つくば原野III 2009年04月20日 21時02分40秒 | 筑波山麓 愚記事 つくば原野I 愚記事 つくば原野II 西日本の人(サンプル数=2)でつくばに来て驚いた事として挙げるのが、田畑として利用されていない平らな土地の存在。 確かに西日本のような弥生時代以来(?)、ひたすら耕され続けて来た正統派ニッポン文明と、のちに武士群が出来する、関東とは違うのかも。というより、関東平野は利用できる水が少ないからでしょう。 よく、北海道、特に十勝平野あたりを、「大平原」で大陸的だね~とか"内地"の人は言うが、関東平野のだだっ広さは案外認識されていない。 #茨城県 « プラドに行きたい | トップ | たけのこの季節 »
2 コメント コメント日が 古い順 | 新しい順 「大平原」=「無人の地」だとしたら、 (インチキ号後悔記) 2009-04-21 18:45:48 他所からの移住者である現在の「東京人」にとって、一面家屋に覆い尽くされた光景はそれにはあたらないかもね。昭和初期、武蔵の国の大部分が農村であった頃に上野の山や愛宕の山に登ったりしたのならば違ったりもするのだろうけど。 返信する 昭和初期、武蔵の国の大部分 (いか@) 2009-04-21 21:10:14 雑木林と農耕地の割合はどのくらいだったのだろう。いずれにせよ、水田は少なかったと思う。今の東京の「谷」に部分は段丘崖からの水が利用できたので、水田があったらしいけど。 返信する 規約違反等の連絡 コメントを投稿 ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。 goo blogにログインしてコメントを投稿すると、コメントに対する返信があった場合に通知が届きます。 ※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント ※絵文字はJavaScriptが有効な環境でのみご利用いただけます。 ▼ 絵文字を表示 携帯絵文字 リスト1 リスト2 リスト3 リスト4 リスト5 ユーザー作品 ▲ 閉じる コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する
昭和初期、武蔵の国の大部分が農村であった頃に上野の山や愛宕の山に登ったりしたのならば違ったりもするのだろうけど。
いずれにせよ、水田は少なかったと思う。
今の東京の「谷」に部分は段丘崖からの水が利用できたので、水田があったらしいけど。