いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

東京散歩:目黒 祐天寺 → 馬喰坂 → 目黒区美術館 → 白金台・自然教育園

2022年10月23日 12時12分32秒 | 東京・横浜


1;東急東横線・祐天寺駅、2;祐天寺、3;馬喰坂、4;目黒区美術館、5;目黒駅、6;国立科学博物館自然教育園、7;白金台駅

目黒区の祐天寺に行った。理由は特にないが、行ったことがなかったから。ただし、「祐天寺」というのは高校生の頃に目に入っていた、と最近気づいた。それは、内海郎、『インド旅の絵日記』(1982年)[Amazon]というインド旅行記の冒頭に祐天寺が出てくる。著者がよく行く場所として出てくる。これを読んだ当時、東京に土地勘は全くなく、(さらには最近まで[10年ほど前まで]ほぼなかったが)、祐天寺が東京のどこにあるのか、あるいはその象徴的な意味(山手なのか、下町なのか)もわからなかった。もちろん、自分が将来インドに6回行くことになるとも、横浜に暮らすことになるとも想像だにしなかった頃だ。

■ 経路地図

1;東急東横線・祐天寺駅、2;祐天寺、3;馬喰坂、4;目黒区美術館、5;目黒駅、6;国立科学博物館自然教育園、7;白金台駅

地形は、出発地の祐天寺は、河岸段丘として目黒台にある。この目黒台は下末吉台地と同時代の台地であり、後述する淀橋台より古い大台地。表面は下末吉面であり、これまた(淀橋台より)古い時代に形成された段丘面。東に向かうと、目黒台を降りて、目黒川を渡る。そこは、当然、低地。さらに、東へ向かうと淀橋台があり、権之助坂を登り、台地面(武蔵野面)にたどり着く。淀橋台は武蔵野台地のひとつ。つまり、今回の散歩では、二種の異なった河岸段丘を歩く。その段丘を区切るのが、目黒川。

■ 祐天寺駅

■ ⇒ 祐天寺

■ 祐天寺

今、wikipediaで、柳原愛子(関連愚記事)の墓があると知る。この日の散歩では見なかった。柳原愛子とは大正天皇の生物学的母親である。つまり、昭和天皇の1/4、今の天皇陛下の1/16の遺伝子をもたらした女性。そういう人でも、「こういう」お寺に葬られているのかと思った。大正天皇の御嫡母の昭憲皇太后のお墓は、京都の伏見桃山陵である。もっとも、祐天寺は、長州・毛利家、土佐・山内家の墓があるというので、「高級」な墓地なのだろうけど。

■ ⇒ 馬喰坂

目黒台の台の表面の平坦地を進む。

目黒台の端が見えてきました。平坦地が終わり、坂となっています。

現代彫刻美術館の屋外展示場

■ 馬喰坂

目黒台から、目黒川が流れる低地へ降ります。

ばくろ坂は、目黒三丁目と中目黒四丁目の境の坂、永隆寺の南側を東に下る急坂をいい、十七が坂じゅうしちがさかは、目黒三丁目3番の庚申塔の前から南東に下る短い急坂で、その位置は、それぞれ旧田道裏地域の西端と南端にあたる。

この地域の地勢的な特徴は、北から東回りに南にかけて低地が続き、北から西回りに南にかけて高地が続いていることである。したがって、低地と高地の間には当然傾斜地があり、それが西端のばくろ坂、南端の十七が坂じゅうしちがさかなのである。

ばくろ坂は、低地の新寺道から高地の庚申道に通じていた。坂の傾斜は急で、険路であった。そこで切り通しの工事をしたが、それは坂上の路面を切り下げ、その切り土で坂下の路面を高め、坂全体の傾斜を緩めることであった。しかし、頂上部には庚申道が交差していたので、思いきった切り通し工事ができなかった。そのため、路面はいつも風雨にさらされ、大小の穴をあけていたので、人びとはこの坂を「ばくろ坂」と呼んだのだという。

「ばくろ」とは、風雨にさらされ穴のあいた状態を示す、目黒の古い方言だという。 (目黒区 web site

■ ⇒ 目黒区立美術館


山手通り、田道(でんどう)交差点。

■ 目黒区立美術館

 

■ ⇒ 目黒駅


目黒川


権之助坂

江戸の中期、中目黒の田道に菅沼権之助という名主がいた。あるとき、村人のために、年貢米の取り立てをゆるめてもらおうと訴え出るが、その行為がかえって罪に問われてしまう。なんとか助けてほしいという村人の願いも聞き入れられず、権之助は刑に処せられることになり引かれて行く。「権之助、なにか思い残すことはないか」と問われて、「自分の住んだ家が、ひと目見たい」と答える。

馬の背で縄にしばられた権之助は、当時新坂と呼ばれていたこの坂の上から、生まれ育ったわが家を望み、「ああ、わが家だ、わが家が見える」と、やがて処刑されるのも忘れて喜んだ。父祖の家を離れる悲しみと、村人の明日からの窮状が権之助の心を去来したかも知れないが、それは表情には現わさなかった。

村人は、この落着いた態度と村に尽した功績をたたえて、権之助が最後に村を振り返ったこの坂を「権之助坂」と呼ぶようになったといわれている。

また、一説によると権之助は、許可なく新坂を切り開いたのを罪に問われたといわれている。

昔の道路は、江戸市中から白金を通り、行人坂をくだって太鼓橋を渡り大鳥神社の前に抜けていた。この道があまりにも急坂で、しかも回り道をしていたので、権之助が現在の権之助坂を開き、当時この坂を新坂、そして目黒川にかかる橋を新橋と呼んでいた。 (目黒区 web site

坂の脇は崖。

JR山手線を跨ぎわたる。

■ ⇒ 国立科学博物館自然教育園


庭園美術館

■ 国立科学博物館自然教育園

■ ⇒ 地下鉄・白金台駅

白金台交差点。

外苑西通りを望む


目黒通り

白金台駅

■ まとめ 

通過町

目黒区

祐天寺、中目黒、目黒、上大崎、白金台