いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

屯田兵、北へ南へ。あるいは、賊軍・官軍。

2004年10月29日 06時41分05秒 | 札幌



札幌は山鼻の屯田兵像。彼らは戊辰戦争で敗れた東北諸藩の敗残士族たちである。



北海道の統括は薩摩出身の「高官」・元チンピラ兄ちゃんたちが行った。
いまじゃ、むつひとさんのとりまきだ。

でも、もともと血の気が多い乱暴者なので、すぐ仲間割れ。上の図は仲間割れ前の一見仲良しのめずらしい光景だ。



西郷蜂起。むつひとさん、震怒!
熊本県・田原坂の西南戦争顛末の石碑より。



薩摩主流派の植民地=持ち駒であった北海道の屯田兵は、薩摩の内ゲバに動員される。今度は「官軍」として。この写真は田原坂の戦没者名簿石碑である。北海道出身で西南戦争で戦没したのは多くが屯田兵である。「官軍」に破れ土地を奪われ、蝦夷地に来て屯田兵となり、最後は「官軍」として、薩摩あるいは熊本で死んだひとたちである。



札幌は大通り公園に突っ立つ クロダ・キヨタカ クン。むつひとさんとの絵の左から2番目。薩摩出。北海道開拓庁長官。細君を斬殺したと噂されている。のち、内閣総理大臣。

【後記】榎本武揚は黒田清隆の助命嘆願で救われた。函館戦争で。
榎本武揚と黒田清隆とのハイブリッドな子孫さんは、 リンク切れ こちら