いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

旧山本有三邸、これで月額家賃23,490円 (今の価値で);

2015年06月21日 20時29分25秒 | 日本事情


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現在、三鷹市山本有三記念館となっている旧山本有三邸は、敗戦後の占領時代には接収され、米軍将校が住んでいた。

戦中、5回に渡る空襲でも戦火を免れた三鷹の家ですが、進駐軍に接収されることとなり1946(昭和21)年11月に有三はやむなく転居。その後も有三が 三鷹に戻ることはありませんでした。1951(昭和26)年に接収が解除された建物は、国立国語研究所三鷹分室として利用
      (記念館の沿革よりコピペ)

その月額賃料は496円である。 この496円の現在での価値を計算した。


三鷹市山本有三記念館の賃貸し契約書の展示より

昭和24年の大卒公務員(のちの上級公務員)の月給が4,223円であるらしい(根拠)。

現在の大卒上級公務員の初任給を20万円とすると、当時の貨幣価値を推定する換算率は47分の1ということになる。

当時の月額家賃496円に47を掛けると、23,490円となる。

この496円でこの豪邸に住んでいた将校さまは、朝霞のCamp Drake(wiki)に勤務であったと三鷹市山本有三記念館の案内の人が教えてくれた。朝霞のCamp Drake勤務の将校にしては、最西南の居住地であったとも教えてくれた。

■ なお、山本有三は一高で近衛文麿と同級生であり、かつ親しかったらしい。

ところで、あの荻外荘は占領軍に接収されなかったのだろうか?