-苅間歩道橋から「研究学園都市」コア地域を眺める-
― 苅間は、旧谷田部町領域。でも、旧桜村にかなり近い ―
■ 現在TXつくば駅がある場所は、伝統的ぬっぽん社会から見て、三等地であった。
すなわち、台地であるために水の供給がおぼつかなく、耕作地にならなかったのだ。
これは、先日稀有の竜巻に襲われた "「純粋」筑波山麓" である北条とは違う点である。
畏れ多くも御用達米を献上 している していた "「純粋」筑波山麓" 北条は、筑波山がたっぷり吸った水の湧水で、有名な米どころである。
関東平野なのに、お米がとれるので、豊かな地域だ。それ故中世の"大名"が発祥・存続した地域(⇒小田氏)である。プロパガンダを書く"尊皇貴族"も京からきた背景である。
一方、わずか数キロしか離れていない現在のTXつくば駅がある場所とは大違いである。それが証拠に、有名な米どころ域と違って、現在TXつくば駅がある場所周辺と学園都市コア地域は、田畑にならなかったらしく、松林など雑木林、あるいは荒れ地 。だから、土地が空いているから"研究学園都市"ができたのだ。
現在TXつくば駅がある場所周辺は、昭和後期までろくな地名が与えられてこなかった。
のち、学園都市建設で、名がとってつけられた。松代、竹園、梅園! 松竹梅! なめてんのかぁ、命名者!
でも、歴史は動く。 居眠りしながらめくら判 ぎょめいぎょじ(愚記事; ひろひとさんのゴーサイン)。
筑波研究学園都市建設法をここに公布する。
このひろひとさんのGo!サインで、磯崎新の"ポストモダン"作品『つくばセンタービル』ができたことはいうまでもない。
このっ!歯をくいしばった尊皇家、磯崎新!
そして、この"ポストモダン"作品に御怒りなのが、筑波大学教授さまの中川八洋センセであることも、これまたいうまでもない(愚記事; 一九八三年に完成してちょうど二十年余、筆者は一度としてこの「広場」に人が憩う光景を見たことがない)。
その「筑波研究学園都市」のいちおうの中心のつくばセンターは、農地にもならない松林、雑木林台地につくられた(これは実は不正確である。立ち退いた緊急開拓地の満州からの引き上げ民がいるらしいのだが、その件はいつかまた)。
しかし、周辺の台地よりやや高さが低い、したがって水が利用できる地域にはぬっぽんずん主流派の常民農作者が村を営んでいた。
ここでは、苅間。
「筑波研究学園都市」の拡大で、ぬっぽんずん主流派の常民農作者の村にも大幹線が横断することとなった。
それが、土浦学園線。ぬっぽんずん主流派の常民農作者の村をぶったぎったのだ。
-土浦学園線開通前の地図(1972年)。画像下部の小池の下の点線。
学園西大通りとの十字路が現在の「学園西」交差点-
そのぶったぎりを繋ぐのが、この苅間歩道橋。
1979年にできたとのこと。
大塚英志さんは、渡ったことがあるのでしょうか?