いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

皇居睥睨

2010年07月13日 20時00分21秒 | 東京・横浜
【Fig.1】 【Fig.2】【Fig.3】

先週の平日、東京に遊びに行く。日本ブルジョア村に臆面もなく出かけ、三菱一号館で「マネとモダン・パリ」展を見物(Fig.1)。開館時刻の10時頃行ったのだけれど、行列。中は満員電車状態。パリ万博の時代の産業建築の写生設計図などを、遅れて産業化を開始したブルジョア成長の地の一号館で見る。なお、偽毛唐国家開始の象徴の赤レンガ東京駅は改修中だった(Fig.2)。昼ごはんは新丸ビル7階で1000円パスタランチ。たぶん1000円の内食材費100円、人件費200円、家賃300と見た。ビルのテラスからの眺め(Fig.3)、おもわず皇居を睥睨してしましました。ゆるしてください。

【Fig.4】【Fig.5】

午後は国立新美術館に行って、オルセー美術館展2010「ポスト印象派」を見物(Fig.4)。入場のために並ばなければならないことはなかったが、中は激混み。あまりの人ごみなので、アンリ・ルソー、『戦争』1点に絞って注視。すると、さっき皇居を睥睨したバチが当たったのか、内親王に討伐される幻想を見た。その後東京駅は八重洲口へ戻って、ブリジストン美術館に行く。マネ、ポスト印象派の後に本丸の印象派。よかった、ブリヂストン美術館。何がって、人がすぐながっただよ。あづましい、あづましい。例えば、 シスレーの2作品が並んでいる;『 森へ行く女たち 』1866、『 サン=マメス六月の朝 』 1884 。この2作品は印象派革命の前後の作品。シスレーの変遷を展示。

常磐線がまだ座れる時間に帰る。この日も山手線から常磐線に直行したおいらは猪熊センセの作品に拝することなく上野駅を発ったのですた。おすまい。(オルセー美術館って元は鉄道駅だったのです。元鉄道駅が美術館。上野駅は現役鉄道駅で絵が掲げてあります。)