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alternativeway

パリ、カフェ、子育て、サードプレイス、
新たな時代を感じるものなどに関して
徒然なるままに自分の想いを綴っています。

カフェと子育て

2008年11月12日 | 私の人生


 最近なんだか カフェと子育てはどこか似ている
そう思うことが多くなる。

 カフェをするのと子育てと まず一番の共通点は
逃れられない そういうことで お客さんがそこに来たら
子供がそこで泣いたら 逃れられることはなく
子供とちょっと離れてみても カフェからちょっと離れてみても
自分はいつも気にしてしまって 結局離れらなくて。

 それからちょっと似ているとこは
逃れられない そういうけれども カウンターで仕事をしたり
ちょっと洗濯するからねとか お皿洗うねといってみて
ちょこっとばかし視線を離して ちょこちょこどこかに
逃げてみる そういうところも似てるみたい。


 今日カフェをやってる人と話をしてて気付いた点は
カフェも子育ても大変だけど 逃れられず
自分の自由やしたいことは そんなにできない気がするけれど
途中でやめたら 自分の我を通そうとして
そちらを選択してしまったら そのときはちょっとほっとしても
その先ずっと後悔をして その先ずっと想い続ける
そんなところも似ている様な どうしてこんなに似てるんだろう。


 それは人と向き合うからなのか ダイレクトな
関係性を持つからなのか なんでなのだか
なんだか似ている そう思う。


 昨日なんだか淋しくなって 最近やたらと思い出す
cafe lunatiqueの日記を読んで なーんでこんなに幸せだったのに
わたしはやめてしまったのかと どうしていつから
あんなことになったのだろうと思ったけれど
「わたしはこんなにやってるのに」とか そんな我が
ふつふつ主張をはじめたころから きっと何かが狂うのだろう。


 子育てを経験してみて 女性が我を通さぬことが
すごく大事な気がしてしまって「本当はあれもできたのに」とか
そんな想いを捨てちゃうことで いつか手にするものもあると
そんな気がなんだかしてきて ずいぶん私も変わったものだ。

 とある宗教団体で 主婦の人達が「私が自分の我を通して
家庭を顧みなかったばっかりに!」と本気で懺悔して
家庭を大事にすることの大切さに気づくという話を聞いた。
そんな話をきいたときには 信じがたいと思ってたけど
この1年でわたしも変わって 本気でそう反省している人達の
そんな気持ちもなんだかわかる。


 素晴らしい場をつくった人が その場をある時やめるのは
場作りだけに専念できずに 自分が持ってた他の可能性を
つい試したくなるからだろう。けれどもみんな
私の知ってる人達は わたしも含め ずっとそれを後悔したり
またやりたいと思ったり けれども今度は
そんな簡単には手に入るわけもなく あの時が
本当に貴重で はかない時であったのだ と
後になって知る訳で


 「こんなはずじゃなかったのに」とか
「自分はもっとできるはず!」と そんな選択をしてみた人の
その後はどんななのだろう。 私の場合は 本を書いてはみたものの
「やっぱりカフェが向いてたよねー」と思ってみたり
けれどもやめたわけだから やめた理由もあるわけだから
とりあえず 進んでみようと思うけど


 大変さがある中には 大変だからこその充実感もあるわけで
大変だからとやめてみた ら ぽっかり淋しくなるだけで
存在意義も感じられずに 空しく過ごしたりもして
今は子育てがあるけれど おかげで笑っていられるけれど
もう後悔をしないよう 二度と帰らぬこの時間を
ちゃんと大事にしないとな。

フランスに行くなら

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