■1988年12月9日、仙台の電力ホールで行われた大貫妙子、Pure Acousticライブに行った。冒頭一曲目、ピアノのパラパラという伴奏に合わせ、黒のモノトーンのタイトなボタンが目立つワンピースタイプの服を着て登場した大貫妙子さんが、ラメール・ルシエールを唄いはじめたときに受けた衝撃は忘れがたかった。
■あれから20年。筑波山麓に大貫妙子アコースティックライブツアーが来たので、行く。20年前ピアノ伴奏をパラパラと弾いていたのも、今夜演奏していたフェビアン・レザ・パネさんだったと知る。Nice to 'see' youである。
■登場した大貫さんは白のワンピース/ドレスで、あいかわらずのモノトーンであることはおいらのイメージを裏切らずうれしかった。でもただ服がそうタイトではなく、ちょっぴりゆったりめであったのは、大貫さんもいつまでも昔をやっているわけではないといことなのだろう。
■おいらの20年前の記憶/勝手に変容されたイメージでは、大貫さんはにこりともしなかったのであるが、今夜はあの「横顔」を楽しそうにうたっているのを見て、まるくなったなと勝手に思った。このあとのFM番組で20年前の「横顔」の録音を(正確な言い回しはわすれたが)「ぶりっこ」していると回想していたが、おいらは昔の方がりりしいと感じる。
■30年以上ずっと新作を出し続けている彼女には申し訳ないのだが、おいらは、『MIGNONNE』『ロマンティック』 『アヴァンチュール 』 の3部作が好きで、今もずっと聴いている。おいらが大貫妙子を好きになった時は上記作品の時代のあとだった。それで、1988年のPure Acousticライブは「昔」の曲、上記ラメール・ルシエールとか、が聴ける望外に幸せなコンサートだった。
■このあと、世の中が今で言うバブルの時代をくぐることとなるが、おいらは、書も捨て、さらには街も捨ててしまったので、FMなどで大貫妙子の動向も知ることもなくなり、CD屋で新作を買うこともなかったので、新作には不義理となった。
■それでも、自己下放した田園では、ずっと持っていたCDは聴いていた。
[下放から”復帰”して、(というか、今も下放時代なら将来に希望があるのでまだいいのだが)]
■筑波山麓に来て10年。東京までコンサートに行く気力もなかったが、突然筑波山麓で大貫妙子アコースティックライブをやると知る。たぶん、ノバホールといういい会場があるからだろう。Pure Acoustic 1987の2007年バージョンともいえる?アルバム『Boucles d'oreilles』が出たとのこと。先月買って、予習した。
●ちなみに、1988年のチケットは7500円で、今回は6800円であった。今回のコンサートのチケットを買ってから、1988年のコンサートからの20年を、『Boucles d'oreilles』を聴きながら日々logを見ながら振り返る。 うーん。 だって、1988年は昭和の御世である。米ソ冷戦もまだ終わっていない。湾岸戦争、北京天安門事件、自民党政権の終焉もまだであった。 おいら自身がどうこうより、世の中変わりました。 うーん。
▼自分自身は変わったという感じはしない。というか、全然成長していない。そのことは驚愕する。若い頃はこの先もっと成長するだろうと考えていた。 このまま おばか のままずんせいを完走しそうである。
■とまれ、コンサートが終わって外に出ると、満月が輝いていたのでした。
▼この夜のお品書きは、SITEDOIさんの letter from home、 大貫妙子 "Boucles d'oreilles" Tour 2007から勝手にコピペさせていただいた下記リスト;
01.幻惑
02.Monochrome & Colours
03.le musique
04.横顔
05.夏に恋する女たち
06.黒のクレール
07.突然の贈りもの
08.Siena
09.TANGO
10.遥かなる旅路
11.Shall we dace?
12.Caveliere Servente
13.彼と彼女のソネット
14.風の道
15.Time To Go
16.Shenandoah
17.ベジタブル
Encore
18.メトロポリタン美術館
19.美しい人よ
つまりは、大阪の夜と、たぶん大差なく同じであったとおいらは思う。
11.Shall we dace? のところで、妙子さんが衣装を、赤いドレスに、変えたのには少なからず驚いた。 仙台1998では衣装の変えなぞなかったと記憶する。