alternativeway

パリ、カフェ、子育て、サードプレイス、
新たな時代を感じるものなどに関して
徒然なるままに自分の想いを綴っています。

再び 孤独と書くこと 

2010年10月08日 | 書くということ


 いい加減京都に帰らなけりゃなと思っていたのは
ママサークルを何度も休んでいるのも申し訳がないからで
今日こそは行こうと思って 蓮太郎と行ってはみたけど

 どうしてなのか 私は行く度 そこで
孤独を感じてしまって

 いつもいつも それが終わるたび
何かをどこかで発散したくて 
私は書きたくなってしまう。


 1人でカフェにいったところで
1人で東京を歩いたところで
もちろんパリを歩いていたって
ここ最近は全くもって孤独なんて
感じたこともないというのに
不思議なことにママサークルや
このニュータウンの集まりにいると
私は孤独を感じてしまう。


 なんで どうして なのかなあ


 なじんでみようと それなりにして
それなりにいろんな努力はしてきたけれど
やっぱり やっぱり何かが違う
東京や 横浜やパリで感じていられた
居心地の良さ や きっと自分が自分でいられる感じは
この郊外のニュータウンでは得られなくって
なんだかつらく なってしまって
私はまた つい 口を閉ざしたくなってしまう。


 今日はサークルにいき 
そのあと喫茶けやきにも行ってみたけど
この場所に 欠けてるものは
ダイナミズム かもしれない。


 何かが起こって 何かがぐーんと変わってく感じ
東銀座のタリーズにいたときに夢をみさせてくれた感じは
当たり前のことだけど このニュータウンでは得られなくって
あれは銀座だったから。都会には都会特有のよさがあり
都会のカフェには 田舎のゆるいカフェでは得られない
都会特有のよさがきっとあるのだろう。
ここはのんびりしてるけど 本当に
子育てと 子供と山と田んぼしかなくて
知的な刺激を得ていたくって
誰か面白い人と交わって 熱く議論をかわしていたい
そんな私にはとてもつらい。


 孤独っていったい何なのだろう

 どうして私は 1人でいても孤独じゃないのに
むしろ1人でいたいのに 大勢の人に囲まれてると
孤独を感じてしまうのだろう。これは幼稚園頃からそうで
だから私は 日本特有の女子で群れるという
そういうの が とても嫌だったわけだけど



 どうしていったらいいのだろうか

 1人でカフェで創作してればいいのだろうか

 1人でこうして 書いていればいいのだろうか
私の息子を寝かしつけ 少しだけの余った時間で





 私はどうも ママサークルの人たちのように
子供に人生をだいぶ捧げて生きていくのは
かなり難かしいようだから 
子供はやっぱり1人にしておく方がいいのかな
サークルにいるとみんな2人目の話をするけど
相も変わらず 私はそれを恐れてる。
自分の道や人生っていったいどこに向かうのだろう
ここにいる人はもう家も買って 幼稚園も決まったりしてて
ずっとここに住むんだそうな
私もけっこうがんばったけど
私にはどうもそんな暮らしや生き方は
向いていないようであり 
もっとダイナミックに議論して
知的な刺激を受けていたいな
もっとワクワク もっと興奮していたい。
わたしはのんびり暮らすより 刺激的に
自分の限界にちょっと挑戦するくらいで
生きてる方が楽しいらしい 


 もっと楽しく生きるには?
もっと自分を知ることか。

フランスに行くなら

<iframe frameborder="0" allowtransparency="true" height="60" width="468" marginheight="0" scrolling="no" src="http://ad.jp.ap.valuecommerce.com/servlet/htmlbanner?sid=2716631&amp;pid=879463511" marginwidth="0"><script language="javascript" src="http://ad.jp.ap.valuecommerce.com/servlet/jsbanner?sid=2716631&amp;pid=879463511"></script><noscript></noscript></iframe>

ブログランキング

http://blog.with2.net/link.php?1215861