生き生き箕面通信

大阪の箕面から政治、経済、環境など「慎ましやかな地球の暮らし」をテーマに、なんとかしましょうと、発信しています。

記事のタイトルを入力してください(必須)

2012-07-19 06:43:03 | 日記
おはようございます。

生き生き箕面通信1318(120719)をお届けします。

・共産党の90年は何だったのか

 共産党は昨日7月18日、創立90周年の記念講演会を開き、次期衆院

選での党勢拡大を確認しました。しかし、実態は党勢のじり貧に歯止め

がかからず、明るい展望を切り開くメドがつかずに苦しんでいます。

 なぜ、党勢拡大の力強い足音が聞こえないのか。その原因を真剣に

分析し、今後の活動に生かす作業は、今回もなかったようです。共産党

はいつもそうです。真摯な総括ができず、その時々の執行部に都合のい

い分析まがいでお茶を濁してきました。今回も志位和夫委員長は「幅広

い連携が空前の規模で発展しつつある。新しい統一戦線を発展させた

い」と、威勢良くブチ上げました。しかし、その舌の根も乾かぬうちに、

「本当か」と疑問が出されるのが実情です。

 いまほど、共産党にとって有利な状況はありません。政権党の民主

党支持率は地に落ち、そうかといって第2党の自民党への支持も上が

らない。結局、第3極として「大阪・維新の会」などがもてはやされる状

況を生み出しています。なぜ、共産党が、不満の受け皿として機能し

ないのか。そここそが、現代の悲劇でもあります。ところが、共産党自

体に、そうした担い得ていないことに対する責任感、力量不足に対す

る反省が欠如しています。

 国政選挙での得票数は、14年前の1998年の参院選が820万票で

ピークとなり、2年前の2010年の参院選では356万票へ半減以下に

激減。日刊機関紙「しんぶん赤旗」の発行部数も1980年代は60万部

を超えていましたが、最近は24万部程度です。08年には、「年越し派

遣村」などに象徴される非正規雇用問題の噴出に連動して、小林多

喜二の「蟹工船」がブームになりましたが、議席数を伸ばすような党

勢拡大にはつながりませんでした。

 野田政権の消費増税ごり押し、原発のムチャクチャ再稼働、アメリカ

のいいなりのオスプレイ配備などなど、いくらでも材料はあるではない

ですか。そして、有権者の間にうっ積する不満のマグマ。にもかかわら

ず、共産党はなぜこうした状況を生かせないのでしょうか。

 根本的には、共産党に対する「うさんくささ」がぬぐい去れず、信用さ

れていないことがあります。長い間、宮本顕治・議長が君臨し、その路

線を引き継いだ不破哲三・議長時代も長く続きました。いまの志位・委

員長も基本的には同じ路線です。たしかに力による革命路線から議会

選挙を通じての穏健な民主主義路線に転換したと言っていますが、宮

本氏以来の体質は変わっていません。宮本氏はかつては同志を総括

で殺したという疑いが持たれましたが、戦後のどさくさのなかでいつの

間にかうやむやになりました。戦後も、激しい党内闘争のなかで、対立

する仲間を「日和見主義」「修正主義」と次々にレッテルを貼って追い出

しました。核実験でも当時のソ連の水爆実験は「平和のための核実験」

と認め、日本の原水禁運動を分裂させました。1960年の「60年安保闘

争」でも、国民的な盛り上がりを定着させることはできず、その後、運動

のエネルギーが消え去るのを手をつかねて見ているばかりでした。真摯

な総括ができないから、運動論でも、組織論でも、蓄積がありません

 かつてはいわゆる文化人の間に根強くあった「共産党支持」が、いま

は文化の分野でもほとんど影響力が薄くなりました。

 共産党の90年は何だったのか。今一度、根本から見直し、時代を見据

えた活動方針を実行に移さなければ、10年後の創党100周年は「葬党」

のセレモニーになりかねません。