 そんな事を思いながら迎えた8回。1死から8番佐藤が二失で出塁。9番外丸はそのまま打席に入りバントで送る。ここで信じられない事が起きる。捕手前に大きく弾んだバントを捕手がお手玉。連続失策で1死一、二塁となり、次打者吉川はストレートの四球。労せずして1死満塁となり、さらに続く本間颯太朗(慶應)もストレートの四球で押し出し。あれよあれよで先制点が転がり込んだ。そして続くソフトバンクドラフト3位の3番広瀬隆太(慶應)の初球もボールとなり、ここで青学大は3番手の広島ドラフト1位常広羽也斗(大分舞鶴)にスイッチ。しかし、広瀬はきっちりと右翼へ犠牲フライを打ち、貴重な2点目。まさかの下村の自滅で慶應大がついにリードを奪った。

 慶應大の先発外丸はその後も好投を続け、終わってみれば三塁を踏ませぬ5安打9三振で完封。2-0で勝利して青学大の4冠を阻止し、4年ぶり5度目の栄冠に輝いた。塾高に続き、大学も日本一。まさに慶應イヤーだったねぇ(^o^) あれ、4回以降は無安打か。よく勝ったもんだね。


優勝の瞬間



マウンドで喜ぶ選手たちとは別に外野手は3人でまず歓喜を味わう



全員が揃いマウンド上で歓喜



スタンドの観客に挨拶


 しかし、下村の乱調は阪神ファンとしては気になるぞ。

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 母校・慶應義塾大の優勝を初めて神宮球場で見たぞ(^o^)

 勝ち点を挙げた方が優勝という決戦となった早慶戦。10月28日の第1戦は早稲田が逆転サヨナラで先勝。王手をかけられたが、第2戦は4-0で雪辱し、勝負の第3戦。天気も良いので観戦に出掛けた。慶應の試合観戦は一昨年の神宮大会決勝(中央学院大に敗れ準優勝)以来だが、早慶戦は10年ぶりぐらいかな。

 外野応援席は開放しないとあったが、試合開始直前に慶應のレフト側にどんどん人が入り始め、応援指導部、ブラスバンドの人数も徐々に増え、試合中盤には半分以上が埋まった。一方の早稲田側は開放する様子はない。観戦した早慶戦で早稲田に人数で勝ったことはなかったので、これには感激した。


試合前のシートノック。右手前の外野応援席は無人



慶應側外野応援席がどんどん人で埋まっていく



7回のエール交換。塾歌じゃないのか



外野応援席にブラスバンドも来た


 そのレフトスタンドへ3番の廣瀬隆太(4年=慶應)が先制2ランを放り込んだ。応援席に近い外野席で見ていてポールの内か外か分からずファウルかと思ったが、三塁塁審がぐるぐる手を回していたので、「よっしゃ! 入った!」。年のせいか、動体視力が落ちているようだ(^_^; ソフトバンクに3位指名されたスラッガーはこれが通算20号となった。

 追加点もホームラン。1点差に迫られた7回、2番の本間颯太朗(3年=慶應)がレフトスタンド最前列に運んだ。これも届かないかと思ったが、フェンスをぎりぎりで越え、目の前のスタンドで大きくバウンドした。この後、齋藤來音(4年=静岡)、水鳥遥貴(3年=慶應)の適時打で2点を加え、リードは4点に。その裏に適時打と犠打で2点差となったが、先発の外丸東眞(2年=前橋育英)を7回途中からリレーした森下祐樹(4年=米子東)が無失点に抑え5-3で逃げ切った。守備で光ったのは遊撃の水鳥。いい肩してたなぁ。


慶應優勝の瞬間


マウンドに駆け寄る慶應の選手たち


マウンド上で優勝の雄叫びを上げる慶應の選手たち


優勝を喜ぶ慶應の選手たち


スコアボード


早慶の選手たちが整列しスタンドへ向かって挨拶


再び喜びを分かち合う慶應の選手たち


 在学していた当時は敵の2学年上に岡田彰布がいた。そう、今の阪神の名将ね。この人、試合前のバッティング練習から凄かった。ホームベースの後ろから打ってるのに、ライナーでセンターへ軽々と放り込んでるんだもんね。モノが違った。ほかに金森栄治なんてのもいたな。なので在学中は1年の秋に早慶戦で勝てば優勝というチャンスを逃して2位というのが最高位で、その後は卒業するまで優勝することはなかった。

 早慶戦も卒業後を含め何度か観戦したが、勝ったことがない(たぶん)。なので、生観戦した試合で初めて早稲田を倒し、初めて優勝の感激を味わうことができたことになった。実はこの日は65回目の誕生日。最高のプレゼントだったね(^o^)

 さて、次は明治神宮大会。塾高に続く日本一を目指そう!

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 阪神タイガースが21年ぶりにリーグ優勝し、初の日本一に輝いた1985年。その年は入社3年目の広告営業マンだった。

 リーグ優勝のかかった神宮でのヤクルト戦は3試合ともチケットが取れた。だが、初戦だけが一塁側だった。恐る恐る席に着いてみると、隣のおじさんに「どっち?」と聞かれる。どうせばれるので正直に「阪神です」というと、「ほんならええわ」。何のことはない。周囲はみんな阪神ファンだった。

 その初戦でリーグ優勝が決まったが、もちろん消化試合となった2戦目、3戦目も余韻に浸るべく神宮へ通った。

 そして迎えた広岡達朗監督率いる西武ライオンズとの日本シリーズ。最終戦までもつれ込むと予想し、チケットは第7戦を抑えた。1、2、6、7戦が西武球場。3、4、5戦が甲子園での開催だった。

 ところが3勝2敗で阪神王手で迎えた第6戦、初回に長崎啓二の満塁ホームランが飛び出し、早々と決着がついてしまった。世田谷のアパートで阪神ファンの友人の弟とテレビ観戦していたが、その瞬間は喜ぶどころか「あ〜ぁ、打っちゃったよ」とため息。最終戦のチケットがパ〜だ。日本一はもちろん嬉しいけど、個人的にはその瞬間を生で見られず残念至極だった思い出がある。

 それから38年。2度目の日本一が目前に迫ってきた。当時はすべてデーゲームだったが、今回はオールナイター。仕事もリタイアしているので、現地へは行けないがテレビでじっくり観戦できる(ブルベも結果的にDNSとなったし)。僅差でしびれる試合になるに違いない。今シーズンの阪神の試合同様に「野球」がたっぷり楽しめそうだ。

 それにしても阪神はここまで日本一はたった1回で、東北楽天ゴールデンイーグルスと並び最少とは(ちなみに近鉄バファローズは0)。リーグ優勝も6回で中日の9回に続く5番目。最下位は2回の横浜DeNAベイスターズ。人気チームなのに結果はまったく残してないことに改めて気がついた。まあ、それでも小学生の時から今まで負けても負けても応援してきたんだけどね。ダメな子ほど可愛い。分かるでしょ、阪神ファンなら。

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 またやっちまったよ(T_T)

 先週の土曜日は午前中に孫娘の運動会、午後からは横浜F・マリノス-コンサドーレ札幌戦観戦と珍しく忙しい1日を過ごした後、運動会の振り替え休日となった月曜日に小学校2年の孫娘、年中の孫息子とじーちゃんの3人でズーラシアに出掛けた。その時の話。





 お昼を園内のレストランで食べることに。孫息子は唐揚げとポテトに惹かれ、お子様セットに早々と決まり。孫娘は最初はオムライスがいいと言ったが、その後ナポリタンにも魅力を感じたようで悩んだ挙げ句、ハンバーグ付きナポリタンに決定。2人が席を取っている間、食券を買ってできあがりをしばし待つ。

 じーちゃんのカツカレーが最初にできあがり、次がオムライス。かかっているデミグラスソースに何となく違和感を感じたが、お待たせと孫娘の前に置く。すると「なにこれ。なんでここにおくの」と言いながらあっちいけする。えっ? ……。そうだ。ナポリタンだった。ケチャップじゃないか。あの違和感はこれだった。でもおかしい。確かナポリタンのボタンを押したはずだぞ。なのに食券はしっかりオムライスとある。あ〜、また大ボケかましたか。

 仕方ない。オムライスはじーちゃんが食べるから(たぶん無理だろうけど)ナポリタン買ってくるよと言いつつ、孫息子のお子様セットができあがったので取りに行き、いったん席へ帰った後、ナポリタンを買いに行こうとすると、孫娘がポツリ。「これでいい。食べる」。「ホントにいいの?」と聞くと「うん」とうなずく。いや〜、7歳なのにこの神対応。まるで天使だよ。でも誰に似たんだろう。

 孫娘はちょとだけ孫息子がハンバーグや唐揚げを食べる姿をうらやましそうに見ていたけど、「ソフトクリーム買ってあげるからね」と言うと笑顔を取り戻してくれ、その後もきょうだい2人で楽しそうに遊んでいた。じーちゃん、ほっとひと息の巻でした(^_^;

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 13日の金曜日に不整脈(心房細動)の手術(カテーテル・アブレーション)が無事に終了。

 午前9時過ぎに手術室に入り、準備されているうちに全身麻酔で気を失い、ふと気がついて時計を見ると午後4時を回っていた。長くて5時間と聞いていたが、7時間を超える手術となったらしい。

 今回で4回目だが、やっぱり今回も手術台に乗った途端に言われちゃったよ(^_^; 「わっ、なに、この日焼け」。

 主治医は手術前に何度も「全力を尽くす」と言っていた、その言葉通り、もうやることが無くなるまで徹底的に治療(焼灼)を続けてくれた。手術後の説明も丁寧で、レポートまでコピーして渡してくれた。専門用語が多すぎて理解できない部分がほとんどだが、もう、感謝しかない。詳しくは言えないが細かいことまで気を遣ってくれ、まさに名医といっていい(^o^)

 だが、その後の集中治療室(ICU)での翌朝までベッド上安静は苦行。右半身、特に右下半身が動かせないので寝返りも打てない。ただ、前回までは体も起こせなかったが、今回は手術後2〜3時間後から30度まで起こしていいという。ICUなのでスマホはできないが、このおかげでテレビが見られ、代表のカナダ戦が観戦できたのはラッキー。でも、昼間たっぷり寝ているので、消灯後は地獄の苦しみ。眠れず、腰も痛い。時間が進むのが遅かったなぁ。

 翌朝、15時間の安静からようやく解放され、ICUから元の部屋へと帰還。トイレと自販機へ自由に行ける幸せを満喫した。おまけにちょうどその日は箱根駅伝予選、セパのクライマックスシリーズ第1戦がデーゲームとナイターであり、特に広島-DeNA戦は延長までやってくれたのであっという間に1日が過ぎたよ(^o^)

 しかし、退院後に体重を測ると1キロ以上増えてる。手術当日は夕方にあんぱんとゼリーを食べただけ。あとはささやかな病院食しか食べてないのに何で太るんだろうね。でもおにぎり2個、唐揚げ2個の夕食でも満腹感を覚えるから不思議だ。


まるでPCでの補給食のような夕食(^_^;


 現在、脈は安定。お願い、このまま!

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 数日前にディズニーランドへ孫たちと行ってきた時の話。

 スティッチ・エンカウンターへ行きたくないという5歳の孫息子と二人で別行動することになり、トゥーンタウン方面へぶらぶら歩いていると左手にお城が見えてきた。「あれ何?」と聞かれたので、「う〜む、何だっけ?」としばらく考えた。そういえば何か新しいのができてたよなぁ。そうだ。ハリー・ポッターだ。確かこんな雰囲気だったはず。するとあれはホグワーツ城に違いない。そう孫息子に説明すると、納得したみたい。特に強い関心があったわけでもなさそうで、気持ちはお土産屋さんに傾いていたからね。

 それをあとで娘に話すと大笑いされた。「ハリーポッターはユニバーサル。あれは美女と野獣!」。あ、そうだっけ? 雰囲気が似てたけどなぁ。ユニバーサルは昨年6月に行ったばかりなので印象が強かったか。しかし、美女と野獣もごく最近に行ったはずだが、あまり記憶にない。でも、どんなんだっけ? とまでは聞けず、「てへへ」と苦笑いしてその場は終わり。


40周年のガチャガチャ。何個も買ってる隣の人が気になる孫息子



孫娘はアンナ、孫息子はアイアンマン


しっかりドナルドと手と繋ぐ孫息子


 でね。帰宅後に写真を見返すと、しっかりお城の中の肘掛け椅子に座ってにっこりする写真が出てきた。日付は2年前の11月。綺麗さっぱり忘れてた。というか、昔からあるアトラクションはわかるが、新しくできたものはどうも覚えられない。これってやっぱり認知症の始まりなのかねぇ。

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 5歳の孫息子から素敵なお便りが届く。

 少し考えてから、あぁ敬老の日かと気がついた。

 宝物箱に入れておこう♪

 僕の父方のじーちゃんは寡黙で怖い人だったけど、遊びに行くと、自転車を漕ぎ、でこぼこで草木が生い茂った細い土手道(当時、今は舗装され道幅も広くなって車も走れる)を走って、神社の前にある近所では唯一の雑貨屋までお菓子を買いに行ってくれた。距離は1キロちょっとだったが、子供ごころに「すげーなじーちゃん」と思ったものだ。もう半世紀以上前の話。

 その孫が今やじーちゃんとなり、同じように自転車で孫のために買い出しに出かけている。歴史は繰り返す。好物は箱根・大湧谷の黒たまご。往復140キロ、1000メートル超えのヒルクライム付きなのでほぼ1日仕事ですな。あぁ、この前は2日がかりで新潟まで行ってカニを発注してきたかな。でもまだ「すげーなじーちゃん」とは思ってないだろうね。

 いつか一緒に走れたらいいな♪

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 8月17日に我が家のプール開き(^o^) と言っても営業は年1日ですが(^_^;

 この日はじーちゃんワンオペでも〜大変。朝早くから準備したのち、孫たちを迎えに行き、近所のモールのおもちゃ売り場で小一時間遊ばせる(買わない)。お昼を食べさせ、正午過ぎからプールタイム。だけど「お風呂になってる」と孫たちが言う。準備が早すぎたようで…(^_^;



 しかし、子供たちは楽しそう。水鉄砲や水風船を使い、いろんな遊びを考えて休むヒマもなくはしゃぎまくる。子供って遊びの天才ですな。

 じーちゃんは日陰に座ってきょうだい仲良く遊ぶ姿に眼を細め、たまにちょっかいを出す。ちらちらと甲子園(ちょうど郷里代表のおやかま山陽の試合)見ながらね。

 3時のおやつにスイカを切り、その後にプール撤収。少しだけどお手伝いができるようになって助かるね。

 で、すべて撤収した後、気がつくとテレビのチャンネルがYouTubeに変わっていたりして(^_^;

 3時間近く遊んだのにお昼寝もせず、お風呂、夕飯の後は二人仲良くお絵かきタイム。ママのお迎えで帰った後、じーちゃんはバタンキュー。嵐のような1日だったよ。

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