いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

明白なる使命(manifest destiny: 1845⇒1945; Texas⇒Tokyoのアメリカ100年西征、日本征服達成

2021年01月24日 19時21分23秒 | 日本事情

私がプリンストン大学にいたとき、同僚の温厚な中国史の学者が、なぜかマッカーサーが好きでたまらないというのです。ちょっと意外だったので理由を聞くと、「いや、結局インディアン退治の将軍の伝統を受け継いでいるところだなんともいえないのだ」といいかけて、比喩がよくないと思ったのか、そのまま口をつぐんでしまったことがありました。 江藤淳、『日米戦争は終わっていない』、1986.

米国の第1騎兵師団 [1] の歴史を紹介したweb siteでは、1783-1917年の時代について、Manifest Destiny 、「明白なる使命」と題し、あの絵画、<アメリカの進歩>(ジョン・ガスト John Gast。1872年)が掲げられている。 ([1] 関連愚記事群


http://www.first-team.us/  


追い詰め(track down)、られ 迫害(pursue)されるインディアン、バッファロー、熊

このページ(米国第一騎兵師団歴史のManifest Destiny)の機械語訳

時代は1800年代であり、選択の場所であり、機会は新しい西部開拓時代であり、気分は冒険と富の探求に変わりました。アメリカ合衆国が独立してから数十年が経ち、その間に地理的面積は3倍になりました。その伝染性の風景の性質により、米国は大西洋から太平洋に広がる運命にありました。国の東部がより人口が増えるにつれて、多くの人々の注意が西に向けられました。

「マニフェストデスティニー」 というフレーズは、米国が大陸横断国家になるための神聖な権利を持っているという哲学を説明するために造られました。一部の政治家はそれが憲法に矛盾していると感じたが、大部分の国民は領土拡大に賛成した。厳格な構築主義者は領土拡大に反対し、緩い構築主義者は拡大が米国の運命であると感じた。厳格な構築主義者は、憲法が連邦政府が土地を取得する権利を持っていると直接述べたことは決してないという事実を中心に彼らのプラットフォームを中心に据えました。憲法を寛大に見ている人々、または緩い構築主義者は、拡大の権利を主張することを支持し、政府の暗黙の権限に該当します。「マニフェストデスティニー」のアイデア 1850年代まで、アメリカの政治を他のどの要因よりも分割しました。

Manifest Destiny 、「明白なる使命」は、1845年の造語。『デモクラット・レヴュウ』誌に編集長のジョン・L・オ・サリヴァン (wiki) が「テキサス併合論」と題する論文で「年々増加してゆく100万のわが国民の自由な発展のために、神によって与えられたこの大陸にわれわれが拡大するという明白な使命」と書いたことに始まる[1]。1845年に米国によるテキサス併合があった。その経緯は、この地は元はスぺイン領。そこへ白人(耶蘇新教系)移民が流入。まずはテキサス共和国のスペインからの独立。そして、米国に併呑される。テキサス州となったテキサス共和国は奴隷がいる奴隷州であった。すなわち、アメリカ合衆国は土地ばかりでなく奴隷、および奴隷制も手に入れたこととなる。

さて、上記「明白なる使命」と題し、<アメリカの進歩>をその歴史叙述に掲げる第一騎兵師団はテキサスのダラスにある師団だ。創立当初の任務は「インディアン退治」だ;

1830年代までに、急速に拡大するフロンティアは、アメリカ西部の広大な広がりをカバーするために、通常の出没を超えてインディアンを追い詰め(track down)、迫害する(pursue)ことができる高度に機動性のある軍隊を要求することが明らかになりました。第1騎兵師団のルーツは、スピードと機動性のために騎兵隊を擁護しているが、騎兵と騎兵の両方で戦うための訓練と適切な装備を持っている人々への回答にあります。竜騎兵の米国連隊は、次のように地域、国の広いセグメントをカバーする組織されました。  (第1騎兵連隊の 歴史 「勇気と忠実」web site) 機械語訳 [一部修正])

1845年には「神によって与えられたこの大陸にわれわれが拡大するという明白な使命」とされていたが、すなわち、米大陸限定のごとく唄っていたが、実際には、19世紀末のハワイ併合、フィリピン併合においても「明白な使命」が唱えられた。

その発想、論理は、その表現の出て来た時点とはかかわりなく、その時点以前にも以降にも存在したのであり、広くアメリカの膨張主義の正当化の論理ということができよう。(斎藤眞、『アメリカ史の文脈』[強調、おいら])

■ 1945年 Tokyo、日本征服; 「インディアン退治」の果てに

確かに、<俺たち>は、ハワイ(<奴ら>が「明白なる使命」で占拠したこっちへの出先)を襲った。それがアジアへの<奴ら>膨張 [*] を出来させたのだ。

東京に進駐する米国第1騎兵師団(愚記事;1945年夏の敗戦、東京入城の米軍は八王子方面から

アメリカ大使館に入るマッカーサー将軍と第1騎兵師団兵士 
「いや、結局インディアン退治の将軍の伝統を受け継いでいるところだなんともいえないのだ」


退治された<俺たち>


<俺たち>「インディアン」の"酋長"との会見

同僚の温厚な中国史の学者が、なぜかマッカーサーが好きでたまらないというのです。ちょっと意外だったので理由を聞くと、「いや、結局インディアン退治の将軍の伝統を受け継いでいるところだなんともいえないのだ」

[*] 膨張

  降伏文書調印のミズーリに掲げられたペリー来航(1853年)の時の星条旗。星が31個。1945年まで20あまり増えたのだ。

Yanks Enter Tokyo: U.S. Soldiers in Japan (1945) | British Pathé



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