いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

さて、何の拡大画像でしょう? 

2010年07月25日 19時44分36秒 | その他

さて、何でしょう? ある食材の拡大画像です。
口に入るときの形態がちょっぴり残っています。














おこたい;



かつおぶしの切削断面です。





昨日の記事でかぼちゃがちっちゃくしかならなかったと書いた。
あの後スーパーに行ったら、ちびカボチャが売っていた。
もしかして、あのカボチャはそもそもこの種のものだったのかもしれない。

▼(ベタな)ツッコミ;

Chikirinブログ;縄文人の勝ち

「そんな状態でもオレは幸せだった。」と各時代の人が言うんだけど、根拠なし。”オレの時代に比べて、今の若者は幸せのありがたみがわからないバカ野郎だ!”という愚痴は根拠ある。よく聞くから。ちなみに、目の前にある現象が過去の時代も生じていたはずだという思考方法を斉一説という(wiki)。

江戸時代より前の前近代の人たちは自分の経験の範囲内での世代間格差がなかったので、”オレの時代に比べて、今の若者は幸せのありがたみがわからないバカ野郎だ!”と思わなかったのだろう。さらには歴史的知識もないのだから、過去と現在の自分の生活状況をそもそも比べられない。

(この時代ごとスライスというのも、みんなが抵抗なく受けい入れるが、実は根拠なしの観点だよね。経済・社会的条件(物質的・快楽主義的条件)は人間の幸・不幸に大きな影響を及ぼすのだろう。一方、実存的観点での、幸・不幸という問題もある。いつの時代にもヨブはいるんだろうし。

全然関係ないけど、おいらなんか耶蘇・猶太でもないのにひどい皮膚病に襲われちまったぜ。これも、サタンの仕業なんだべか。それにしても、おいらはがきんちょの頃から天を呪っていたのに今さらなすてサタンさまがいらしたか謎ではある。)

一方、「今の若い者はなっとらん」とメソポタミアだかどっかだかの文明の石碑に書いてあったらしいので、若者が幸か不幸かという観点ではなく、若者へのぐちはいつの時代もあったのだろう。

おいらの極私的感想としては、今の若者かわいそう、である。なぜなら経済成長がないせいで、窮屈を強いられているからだ。今の若者のかわいそうな点は与えられた愚行権があまりに少ないこと。みんな愚行という遠回りなどせず、一直線だ。就活なんて単なる椅子取りゲーム。時間・労力・根気の消耗合戦。自分が充実するわけでもなかんべ。愚にもつかないことを強いられている、愚行権もないのに。

でも、世間知らずの是正、"偉くなれる"最低権限、(非正規こき使っていい給料の)正社員という"貴族"身分などを確保できる。喪失と成熟!。でも現代日本の(非正規こき使っていい給料の)正社員って全然"成熟"してないと、おいらはぐちりたい。

バブル(という言葉は当時なかったが)の頃学生だったおいらが幸せだったのは就職なんて(簡単すぎて)考えなくてよかった。安心して"貧乏"ができた。世の中が"豊か"だったからだ。景気がよかったからだ。世の中をなめていた、今もなめている。世間知らずだ。ちょっとその気になれば職なんてすぐ就けると考えていた(し、事実そうだった)。ちょっとその気になれば"貧乏"なんていつでもやめられると考えていた。

でも今、40過ぎてバイトでびっくりだ。罰が当たったのであろう。でも、別にバイトでもいいけど。



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