西部 [邁] (略) 思い出しても恥ずかしいのはね、ストーブを引っかきまわす棒って、何て言いましたっけ?
鈴木 [宗男] 僕らはデレッキと言っていましたね。
西部 [邁] そうそう、そのデレッキもわが家では結構な貴重品だったことがあるんです。 (肝心の思い出しても恥ずかしいエピソードは略)
鈴木宗男、 宮崎学、 西部邁、 『日本と戦う』 (Amazon)
椎名林檎の1999年2月発売のアルバム「無罪モラトリアム」に収録されている"丸の内サディスティックス"という曲がある。
その歌詞で、~グレッチでぶって~というくだりがある。 グレッチ、ってなんだか知らない。雰囲気と同アルバムにある"歌舞伎町の女王"からの連想で、何かSM道具の一種類くらいであろうと勝手に脳内で処分していた。
今から思えば、リッケン620から連想すれば、わかったかもしれないのだ。そもそも、調べればよかったのだ。
でも、調べる気はなかった。そして、今日となっては見てしまったが、きちんとした文字となった歌詞を見ればよかったのだ。見る気はなかった。なぜなら、きこえたままの音をそのままおぼえて、しばしば、唄っていたのだ。こういうことをすると持っている音=言葉に対応して現実が突然立ち現われたりするからだ。例えば、愚記事: お茶の水は楽器屋が多いとはじめて知る。
さらには、音=言葉に対応して現実が突然立ち現われたりするより、むしろ日ごろやることは、得た音=言葉でイメージを脳内で喚起することだ。例えば、~しょうらい そう になって けっこんしてほしい~は、最近まで、~将来 躁になって 結婚して欲しい~と思っていた。だから、おいらの脳内では、鬱病に悩む彼氏を激励する女を空想していた。そして、鬱病患者を激励しちゃだめなんだよ、とおいらの空想は伸びていった。
そして、~グレッチでぶって~というくだりでは、女王さまにぶったたかられている豚野郎を空想していた。
なぜ、グレッチが何かSM道具の一種類くらいとなるのか、説明しなければいけない。
それは、デレッキというものからの連想である。 グレッチとデレッキが脳内の言葉に引き出しが一緒なのだ。 アタマが悪いので分解能が低いのだ。
さて、デレッキとはこういうものである;
デレッキ; google 画像
一方、グレッチとはギターメーカーなのだ。リッケン620から連想すればよかったのだが、おいらはグレッチギターを知らなかったのだ。
google 画像
■ デレッキの思い出
おいらは、デレッキをさわったことがある最後の世代なんじゃないかと思う。後続の団塊ジュニア世代の道産子はデレッキを使ったことがないだろう。
おいらが通った小学校、高校は札幌オリンピックの後にできた。一方、中学校はオリンピック以前にできたらしく、コークスをだるまストーブで燃やして暖房としていた。そのコークスストーブにデレッキが付いていた。
遊んだ。鍛冶屋さんごっこ。デレッキを燃えているコークスに長くつっこみ続け、灼熱したところで、これまたダルマストーブに付随しているフタを開けるための15cm位の金属製棒で、叩くのだ。デレッキの先を直線状にしたり、また、90度曲げたりして、遊んでいた。
● まとめ
デレッキでぶたれたら、相当痛い。
↓ ネットでの拾い物