いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

They look just like two Gurus in drag ! 西のグル、北のグル

2005年04月13日 21時16分36秒 | 日本事情



グルとは英語のguruで日本語訳は「導師」が当てられる。普通のガッコのセンセとはちょっとちがう。

ひとりの人間のもとに後世名を残す人物が同時に集まり、輩出されることがある。

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吉田松陰、松下村塾。幕末のテロリスト学校。生き残ったテロリストたちは後に宰相などになる。

高杉晋作、久坂玄瑞....桂小五郎...ずーっとちんぴら度がまして、伊藤博文、山縣有朋。

松陰は玄瑞にアメリカ使節など、元寇の北条時宗にならい、切り捨ててしまえという。

実績;●久坂玄瑞は孝明帝を奪取しようと御所を襲撃。日本史上屈指の暴挙である。ちなみに玄瑞は靖国の御霊である。蛤御紋の変。

●英国公使館襲撃。1862年、高杉、久坂、井上聞多、伊藤博文は、攘夷として、英国公使館を全焼させた。

↓松下村塾。ほったてごや。日帝発祥の地。 朝鮮人や支那人が見たら、こんなのにやられたんか!と驚くだろう。


そこにいた猫。 ねこに罪はない。


才なく、学おさなく、華なし。 

↓おれきれき、です。


実は彼らは きちがい なんです。
おいらが最初彼らを知って調べたとき、外国船に砲撃するわ、英国公使館を焼き討ちするわ、老中暗殺を企てるわ、こいつら きちがい だな!と思っていたら、なんと!松陰は 狂 をキーワードに掲げ、山縣はそれに呼応して号を 狂介 と称していた。それを知ったとき、おいらは、舌をまくやら、恐れ入るやら....。

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クラーク、札幌農学校。

ほったてごや とは大違い。 官費で建てました。


輩出したおれきれき;新渡戸稲造、内村鑑三、宮部金吾、町村金弥などなど。

新渡戸稲造:南部藩士子弟。英語の著書『武士道』はあまりにも有名。内村鑑三:前橋藩士子弟。著書『代表的日本人』は有名。2人とも他者(外国)に向けて日本を表現している。宮部金吾:植物学者。出身は、おいらは、調べ切れてない。町村金弥:越前藩士子弟。近代畜産業の父。

とまれ、正当派武家の子弟が、サムライ廃止後、ヤソ教徒になった典型例のおれきれきである。町村はヤソか知らないが。彼らのヤソ教への入信にはクラークの感化があったのであろう。しかしながら、彼らだけでなく、特に旧「佐幕」、武士にキリスト教徒になる例が多い。つまり、武士のエートスとキリスト教のエートスに共通のものがあったのであろう。

クラークは手紙か手記に彼らよりむしろアメリカの青年の方が野蛮ではないかと思うこともあると書いているらしいが、クラークが出会った日本青年は武家の極め上質な、勤勉で禁欲的な、青年たちだったのだろう。彼が松下村塾の青年を見たらぎょうてんしたであろう。ちなみに、クラークのボスは黒田清隆であり、これまた新渡戸や内村に比べたら救いがたい 俗物 であったろう。酒乱癖で、よめハンを斬殺したとうわさされていたことは以前書いた。

と書いたが、実は、新渡戸稲造、内村鑑三、宮部金吾、町村金弥などは二期生であり、クラークの直接の薫陶は受けてないらしい。でも、本には一期生を通じ感化されたとも書いてある。