昨日の記事は、宮古島から沖縄本島への飛行機からの画像。 明治維新直後、日本と清が国交を樹立して、国境を確定しなければいけないとき、つまり、琉球王朝の処分を日清でどうするか決めなければいけない時、宮古島と石垣島は清朝に属するという案があった。
もしそうであったなら、日清の国境は、昨日に記事で越えた、沖縄本島と宮古島の間となり、宮古島の住民は清朝に属するはずであった。しかし、実際は史実のように、明治薩長政府、大久保利通は、遭難して台湾で殺された宮古島の住人の事件を理由に、台湾に出兵、琉球本島から台湾まで続く諸島の列弧において、その国境は石垣島と台湾の間に、とりあえず、決まった。 台湾が日本領になったのは日清戦争のあと。
さて、日露戦争のとき、ウラジオストックを目指して北上したバルティック艦隊は、宮古島と沖縄本島の間の海域を抜けて、太平洋から東シナ海に入った。下記リンク「久松五勇士 解説」の地図参照。そのバルティック艦隊を発見して、通報せんと石垣島まで、下記画像の大きさの船を10時間以上漕いだというお話。
画像では船の大きさの実感がわからないが、下記リンク先の写真参照;
久松五勇士 解説
なぜ、日帝庶民はこんなに けなげ なのだろうか、といつも思うことを、罰当たりなおいらは、今日も考えたのでした。
海は本島にエメラルド色で、この画像では再現できていません。今になって、デジカメに海浜モードがあったって気づいた。
ラザフォード (伝承)
へえー。
だからダメなんだよ! ぶちゅりがく。
▼おいらは「切手あつめ」に専念するよ。 南の島の空の雲シリーズ。
▼物理学辞典引いてみた。果たして、丸善の『物理学大辞典』には、「雲」の項そのものがなし。 もっとも、培風館の物理学辞典には「雲」の項はあった。
つまり、雲が「見える」物理学者と、H2Oの固体としか理解できない、つまり「雲」が見えない物理学者がいるのである。
言葉は存在の棲家である;ハイデガー。
↓培風館の辞典
「物帝」非主流派
-- 恥の一字を以って人を激励す -- 松陰
1977年4月22日、水俣病患者に土下座する環境庁長官・石原慎太郎
■ここのところやたら耳につくのは、政治家が順法さえしていれば、なんら問題ないとの、政治家自身たちの声である。 筆頭が第二愚民党の小沢党首。 あれは、政治活動を隠れ蓑にした「不正」蓄財だろう。 そして、愚民本流の松岡大臣。 その違法でないならいいだろうとの、てんで恥ることのない振る舞いはまことに立派であるといわざるをえない。
■違法でないならいいだろう、とおっしゃられるのは、何も角栄嫡流の小沢一郎ばかりでなく、むしろ、政治流儀といささかでも政治路線において対極たらんと勤めてきた石原慎太郎センセも、ついには、余人をもって替えがたい才能をお持ちの御子息の縁故業務委託問題について、違法なんですか!?と開き直る始末である。
必要があらば、法などというものを踏みにじることこそ、慎太郎センセの意気込みと売りではなかったのか?
すなわち、息子の問題はるか以前から、そして、その息子問題がほとぼりが冷めた最近、石原センセは、現行憲法なんてのは、根拠がないのだから、破棄すればいいんですよ!とおしゃっている。 実は、おいらは個人的には全くそのとおりと思う。
(おまけ; 北朝鮮外交を担当した外交官の家に爆弾が仕掛けられたとき、当然であるとおしゃった。つまり違法の典型である犯罪を「賛美」したのに。息子の問題でしゅんとなり、どこが違法なんですか?と逆切れした慎ちゃん。これは、大ワライ。)
■だけんども、そういうことを言っていいのは、草莽微賎の特権である。かりそめにも、現行マッカーサー憲法に則って国務大臣・長官を歴任した人間はそういうことを言ってはいけないのである。なぜなら、てめーがデージンになるときは憲法を盾にとり、気に入らないと、改正ではなく、破棄しろというのは、誠に子供じみているといわざるをえないからだ。
しかし、その子供じみた、単純なところが、彼の政治化としての人気の源泉にほかならない。その場、その場で子供じみた単純な至誠がたぎり、政治パフォーマンスをしてしまうのである。
▼上記画像は1977年4月22日に、彼が環境庁長官であった時、水俣病の患者に土下座している写真。
彼はまた、衆議院議員を電撃的に辞めるとき、国会演説で、自分の政治生活を振り返り恥ずかしいといった。恥を知る者は幸いである。しかしながら、今、もっと恥ずかしい、馬鹿親ぶりを発揮している。
一方、300万票を取った頃、つまりは得意の絶頂の頃、三国人と言った。さらに、それ以前から、となりのあの国を支那と呼んでいた。 当時は別に問題ないと抗弁していた。(おいらもよいとおもう。) それなら、今だって言えばいいじゃないか!? 支那の北京オリンピックとかさ。
結論を急ごう。慎太郎チャンは、右翼でもなんでもなく、その場、その場で、受けそうなことをしているのである。 ただし、その場での誠を、おいらは決して疑わない。そして、その政治技術、すなわち、政治パフォーマンスが、あまたいた政治家の中でとびきりぬきんでいたことは、後世の歴史家から見ても明らかである。あまつさえ、いささかなりとも、文芸によってもそのメッセージを残したことの意義は大きい。
しかしながら、いささかなりとも、この副詞的表現を多用することをお許しいただきたいのだが、難点を指摘させていただくと、現行憲法批判、既成政党非難、そして、No!といえるでおなじみの対米批判といい、現実に慎太郎チャンは、一度たりとてその批判する対象の庇護から踏み出したことが無いことは確認しなければいけないことである。これは、大江センセの御子息並みの「お坊ちゃま」であることに他ならない。 つまりは、虚仮おどしの主張でしかないことは、これまた、痛恨の真実ではある。
虚仮おどしのことをいつもその場、その場で言っているので、言ったことを、鳥のように3歩(さんぽ)歩くとわすれちゃうのである。 これも、慎チャンが「最終解決」を謀ったカラスの呪いにほかならない。
オチとしては、出来すぎである! (偽)日帝企業・重工! 談合で謹慎中!
笑って、昨夜は眠れなかった。
■
さて、(いか@サマ)日帝企業の重工サマが蠢動(しゅんどう)するとき、これまた(いか@サマ)日帝婦人会の我らが<素敵な奥様>も蠢動する。 平成の世の「靖国のママ」である。 こういう達観した態度こそ、平成的日帝婦人会の素敵な奥様の存在形態に他ならない。 これは、
だから私は試験を否定はしません。一度決まったことにとりあえず従います。でも盲目なわけではありません。
目を見開いて国家が自分達に何をしようとするのかよく見ておきます。子供にもよく見せておきます。
日常茶漬事 絶滅寸前哺乳類の記録;2007/03/14 (水) ぶつぶつ、、
に、典型的に見られることである。
■われらが素敵な奥様は丸山眞男センセが大好き。 たぶん、「通奏低音」(爆)は同じ。上記の「達観」。
ああ! 丸山センセ。 おいらは丸山センセの思想なぞ理解もできないんだすが、ただわかることは、えらそーなこと言ってても、そしてトーダイのセンセでも、日帝一等兵!
これは、おーわらいだろう!
そもそも、なんで日帝侵略兵士の、御政談を、みんなはありがたがるのかねー?
それは、米英撃滅国民大会を主催した朝日新聞を、いまでもありがたることと同じか。
→大好き→
たぶん、さぞかし高尚なシソウのお持ちの丸山センセも、出征なさるときは、上記の素敵な奥様と同じ<達観>で、おでましたと、邪推する。 そして、日帝一等兵として、あの日、廣島郊外で、あの閃光を「よく見た」のであった。さらになぜかしら、上官は丸山に被災地救援の任務を解いて、マルヤマに被曝の惨状を「よく見る」ことを不可能にした。
我らが素敵な奥様は、畏れ多くも、靖国のお孫様である。 おいらのように確認できる範囲では一族にただのひとりも靖国の御英霊を持たない、日帝下層民と大違い。
●
さて、googleのイメージで、靖国の母で拾った画像である。
何が入っているかもわからない白木の箱を抱え歩く母。 そして、それにコウベをたれる「善良」な日帝臣民。
それにしても、というか今日改めて気づいたのではあるが、なぜ、靖国の親は「靖国の母」だけなのだろうか!? なぜ、「靖国の父」がいない!?
つまりは、日帝パパは、みんな、聖ヨゼフたれ!ということなのだろうか? 靖国の英霊は、日帝庶民パパの子ではなく、カミの子=英霊なのである。産み出した母体である「マリア」さまだけで十分なのであえる。
白木の箱を抱えるマリアさま! ソノアヤコ先生もびっくりである。
ああ! つまりは、ぬっぽん男児は、聖ヨゼフたらんことを要請され、すなわち、
なま・なかだし
を禁止されているのである。
やっと、わかった! 少子化の原因!
Google; 聖ヨゼフ 童貞
それは、靖国・ヤソ連合軍の陰謀なのだ!
↑やっぱ、こやつら!
▼今日も、闘いうどんを啜れ!
おいらにできることは、素敵な奥様のお子様たちの運命に対し、ただ、コウベをたれることだけだ。 そのクビに、何をぶらさげて、将来、素敵な奥様がわれらが日帝臣民の前に現れるかわからない。 ただ、靖国の玄孫さまであらせられる素敵な奥様のお子様の 幸せ を祈ることだけだ。 くりかえすと、おいらのできることは、ただ、コウベをたれることだけだ。
でも、セーラー服はよしておく。
闘いうどんは、コウベをたれて、啜れ!
三菱重工、米で原発2基受注・総額6000億円
三菱重工業が米電力大手、テキサス電力から大型原子力発電所の建設を受注することが内定した。出力170万キロワット級の大規模原子炉2基を納入、受注額は6000億円に達する見通し。2015年にも運転が始まる。米政府が約30年ぶりの原発建設再開を決めたことを受けた商談。日本企業が米国で原発を単独受注するのは初めてで、日本が独自開発した原子炉の海外輸出の第一弾ともなる。国内市場を主体にしてきた日本の原発メーカーの海外展開が本格化する。
世界の原発市場は原油価格の高騰や温暖化ガスの削減などに対応するため急拡大する見通し。今後25年で、インドや中国などを含めて少なくとも150基が新設され、30兆―40兆円の需要が予想される。1979年のスリーマイル島での事故以来凍結してきた原発建設を再開、今後15年で25基の新設需要が見込まれる米国市場はその先駆けとなる。 (07:00)
なかなか、考えるところ多し。
■「昭和32年8月27日,原子力研究所東海研究所において,JRR-1(原子炉の名、いか@註)により初めて、原子の火が「ともった」と表現される、核分裂・臨界制御の成功が日本でできた。 廣島原爆から12年、そして、その昭和32、1957年からちょうど半世紀。 われらが、ぬっぽんは、核攻撃受けて62年後、その核攻撃の張本人に、原子炉を売れることとなった。
石油による火力発電所もろくになかった時代に、ぬっぽん政府が、なぜかしら、原子力技術開発に取り組んだことは、以前に言及した; 幽玄 @筑波山麓
国策としての原子力技術開発は、政府(補助金・スポンサー)と、えすたぶりっしゅめんと系メーカーとの、ずるずる・べったりの物語であった。昭和37年度 原子力白書 昭和38年7月 by 国務大臣 原子力委員会委員長 佐藤栄作 をみると、日立・三菱重工・東芝など、錚錚たる日帝企業のお歴々に他ならない。 丸の内サディスティクス
最近の報道によれば仁科芳雄(戦時中原爆開発を目指した物理学者。湯川秀樹や朝永振一郎らの前の世代の研究者。日本での原子核物理の開始者。)は核分裂の原理そのものをわかっておらず、ぬっぽん原爆開発はとんちんかんであったとのこと。この報道は、ぬっぽん核開発者は理論的にとんちんかんであったばかりではなく、技術的にもウランの濃縮が全くできていなかったという両面において、さらにはマンハッタン計画との比較により、月とスッポン以上の差があったことをあわせて、ぬっぽん核開発は田吾作でしかなったことを、あわれなぬっぽんにいつものことではあるが、改めて直視せねばならないことをおいらに知らせた。
そんなぬっぽんが、昭和32年に核分裂に成功したのは、第一に廣島の強烈な事実認識、と第二に米国からの技術の「パクリ」であろう。たぶん、その当時、核技術をぬっぽんに恵んでやった米国人で、半世紀後に、祖国が発電用原子炉をこの敗残国から買わねばならなくなると思ったものはいないだろう。
さらには、税金だの電力料金の一部を食って生き長らえてきた原子力技術が、半世紀を経て、外貨を獲得し、納税するのである。 ああ! すんずられない!
■自由と専制
最近、それこそ米国由来のネオリベ経済思想を振りまわして、「ぬっぽんは官僚支配の『共産国家』である」とぐちるものがあるが、その『共産国家』こそが発電用商業原子炉を生産するシステムを保持しているのであり、自由放任を建前とする米国でこそ、原子炉を作れなくなっているのである事実にも言及し、かつその事情と是非を説明すべきである。
原子炉以前にエネルギー供給を自由化した米国で、市民への安定した電力供給がなされなくなったことは周知のことである。 これは、米国流の「自由主義」の限界の典型例である。市場原理にまかせたら、原子炉供給者がいなくなった米国!
こんな指摘に対し、ネオリベ・市場原理主義者は、「だから、市場にいた三菱重工から自由に原子炉を調達したのだ。間違っていない。」というかもしれない。
ブーー; まつがい。
なぜなら、三菱重工はその存立を、自由市場であぶないときも、政府・官僚とのずるずる・べったり、具体的には防衛予算の注入・護衛艦だの戦車だのの市場価格がないものの政府買い付けでその社稷を保ってきたからであり、原子炉の供給もこの「財閥」・政府癒着の産物に他ならないからである。
▼ わが国最初の原子の火と昭和32年の茨城県東海村の原子炉のことを表現するが、
わが国最初の原子の火は 廣島 だろう!と思う方は、ぽちっとよろしく。
後においらのものとする
世良修蔵 (参考記事→ 『羊をめぐる暴言』)
なぜ、猫は獲物を律儀に、自分のえさコーナーに、持ち帰るのだろうか?
気をつけろ! その黒猫は長州のマワシモノだ、と思ったら、ぽちっとよろしく。
なぜ、猫は獲物を律儀に、自分のえさコーナーに、持ち帰るのだろうか?
薩摩篇はこちら; 南洲顕彰館