いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

最近読んだ本(杉原薫、『世界史のなかの東アジアの奇跡』)から思い出されたなつかしい本の話

2021年08月10日 18時50分33秒 | 

■ 最近読んだ本(杉原薫、『世界史のなかの東アジアの奇跡』)

出版社紹介site

今年、春-夏、杉原薫の『世界史の東アジアの奇跡』[1]を、横浜市立図書館から、2度計8週間借りて読んだ。この本の要旨は、下記[1]のリンク先の記事に書いた。この本において、近代世界の経済発展が複数あることを示し、さらに経路間の関係、影響の歴史について記した経済史の本。

今年の春まで、杉原薫を全くしらなかった。杉原薫を知った経緯は、アリギの『北京のアダム・スミス』[2]を読んだから。

[1] 杉原薫の『世界史の東アジアの奇跡』については、ひとつの章のメモを記事にした:杉原薫 『世界史のなかの東アジアの奇跡』 第12章 "戦後世界システムとインドの工業化" メモ

[2] アリギの『北京のアダム・スミス』も横浜市立図書館から、2度計4週間借りて読んだ。言及記事;①3/6、②4/10、③7/10

アリギの『北京のアダム・スミス』は、東アジア、特にチャイナの経済発展を、西洋的経済発展とは違うものとして認識している。「スミス的経済成長」。「スミス的経済成長」の重要要素が、勤勉革命。参照・引用の研究が杉原薫のものだった。

アリギの『北京のアダム・スミス』のあと、ポメランツの『大分岐』、A.G. フランクの『リオリエント』(愚記事)も借りて読んだ。

これらは、最近、「グローバル・ヒストリー」として注目の分野。特徴は、西洋中心史観からの脱却と人類史的視点。

最後尾に杉原薫の講演YouTubeを貼っておく。

■ なつかしい本の話


杉原薫、『世界史の東アジアの奇跡』の引用・参照文献表より

『世界史の東アジアの奇跡』は題名通り東アジアの経済発展についての本であるが、南アジア(インド)に、比較・参照のため、章を複数立てて論じている。その章のメモは愚記事にした。

『世界史の東アジアの奇跡』の引用・参照文献表に長崎暢子と中村尚司の名が、五十音順なので、並んでいた。おいらは、10代の頃から知っている名前だ。1980年代初頭だ。この文献表の文献ではないが、二人の本はもっていた。中二病の頃から「インド幻想」をもつようになった。アメリカが嫌いだからだ。排外的、右翼的政治的動機からだ。ただし、アメリカが嫌いだからといってインドに注目するとは、インドに失礼なのではあるが。その頃、映画「東京裁判」が上映され(1983年)、戦勝国の"文明の裁き"に憤り、パール判事のインドに希望をもった。もちろん幻想だ。インド人に会ったこともないのに。さらに、子供の頃から、アメリカの猿真似をしてきた戦後日本にとても違和感と嫌悪感をもっていた。偽毛唐ではない生き方、社会の在り方はないのだろうかと思った。幻想であり、欺瞞的でもあった。なぜなら、子供の頃から、アメリカの猿真似をする生活に浸かってきたからだ。これらの違和感と嫌悪感そして欺瞞性について、中二病の頃から自覚していた。

さらに、(今でいうところの"リベラル")戦後民主主義、平和と民主主義に反感をもっていた。"リベラル"はもちろん左翼も呪っていた。いわゆる(当時はそういう言葉はなかったと思うが)東京裁判史観を怨んでいた。今思えば、戦後日本はマッカーサーとソ連赤軍の「連合赤軍」によるプロパガンダが日本人知識人により喧伝されていた時代だ。

 
マッカーサーとソ連赤軍の「連合赤軍」
1945年9月2日 ミズーリ号の降伏文書調印式

帝国主義のイデオローグ:カール・マルクスの発見; インド幻想でインド関連の本を読んだ。長崎暢子、『インド大反乱一八七五年』もその1冊だ。そして、発見した。カール・マルクス、『イギリスのインド支配』(愚記事:カール・マルクス、『イギリスのインド支配』和訳全文)。マルクスは大英帝国のインド支配を当然視しているのだ。理由は、遅れた文明は進んだ文明に破壊されてこそ、再生できるという言い分だ。とても複雑な気持ちがした。大日本帝国(以下、日帝)を擁護したいおいらが、日帝を非難する人たちの教祖が帝国主義のイデオローグであるとわかったからである。

おいらは、インド関連の本でみたのだから、当然、インド研究者には有名な話であった。当時、歴史学でも「唯物史観」的理論がまだまだ支配的であった。インド研究者は、カール・マルクス、『イギリスのインド支配』に対峙しなければならなかったはずだ。ただし、当時、マルクスを帝国主義のイデオローグと批判している研究者はいなかった。ちなみに、今日現在でも、マルクスを帝国主義のイデオローグと批判している研究者をおいらは知らない。唯一人、”西欧のもっとも露骨で恥知らずな植民地主義者の文章 ”といっているのが、西川長夫である。ただし、「」といっているのであって、そうだとは云っていない点に注意。

こういういきさつで、マルクスを読んでみようとした。特に、マルクス主義と非西洋社会のこと。1980年代前半、1970年代の連合赤軍事件(リンチ殺害)、内ゲバを経て、マルクス主義批難があった(マルクス葬送派)。

愚記事;1985年の藤原良雄 より

▼ 中村尚司、『共同体の経済構造』

中村尚司、『共同体の経済構造』もその頃買った本。2,900円。安くない。今から思えば、なんで買ったのか理解するのが難しい。インド幻想がなせる業であったのだ。そして、そのまま積読となった。とても、専門的である。この本は、中村がスリランカに留学(1965-1969年)に留学し、村落共同体のフィールド調査を基にした研究論文。つまり、中村尚司は日本の高度経済成長絶頂期をスリランカ、インドの農村で過ごした。1968年革命も大学紛争も無縁だったのだろうか。

今回の機をとらえ、みてみた。中村尚司、『共同体の経済構造』に書いてある;西洋近代が唯一の発展モデルではなく、アジアの各地には、それぞれ固有の過去の労働の蓄積形態が展開されている。この本は1975年に刊行され、1984年に再刊行された。藤原良雄(当時新評論社)が関わっている。中村尚司、『共同体の経済構造』の観点、西洋中心主義、西洋的経済発展経路唯一主義に異を唱える観点は、杉原薫、『世界史のなかの東アジアの奇跡』と通じている。

中村尚司は、自らを、澪落した商人の倅として、西陣の路地裏社会に生まれ育ったと示す。そして、<価格>の経済学と<規格>の経済学は、嚙みくだいてみてものみこんでみても、どうすることもできないような異和を残している、と記している。ここで、<価格>の経済学は近代経済学(新古典派総合)、<規格>の経済学はマルクス経済学を示しているのだろう。

なお、竹内宏の『路地裏の経済学』は1979年なので、1975年の中村尚司の路地裏宣言の方が早い。

今、この本をみてみると、長崎浩の『叛乱論』(Amazon)が引用されている。ところで、今回、杉原薫のwikipediaをみて、長崎暢子が配偶者と知った。つまり、長崎暢子は、長崎浩と離婚して、杉原と再婚したらしい。

▼ 現代思想、1975年12月臨時増刊号、『総特集=資本論 後記マルクスへの視座』;今からみれば

『総特集=資本論 後記マルクスへの視座』が積読してあった。改めてみると、中村尚司の文章が載っていた(「労働家庭と歴史理論」)。内容は京都市内出身の中村が始めて『資本論』を読む身の上話からはじまり、「大学を卒業してから、西洋近代とは異なった社会発達のコースをとった農村社会の実態調査を行ない、書斎よりも生産現場で考えるよう心がけてきた私」を語る。「マルクスの論理をアジア社会の理解に活用するためには、(資本論の)「労働過程」の再検討が重要な課題であると。資本家的生産様式を分析する理論の一環として読めるとしている。そして、最後は、マルクスも時代の子であるから、新しい歴史理論が必要と結んでいる。

一方、この『総特集=資本論 後記マルクスへの視座』をみると、杉原四郎の文章(「ロビンソン・クルーソーと『資本論』」)と杉原薫の訳文(D. マクレラン [3]、「マルクスとその見失われた環」)が載っていた。杉原親子だ。今、気付いた。

[3] David McLellan (wikipedia) 、『マルクス伝』(Amazon)は杉原四郎が翻訳している。上の画像:愚記事;1985年の藤原良雄 より:の最下段の本は、D. マクレランのものだ(Amazon)。


京都大学2011年度最終講義 杉原 薫(東南アジア研究所 教授)「工業化と地球環境の持続性」



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