いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

ぐるっとパス使用記録8 (最終回);練馬-台東・文京方面

2015年06月14日 19時03分58秒 | 東京・横浜

ぐるっとパス使用記録1; 新宿方面
ぐるっとパス使用記録2;目黒方面、  
ぐるっとパス使用記録3; 多摩方面
ぐるっとパス使用記録4; 渋谷・日本橋方面
ぐるっとパス使用記録5; 府中、三鷹方面
・ぐるっとパス使用記録6; 北区飛鳥山 方面 ; +西ヶ原旧古河邸
ぐるっとパス使用記録7; 墨東(墨田・江東)方面+日本橋蠣殻町 

に続く、第8弾。でも、最終回。ぐるっとパスの有効期限は2か月。なので、今回でお終い。

▼ 50 ちひろ美術館・東京

「ウヨ、お断り」と張り紙がしていなかったので、入る。

・いわさきちひろの履歴紹介展示でみた。ちひろが写っているはたち前(1937年頃)の集合写真(絵画の表彰の集まり)で、藤田嗣治も写っていた。その後の彼女の人生はwikipedia(いわさきちひろ)にもあるように、中国に2回行く。1度目は結婚で大連。旦那さん自殺。2度目は、女子義勇隊に同行して満州・勃利に渡る(同上wiki)。 大日本帝国の尖  民であったのだ。藤田嗣治との1937年の写真がその後の運命を暗示していたってことだ。そして、日帝瓦解後、藤田嗣治はフランス人になり、いわさきちひろは共産党員になり、それぞれの第二の人生を始めたのだ。

・いわさきちひろは、マリー・ローランサンの系譜だったと知る。


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▼ 9 朝倉彫塑館

 

屋上の庭園。ここから見える東京の景観ってひどいね。どっから見てもひどいのだろうけど。

館内は撮影禁止なので、猫は撮れなかった。朝倉文夫は愛猫家(wiki)。ネットで見れる⇒ google [朝倉彫塑館 猫]

▼ 14 文京区立 森鴎外記念館

こういう文学者の展示は難しいとおもうのが、垂れ幕に大きな字でエッセンスを掲げるという手法は、わかりやすい。

鴎外は若い頃相当「とんがって」いたと知って、にこにこできた。 さらには、 のち、「左遷」されて圭角が取れたとの表現を見て、おいらは...。  ...ありがとう、鴎外。 

それにしても、「西欧」に行って、立身出世するってシナリオは、おいらが最後の世代か?20世紀末。そして、やっても成功しなかったのが、おいらだ(関連愚記事; 怪訝そうな毛唐のねえちゃん)。 ...ありがとう、鴎外。

ところで、鴎外= カモメの外って、何だ? (記念館のパンフレットには、諸説あるが、北千住にある<かもめの渡し>という地名に由来するらしい。「<かもめの渡し>は吾妻橋の上流にあり、吉原を指す名称でもありました。遊興の地に近寄らず、遠くはなれて千住にいるという意味が込められています」と書いてあった。)

なお、唐突ではあるが、幸いにも、おいらは、カモメ師に、外[はず] [exclude] されていない。

カモメ師; ブログが無い時代から、デジカメ画像で「絵日記」をやっていた人。 一度、「デート」したことがある。 10年以上前のことだが...。 その頃、おいらは「東京」をほとんど知らなかった。

森鴎外記念館、なんか、コンクリの建物の方が印象に残った。