いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

京童の「冠詞」力; "『お』うどん"と"「九条ねぎ」うどん"の間で...

2016年03月10日 20時09分26秒 | 日本事情

おいらは、北海道という、大日本帝国⇒米国属領ぬっぽんが唯二(旧蝦夷&旧琉球)が保持しえた侵略地で生まれ、育った。

だから、おいらは、二流の日帝臣民である。

でも、気がつけば、口さがない (google=「口さがない」)。

二流の日帝臣民にて、口さがないとは、僭越である。

口さがない、といえば、京童だ。 一流の日臣民だ。 なにしろ、がお住いの御所の近くで生まれ、育ったのであるから。

それでも、やっぱり、おいらは、蝦夷っ子のクセに、口さがないのだ。

さて、口さがない京童の街に行って、したことは、おうどんを食べることである。

食べた。 京のおうどん。 なお、今、「きょうのおうどん」と入力したら、「狂のおうどん」と変換された。

おうどん、食べた。 裸のおうんどん。

日替わり(冠詞なし)うどん定食=今日のおうどん定食。 鳥の唐揚げとごはん付き。

そして、気づいた;

煮うどん; 九条ねぎうどん ⇔ とおうどん定食; のおうどん定食

煮おうどん、九条おうどん、とはいわないのだ。

つまり、京ことばでは、裸の名詞 or 裸の「うどん」は使用禁止なのだ。

必ず、名詞としての「うどん」は形容的単語(形容詞に限らない、何らかの追加的情報を与える名詞でも可)に修飾されて使用されるのだ。

google: 裸の名詞

「煮」うどん「九条ねぎ」うどんなど。

そして、「素うどん」が、「おうどん」なのだ。あるいは、「の」という助詞=事実上、文=情報提供をさえぎる詞の後の「裸のうどん」の「お」が"つく"のだ。 なお、英語の名詞に(不定・定)冠詞"つく"がという考えは、根本的英語に理解していなのだ、という話は有名。