いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

新しい街でもぶどう記録;第237週

2019年05月25日 18時42分03秒 | 草花野菜

■ 今週の看猫

■ 今週のよその猫


大佛次郎記念館、横浜市中区、港の見える公園内

■ 今週のよその犬

■ 今週の武相境斜面

■ 今週の日の丸

■ 今週の道場


横浜市中区、元町公園

■ 今週のベンチ


横浜市中区、元町

■ 今週のコスプレ

■ 今週の花

■ 今週の「20世紀の成仏のために」、あるいは、米陸軍第8軍第95軽戦車中隊


神奈川近代文学館、企画展「没後20年 江藤淳展」

見出しを「昭和の成仏のために」しようと思ったが、やめた。理由は、江藤は平成に入って「我ハ先帝ノ遺臣ニシテ新朝の逸民」といいつつ、昭和の回顧(『昭和史』、『昭和の文人』、『離脱と回帰と』など)の本を出したり、政策科学的本(『日米安保で本当に日本を守れるか』)を出したり10年活動して21世紀になる前に死んだのからだ。

4月末に出た平山周吉、『江藤淳は甦る』を読んで、この展示が行われることを知った。

展示は生い立ちから彼の活動期ごとの原稿や写真があった。内容は平山周吉、『江藤淳は甦る』を読んでいたので、特にびっくりすることはなかった。なので、少し驚いたことを書く。

林達夫の江藤淳あての手紙があった。家に帰って調べると、この手紙のことは既に雑誌で報告されている(新潮45 2016/1)。展示で見たその手紙の内容をおいらの記憶で書く。1968年に書かれた手紙。手紙は平凡社の社用便箋に書かれている(社名が横文字で書かれていた)。江藤を大江健三郎と共にその世代の重要人物であることを認識しているということ;その前の世代=小林(秀雄)、川端(康成)について林が論を書きたいとのこと;江藤が編集している雑誌に原稿が書けなかったことの詫び;江藤の勝海舟論に感激したことが書かれていた。

少し驚いた理由は江藤と林が交流があったということ。

<江藤淳、林達夫、米陸軍第8軍第95軽戦車中隊>

江藤の自伝的文章、『戦後と私』での終戦直後についての記述で、進駐してきた米軍兵士に関する記述がない。のち、あれほど占領研究に入れあげる江藤が1966年の自伝には、占領米兵の直接の姿はない。まして、江藤の好きな「声」、なにより江藤が執心して学んでいた英語を話していたはずの<やつら>の声は書かれていない。

その地で敗戦を迎えその後3年間住んだのが鎌倉の稲村ケ崎。通ったのが藤沢の湘南(旧制)中学。おそらく江ノ電で通学したのであろう。そうすると、進駐してきた米軍がすぐそこに屯していた。すなわち、米陸軍第8軍第95軽戦車中隊が鵠沼海岸のすぐ向こうに駐屯していた。キャンプ茅ヶ崎(wiki)。

林達夫は鵠沼に住んでいた。その家はネットで見れる。林達夫も目と鼻の先に占領軍がやってくることになる。その林達夫は昭和25年に書いている(「新しき幕明き」初出、『群像』[講談社]、1950年);

戦後、人々が民主主義政治だといって大さわぎしていることに、私は少しも同調することができなかった。
(中略)
その時(敗戦)から早くも五年、私の杞憂は不幸にして悉く次から次へと適中した。その五年間最も驚くべきことの一つは、日本の問題が Occupied Japan 問題であるという一番明瞭な、一番肝腎な点を伏せた政治や文化に関する言動が圧倒的に風靡していたことである。この Occpied 抜きの Japan 論議ほど間の抜けた、ふざけたものはない。「奴隷の言葉」を使っていたと称する連中までが、そういう議論の仲間入りをしているのだからあきれる。(強調;おいら) 

つまり、林達夫は占領下における民主主義を疑問視しているのだ。江藤がのちたどり着く占領下の自由、民主主義の欺瞞性の指摘を占領下の時点で行っている。このことは以前からおいらは気づいていたが、その二人に交流があったと知って少し驚いたのだ。

もっとも、この後のことはわからない。1968年に江藤は大江と決別する。一方、林達夫はのちのちまで大江との交流を続けている。大江健三郎こそ、Occpied 抜きの Japan 論議ほど間の抜けた、ふざけたもの成果にほかならない戦後民主主義を信仰しているのに。林達夫と江藤とはどうなったのだろか?

<市井の占領米軍>

ネットで今調べると、進駐米軍はキャンプ茅ヶ崎の基地に駐屯するばかりでなく、高級軍人は日本人の家を接収して市井で暮らしたとのこと。つまり、鎌倉や鵠沼は戦前から文化人が移り住んでいたので洋風の「立派」な家が多く、それらの家が米軍に接収された(ソース)。

こういう状況であるなら、江藤淳が進駐してきた占領米軍兵を見ないわけはない。にもかかわらず、自伝・『戦後と私』に書かないのは何か理由があるのだろう。

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