いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

闇に顕れ生きる

2007年06月14日 20時37分48秒 | 日本事情
少し前のことだが、つまりは憲法記念日の頃、おいらより10歳くらい年上のおじさん2人と話した時、山口判事の話になった。なった、というかおいらが振った。そのおじさん二人、日本のほとんどの人が名前を知っている大学を出で、年収千万以上もらっているに違いない状況のお人たちなのだが、山口判事を知らんかった。

なんで、そんな話になったかというと、昨今話題の

コンプライアンス

について話したから。コンプライアンスの杓子定規の適用で現場では現実にことが運ばなかったり、経営陣の都合のよいように杓子定規に適用され、多少なりとも不合理であるとの批判が出始めている。


 ちなみに、なんでおいらが山口判事を思い出したかというとちょうど憲法記念日の頃日本が法治国家であるかということや、日本人の順法精神を夜中にふとかんがえると、そういえばぬっぽんずんというのは、みんな闇米食って生き延びてきているんだな、と改めて気づいたたからにほかならない。つまりは、 「戦争に負けて天皇から赤ん坊まで闇米食うて生きてきたんじゃ。何が法律じゃ!」である。

コンプライアンスの話はおきざりにして、今夜は 闇 の話をする。「戦争に負けて天皇から赤ん坊まで闇米食うて生きてきたんじゃ。何が法律じゃ!」の件だが、ぬっぽんずんは、案外、知恵があるのではないかと思う。ただし、闇の世界で。その戦後の食糧難の時代、貧困層において餓死者が大量に出たという史実はない。つまりは、ぬっぽん人は 闇社会でこそ、貧乏人に至るまで、脱法をしながら、きちんとお互い餓死しないように食料を分配しあっていたなによりの証拠である。われらがぬっぽんずんの本領は闇にあるのではないか!?

「戦争に負けて天皇から赤ん坊まで闇米食うて、『みんなで天皇陛下から、赤ん坊まで闇米をお互いその出自や所得にかかわらず、均等に分け合って、そして、食うて』生きてきたんじゃ。何が法律じゃ!」、なのである。

一君万民、一+万民=みんなご飯食べるぬんげん、マンセー!。


大々々々々々々々々皮肉なのは、ぬっぽんずんで唯一人の順法の人・山口判事ひとりが、餓死した。山口判事は法曹界ではさぞかし恨まれているだろう。なぜなら、彼の餓死こそたの法曹人たちが闇米を食って生き延びていたことを示すからに他ならないからである。

さて、上記の10歳年上のおじさん。初耳である、おいらの山口判事についての説明を聞いたあと、法律の目的は社会や人間が幸せに生きることであるので、順法で餓死するとは本末転倒とのコメント。

よかったね、法曹界の人たち。


漫画一、もとい、万が一、おいらは子供を持つつもりは、さらさらないのだが、万が一子供を持って、そやつが検察官なぞになりたいなぞといったら、その場で一家心中である。恥知らずに育ったからである。つまりは、子供にぬっぽんはいかなる社会であるか全然説明してこなかったことを示すからである。それにしてもこんな社会で今日も検察官をやっているぬんげん、あるいは成りたい人間、そしてそんなぬンげんを産み育てる御仁がいるなんていうのは、まあ、大ワライである。なんずらの親やじっちゃん・ばっちゃんはみんな闇米食って生き延びてきたのである。ワラエルだけならいいが、こういう愚劣なぬんげんがいるから、イマダニ、ぬっぽんはぬっぽんであるのであるが......。薄汚いことをやっている自分を欺瞞して、平和だ民主主義だと偉そうなことを言う。それが ぬっぽん ずんだ。

公安関係者で法曹者である御仁が朝鮮総連がらみの取引で、何かとてつもなく 闇っぽい ことをなさったという、まだ詳細がわからない報道を聞いて、がんばれ! ぬっぽんずん! 君こそ日本人(支那文字)!、と「いか@サマ杯・日本人(支那文字)大賞」に勝手にノミネートしたおいらであった。

蛇足だが、米穀通帳 (ハルノートちゃうで)が正式に無くなったの中曽根内閣のじだいである。おいらのスカイラインが既に製造された後ではないか!



闇に顕れ生きる、おれたち、ぬっぽんずん、なのさ。

Google; 闇に隠れて生きる


おいしかったよ!、闇米。










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