いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

京都のお店での「30分待てば...」について

2016年03月20日 19時36分15秒 | 日本事情

京都で2泊した。初日は土曜日。週末ということでどこの飲食店も混んでいる。

泊まった場所は、五条室町。近くの西班牙料理屋で晩御飯を食べることを考え、店に行った。

19:30頃。

見た目はテーブルは空いていたが、やはり、週末ということで、予約で一杯とのこと。

別に、そもそも予約もしていなし、週末で混んでいるんだろうということで、次の店を探そうとした。

そうすると、店員が「30分待てば空きますよ」という。そして、連絡先、携帯番号を教えよという。

まあ、散歩もしたかったし、30分待つことにして、携帯番号を教えた。店員は筆記した。

店をを出て三歩歩いて、気づいた。

あぁ~、これは「京しぐさ」ではないか!

「京しぐさ」とはおいらの勝手な命名だ。

「京しぐさ」とは、拒否表現の婉曲性が、欺瞞的なまでに肥大したもの。 典型例として;

例えば、他人の家に長居した時、「ぶぶ漬けは、いかがどすか?」=「もう遅いから、お茶漬けでも食べていけば?!」 (googel)があるとされる (ただし、都市伝説という”都市伝説”があるようなstereo type)。

つまり、⇒⇒ 真意 ⇒⇒ 「あんた、いつまでいる気や!!??、さっさと帰らんかい!!!」。

この「京しぐさ」の法則を今回の件に適用すると;

京都のお店の店員が「30分待てば空きますよ」は、

⇒⇒ 真意 ⇒⇒ 「お客はん、東京からどすか? そうですか。 でも、京都いうたらお店で席が欲しかったら、前もって予約せなあきまひん。 お客はん、東京からですよね? そもそも、一見さんじゃありませんか。 こまりますねん。 そういう不作法なこと。 これだから東夷(あずまえびす)は、こまりますねん!」

であろうことに考え、妄想???が飛んだ。 店をを出て三歩歩いて、気づいた。

すぐに次の別の店を探せばいいのだが、もしかして30分後に電話が本当に来たら困るしなぁ~と思い、散歩。

果たして、1時間たっても電話は来なかった。

やはり、「京しぐさ」なのだ。

そして、次の店を、情報本で見つけ、電話した。 20:30頃。

そうすると、電話に出た若い女性は、これまた、「30分待てば空きますよ」とお答え。

恐るべき、「京しぐさ」!

このとき、「京しぐさ」のいい振りこき性に激怒しておいらは、主旨として次のこと携帯電話ごしに言った。

あなたたち京都の人の「30分待てば空きますよ」とは一体どういう意味なんだ? もう席がないならないとはっきり言えばいいじゃないか!

これを見ていた<荊の簪を挿した御方>は、かたはらいたし、であったと後述。

そうすると、その店の電話に出た若い女性は、今テーブルにいるお客様は予定より長めにいらっしゃるようですが、30分待てば空くに違いありません、とのお答え。この時点で、まだおいらは、「30分待てば空きますよ」の京しぐさの欺瞞性を拭いきれなかったが、また「騙されれば」、むしろ、ブログのネタにしてやろうと、四条河原町から五条室町近くの仏蘭西料理屋に歩いていった。

店はあった。入った。店のまえには本日のコースは売り切れ・終了しましたとの黒板。 果たして、席はあり、晩御飯にありつけた。21:00. 先ほどのおいらの言動を恥じた。

ごめんよ、京都、横諏訪の仏蘭西料理屋 Asperge Blanche 。

ごはんは、シェフが決めるコースを頼んだ。メインは、黒毛和牛ホホ肉の赤ワイン煮込み、だった。

お店には Foujita のポスターがあり、2月でまだ寒かったこの夜、電熱線のストーブが光を放っていた。

そして、メインも食べ終わった頃、22:30.携帯がなった。かの西班牙料理屋からであった。

「今、御席をご案内できます」

おいらは、鄭重にお断り申し上げますた。

律儀なんだろうか? あるいは、実は、このフォロー電話もいい振りこきの「京しぐさ」だったのではないかと今少し、考え付いた。歪んでるな、おいらの京都人観。

後述; いい振りこき は、北海道 放言 方言 と今知った。 google [いい振りこき]