goo blog サービス終了のお知らせ 

alternativeway

パリ、カフェ、子育て、サードプレイス、
新たな時代を感じるものなどに関して
徒然なるままに自分の想いを綴っています。

パリで子育て

2011年04月05日 | 日仏子育て事情

 パリに来てからもう1週間が経過して
蓮太郎は意外と適応してるのだけど
唯一の弊害はといえば とにかく
抱っこ 抱っこ!!!なことで
我等は外に出る度に「歩きなさい!」
「抱っこ 抱っこ!蓮太郎もう歩けない」で
道端で大げんか。。。


 ここにきて子育てをして 難かしい
状況に陥りながらもいろんな人とかかわりを
持ちながら なんとなく感じられるのは
フランスと日本の子育てに対する価値観の違いで

 フランスは どちらかというと
子供は厄介者だと思ってる感が強い気がする。

 それでそういう社会的認識がなりたっていて
だからこそ 厄介払いをするために
乳母だとか、保育園のシステムだとかが
日本よりも先に発達していったんじゃないかなあ
子供はもちろんかわいくもある。だけど
大人の邪魔をする存在でもある。

 そんな時 に


 日本だと 大人がそれに歩み寄り
子供が中心にどんどんなって
大人 特に母親は 自分を犠牲にしていって
私はかつて母乳育児の桶谷の先生に
「あなたは犠牲の母ね」と言われたけれど
(いまだにその意味がよくわからないけど)
自己犠牲 自分を捧げて 人生を半ば諦めて
母の職務を全うすること それがいいとされてる
そんな風潮をよく感じてた。


 例えばバスに乗ったときや電車で
出会ったおばさんたちは 見知らぬ私に
子供を産むことの大切さを諭していったし
そのうちの3分の1くらいの人は
「まだ1人しかいないの?もう1人は産みなさい」と
助言していった。そんなの余計なお世話だよ!と
私は思うけど 彼女達はやさしさのつもりでそう言っていた。
広島に向かう電車の中であったおばさんなんて
「うちの娘はもうすぐ40歳になるのに
子供ができないの。まだ働いててね 子供を
産むことこそが幸せなのにね はやく子供が
できたらいいのに」と見ず知らずの私に
語っていった。どうして?仕事だって大切じゃないか?!と
私はつよく思っていたけど 私は子供を抱えた場所で
よくそんなおばさんたちの言葉を耳にしていった。


 ところがパリではなんだか違う


 もちろん子供に優しい人はいっぱいいるけど
まず初対面の人に対して「もう1人子供を産め」とか
そんな私生活に関わる様なことを言うのはとても失礼らしい。
だから私がわけのわからない状況で 子供と2人だけで来て
保育園を探していても 「それで、あなたはどういう
状況なんですか?」ときかれることなく そっと
しておいてもらえてる。それが私はとても嬉しい
日本だったら根掘り葉掘り 本当はどうでもいいのに
私のことなんか関心だってないくせに
興味本意で聞かれるようなことを
ここではそっとしといてもらえる
「だってそれは私生活の範疇だから」
そんな言葉があるんだな!
(ちなみに初対面の人に「結婚してますか?」とか
「子供は?」と聞くのも失礼にあたるらしい)


 そんなパリで 日本的な子育て、子供中心で
子供に追われてへとへとになるような
子育てをしてきた私はたまにこんなことを言われてしまう
「今二人で話してるんだからちょっと静かにしなさいって
蓮太郎に言ってくれない?」「抱っこ抱っこたって
もっと歩かせないとだめだよ!」「私ももうすぐ
仕事に行かないといけなくて急いでるから
急いでって蓮太郎に言ってくれない?」


 そう ここは大人のペースが主体なんだなあ。。。


 私はかなり 子供に合わせてきてしまった方なので
一度京都で子連れのフランス人をガイドしたとき
「今日はどこに行きましょうか?」と30分くらい
打合せをしたときに 彼らの子供たちがほとんど
無言で大人の話している横でちょこんと座っていたのに驚いた。
そんなことってあるんだな、、、
ちなみに前回の哲学カフェでも1時間くらいカウンターに
ちょこんと座ってじっと静かにしている子がいて
驚いた。年齢は蓮太郎と同じくらい。。。
そんなことが あるんだなーー


 ここに子供と一緒に来る前は
フランスの方がしつけが厳しいのかと思ってた
だから子供は活き活きしてない なんだかそんな気がしていたけど
たぶんそうではないようで 行儀作法に関しては
日本はかなり厳しいと思う。それは全般におよんでるのかなと
思うけど そして日本の子たちはおとなしいように思うけど
こちらの子たちは力のゆるめ方というか
遊ぶ時はめちゃくちゃ激しく遊んでて
おとなしくするときはおとなしくする
その力の入れ加減がもっとはっきりしてる気がする
日本では 「いつもおとなしくて言うことを聞くいい子」が
求められがちだけど こちらでは「遊ぶときはめちゃくちゃ遊んで
でも大人のいる空間では大人を優先させられる子」が
求められているのかな

 
 さて そんなこと 蓮太郎はできるのだろうか


 それをするには まずは説明 それから時にはおどし?
そして約束を守らなかったらこちらも強気な態度に出ること  
なのかなあ 一週間で 私はやっと 強い母親に
なりかけてきたような気がしてる。
かなり体力もついただろうし かなり説明もしているし
蓮太郎はメトロや静かにするべき場所では
それなりにいい子にできるようになってきた。
おしっこトレーニングは最悪だけど
それでも私はやる気になって
だいぶ母親らしくなったかなあ


 母だから語れることがある
母だからわかりあえることがある
母だから知り合える 笑い合える人がいる
まだまだ難かしいけれど
それでもこんなに大変だって 日本にいるときより
私はよっぽど嬉しいらしい
ちょっとは預けられるといいけど
少しは働きたいけれど まず当分は
フランスの子育て事情を探っていくことなのかなあ

 子供がいても 全てを諦めなくていいのなら
素敵なカフェにだって行けるなら
大人の時間を楽しめるなら 髪の毛振り乱して
いつも怒っている様なお母さんにならないでもいいというなら
そりゃあ いいなあと思ってしまうなあ


 今日蓮太郎とサンジェルマンデプレの
カフェドフロールの前を通ったけど
なんだか私は哀しくなった この子を抱えていたら
パリにいてもカフェには行けない?
そんなことないといいけれど
「子供を産んだら諦めなさい」の日本型 と
「子供を産んでも諦めない」のフランス型と
違いは色々あるだろうけど もう少し
フランス型を学んでみたい。

パリで子育て

2011年03月31日 | 日仏子育て事情


 パリに来てから思っていたより蓮太郎は
元気で楽しそうにやっていて 外に出ても
抱っこ抱っこで歩かないけど
そんなわけで道端でたちどまっては
フランスの工事の車を見てみたり
(この名前何?と言われるけどホイールローダーと
トラクターを合体させた様な車とか、わからないのばっかり)
怒ったり彼と交渉したり結局だっこをしてみたり で
それなりに大変なのだけど なんだかそれでも
パリは楽しい。


 なんでかなあ と思うけど
そりゃ2時間子供と散歩をしにいって
ショッピングセンターでわがままを言われ続けた挙げ句に
牛乳一本とハムくらいしか買えなくて空しくなる様な
そんな状態ではないからなのかなあ

 ここにはスーパーもあればパン屋もあるし
それにマルシェもあれば 何故か日中でも
人がたくさん歩いているから?なんだか
「世界でひとりぼっち ふたりぼっち」な感じがしない。


 今回はもう本当にお金をつかっていられないので
1日10ユーロ(約千円)以下しか使わないように
頑張ろうということにして なんとかかんとか
そんな状態で成り立っている。なんせ息子が
いるわけだかだら 結局のところ 徒歩範囲でしか
どこかに行けず なんとこの私がまだカフェにも
一回もいってなければ カフェドフロールも、
エッフェル塔すら行っていない。


 それでもなんとか楽しくやっていられるのは
行こうと思えばいつでもいけるし 会いたい人たちに
会おうと思えばいつでも会える そんな安心感があるからだろう




 今日は蓮太郎と激安のマルシェに行って
意外と二人で行くと遠かったけど 25リットルの
ザックを背負って あれやこれやと見ている間に
お店の人に押し売りされて(フランスでは「これ何キロ
いくらだから」といって目があって見ている間に
袋に入れられてしまう)ほうれん草1キロだとか
(そんなにいらない!)にんじんを8本くらいの
一束だとか そういうのを沢山買って
もうザックが満杯になってしまった。それでも
それだけ野菜を買い込んだけど 多分全部で
10ユーロちょっとしかしてないだろう
そう パリは 安い所をみつけたら
意外と安く暮せるのです
なんせイチゴ1パックで160円くらいだったし。。。


 そうして重いザックをかかえ
その上に13キロある息子を抱っこし
えんえんと歩いてはちょっと後悔したりするけど
それでもパリは 私にとってはとても広がりや
発見に満ちてる街で まあそれは 私が外国人だからなんだろうけど
マルシェがあったり 運河には船が動いていたり
意外と緑も多かったり カフェのテラスはどこも
人がちょっとコーヒーを飲んでたり
ぐずっている息子を歩かせようとする横で
アフリカ人に「彼は疲れてるんだよー!」と声かけられたり
別に何が特別というわけでもないけど
この人間が 人間くさく生きてる感じが
無理に押さえ込もうとがんばらないで
怒る時は怒っているし、クラクション鳴らしたいときは
鳴らしてしまう そんな感じが私は好きだ。


 この先我等はどうなるかなあ
来週からはもう少し保育園のあてを探してみようと思うけど
私もカフェやビストロで優雅にお昼を食べれる日がまた
来るのだろうか 昨日なんて 息子と二人でファーストフードの
店に入って 少しだけものを頼んで 家からはるばるもってきた
ピザの残りをこっそり食べたりしてたのだけど
なんとか 道は開けるかなあ

 とりあえず 息子の時差ぼけは昨日でだいぶなおったらしく
これで私も眠れるようになりそうだから またゆっくりと
それなりにリズムがつくれるだろうか
息子と二人 手をつないだら いったいどこまで行けるのだろうか
メトロではスリにあいそうになったけど なんとかかんとか
無事にやっていけたらいいよなあ

スーパーウーマンはこんなに大変

2010年10月16日 | 日仏子育て事情


 今日は土曜日だから思いきって研究は
お休みにして、普段できないことをしよう!と
思い立ち それなら前から行きたかった
展覧会に行ってこようということにして、
そこに行く途中によるカフェで 何しようかと
考えたけど これまた「研究」の本はやめ
最近面白くてつい読んでしまう
『スーパーウーマンはこんなに大変』を
持っていくことにした。

スーパーウーマンはこんなに大変
菊地 有子
バベル・プレス




 
 さーてあんまり時間もないし
バスを待ってる間から 何か有益なことがしたいと
思っていたら そうかこの時間でも読めるんだと
その本をバックがら取り出すと ついつい
ついついはまってしまって
結局今日1日で読んでしまった。
電車の中でも 電車を待つ間にも
カフェでジャズを聴いてる時にも
私はいつもそれを読んでて クスクス
つい笑っては 付箋を貼りたくなってしまう。


 この本は1987年にフランスで書かれた本で、
スーパーウーマンというのは、仕事、家庭、
子育て、そして女性としての役割を1人で
ばっちりこなす「有能で成功した」女性のことで、
著者はELLE誌のジャーナリストで2人の子供の母らしい。
彼女は特有のユーモアたっぷりに
スーパーウーマンであろうとすることが
本当はどれほど大変で それがいかに幻想に
満ちているのかを 沢山の友人たちの姿を交えて描き出す。


 これは発売と同時に瞬く間にベストセラーに
なったらしくて それというのも
そうとう彼女のような「本当はしんどい!」と思っている
スーパーウーマンたちの共感を呼んだからだろう。


 私が面白いなあと思った視点は沢山あるけど
その中でも「女たちは男性の権威を毛嫌いしていたというのに
今や女が男達にとって変わって 男が女になってしまった」
という視点とか彼女たちの時代に先行していたフェミニストたちに
対する攻撃だとか(というのも女達を解放した多くの
フェミニストたちがのちにはころっと意見を代えて
「家庭や母性もやはり女性には大切です、、、」
というようになってしまったかららしい)


 それから彼女はボーヴォワールについても
すごいことを言っている。


 「『第二の性』がこれほどの反響を呼び起こしたのは、
展開された論理の正しさによるものではない(これほどの
欠陥を、文句も言わずに認めることができるだろうか)。
それよりも、女性に対する厳しさ、あるいは意地の悪さ
ゆえなのだ。千ページにもおよぶ罵倒・・・(中略)

 奇妙なパラドックスだが、こうしてボーヴォワールは自分の
目的を達した。つまり女性たちを侮辱し、罵ることによって、
女性達を奮起させ、権利を主張させ、二千年に及ぶ隷属状態から
自らを解放させたのだ。つまり、《私はあなた方に何の
尊敬も感じない》と言いながら。彼女はまわりくどい言い方はせず、
女性達を傷つけた。」(p.176)


 彼女によれば「ボーヴォワールは男性だった、それも
徹底した女嫌いの男性だったとしか思えない」そうである。
『第二の性』は女性が書いたというまさにその事実によって
ものすごい反響を女性達に巻き起こしたけど
もし男性が書いていたなら あまりに激しい侮辱によって
フェミニストたちに罵倒されていたかもしれない。
男性だったらここまで書けない そんな恐ろしい書き方で
ボーヴォワールは「女性である恥」を説き
そんなままでいいのか!いいわけがない!と
女達を奮い立たせて そして世界を本当に変えてった。
彼女自身は この本を書いた時点では
そんな意図までなかったと述べていたけれど、、、
(だって彼女は小説家になりたかったわけだし
自分はフェミニストじゃないと何度も言っている)


 もしかすると スーパーウーマンの大変ぶりは
両立不可能な12個のものを無理矢理にでも
両立させようとしてへとへとになって息もつけない
そんなしんどい状況は「こんなんじゃだめだ!できるはずだ!」
ともっと自分に鞭を打つという そんな姿勢から来ているのかも。
それらはきっと「足りない」「まだだめ」というような
自己否定からはじまっていて それが
息苦しさを招いてしまってる なんだかそう見えてしまう。
だからきっと この著者は「できない」とは言わなかったけど
「少しくらいは休ませて!!」と叫びたくなる
そんな叫びに沢山の人が共感したから売れたのだろう。


 彼女はこう書いている。

 「もうやめようではないか。少しは私たちを解放してほしい。
あなた方はたえず自分たちのすばらしさを見せつけ、私たちを
苦しめていることに気がつかないのだろうか。
あなた方の栄光のおかげで、私たちはすっかりしょげかえっている。
私たちはあなた方の足元にもおよばないだろう。
そしてすでにぎっしり詰まった24時間を、48時間分
生きようとなお無駄な努力をしている。それは無理というものだ。

(中略)

 そして私たちに少しは同情して、あなた方もときには
つらいことがあると告白してほしい。(中略)
つまり成功するには、たとえ完璧な生活でも
どれか1つを犠牲にし、つらい思いをしても、
そうしなければならないのだということを認めてほしい。」
 (p,244)



 欲を持つこと やりたいことを持つことも
夢見ることも ワクワクするのも大事だけれど
ひたすらあくせく追われるように 秒きざみで
動いていくのと 彼女がつい憧れてしまう
ジェーンバーキンや他の有名人たちのように
「たいした努力もしていないと本人は言っているのに」
素敵な生活も地位も家族も手に入れてしまったという
そんな人たちは もしかして 似てはいるけど
何かの軸が かなり異なっているのかも、、、


 人からどう見られるかばかり気にしてあくせくするだけじゃなく

 本当の自分 等身大の自分、できない自分も認められること

 それってとっても大事じゃないか


 最近私はそう思う。



 私は最近2ヶ月くらい「ナマケモノとインテリジェンス」
について想いをめぐらせていて というのも前回
フランスに滞在したとき「ナマケモノであることと
知的であることは両立できる」と聞いてびっくりしたからで
どうやって?本当に?ほんとかなあ、、、と
私も最近ナマケモノを実践しながら考えている。


 ところがなんだか不思議なことに
「今日はもうナマケモノにしよう!」と思った日
そんな日に限ってなんだか あれ いつもより
いろんなことができている、、、?


 例えば今日は 朝ご飯をつくってヨガに息子と行ってから
朝市で買い物もして それからお昼ごはんをつくる傍らで
秋だしお菓子づくりでもするか!と思い立って
スイートポテトをつくったし。
それからジャズの生演奏が聞きたくて 久々の
高槻のカフェにまで足を伸ばして
それから兵庫の美術館に行き
電車の中では一冊本もちゃんと読めてしまって
なんだかかなり充実してた?!
でも私の中では「頑張った!!」という感じではなく
今日は「研究おやすみ、ナマケモノ、、、」な日なんだな。


 ナマケモノ実践をしてみて 1つこれかな?と思ったことは
他にたっぷり集中するほど 他のこともできる、ということ。
今日はもう朝から映画みちゃえ!とか まあいっか
蓮太郎とごろごろしてよう とか 「これでいっかー」
ということをそれなりにたっぷりしていると
脳みそが十分休んでくれるのか はたまた
違う部分をつかっているのか「じゃあ行ってきまーす」と
他のことをするときに かなりそちらにエネルギーが
集中できるみたいだなあ。集中力に差がでるのかしら?


 私はどちらかというと 自分で自分をしばりにしばって
「足りない!まだだめ!でも苦しい!」とがんじがらめに
やってきて バカにもなれない人だったから
今の自分はとても楽しい。しかもなんだか
エネルギーも沢山あるから 意外と英語もできるかも?とか
そんな気にまでなれてしまう。


 なんだか不思議な体験だなあ こんな生き方もありなのか、、、
頑張っているつもりはないけど 結果としては
頑張って頑張って頑張っていた そんな時より吸収したり
何かができたりしてしまってる そんなこと も
あるんだな、、、


 自己実現も 幸せな家庭も子供も欲しい
本当にそれはよくわかる。「女の幸せ?それは家庭よ」なんて
決めつけないでほしいと思う。だから私は
フランス流のやり方に とても興味を惹かれるけれど
でもそれが絶対なわけじゃない し 日本にも日本のよさがある。
だから私は「中途半端」に 「専業主婦!」の幼稚園ママにもなりきれず、
週5日働き続ける保育園ママにもなれない 
どっちつかずの日々を送っては悶々としているわけだけど
いつの日か 自分の中でいろんな視点を融合させて
女が幸せになるために こんな生き方も可能なのではと
そんな提言ができたらいい。

フランスの子育て

2010年10月07日 | 日仏子育て事情


 最近よくいわれるものの
フランスの子育てって実際どうなのだろう
そんなに日本と違うのだろうかと
疑問をもって もう一度
以前読んだことのある
『フランスの子育てが日本よりも10倍楽な理由』を
読んでみた。10倍も楽なわけあるかよ!と思いつつ、、、

フランスの子育てが、日本よりも10倍楽な理由
横田 増生
洋泉社



 2度目の今日は なんだかスーッと入ってきて
あーそうか、こんなに補助金の額が違うのかとか
へー外国人でもフランスに住んだらいけるのかとか
なるほど2人目からだと月に500ユーロももらえるのかとか
だいぶ自分の中にすとんと落ちていったのは
もしかしたら 私の見方が変わったから なのかもな。


 この本は男の人が書いていて
かなり数字も使われてるし
ちょっと難かしそうな言葉もけっこう
出てきたりする本だから 日本で
子育て中の主婦が読んでも
おそらく全部読まれることはないのでは?
少子化対策室の人なら読むだろうけど、、
とつい私は思ってしまう。
(これは自分の本の経験をふまえてわかったので
今度はもっと読みやすい本をつくりたい!)

 それでも今回なるほどなーと思えたのは
私自身が一度目に読んだときよりフランスでの
子育てを 身近なものとして考えるように
なっていったからだろう。

 とはいえ日本とフランスとでは
この著者がいうように 結婚、子育て観に関して
2世代ほどの開きがあるらしく
日本ではあいかわらず おばあちゃん世代のいうことが
それなりに正しい という感じで「自然に出産
自然に子育て そして自然に専業主婦?」という
流れがあるけど かつて私がパリのパスツール研究所の
フェミニストな所長さんと話をしたとき
彼女は私にこう言った。「自然 って あなたはいうけどね
それは人間がつくった文化よ。自然じゃないわ
そこははき違えちゃいけないの。」


 そのときはよくわからなかった
だって私は「自然に専業主婦」になったから
だけどそれは 社会制度の違いであって
それが必ずしも幸せな家庭や生き方を生み出すかと
問うてみれば 決してそんなことはない。
日本では7割の女の人が子供を3歳まで自分で
育てているそうだけど フランスでは8割の
女性は子供を産んでも働くらしい。
フランスでは専業主婦は肩身が狭いんだって
でも保育園そんなないって聞くけどね、、、


 やっぱりあの国では ボーヴォワールが与えた影響というのは
はかりしれないものらしく 日本で専業主婦をしながら
たまにボーヴォワールを読んでは自分に目覚めた私に向かって
私の旦那は「今日は様子がどうもおかしい
ボーヴォワール読んだ!?ボーヴォワールは毒ですよ、、、」
と言ってのけたりしたけれど
私はやっぱり 戦後あれだけ変化をとげた
フランスという地が気になっている。

 私もいつか この日本でのしっかりとした
「専業主婦 団地妻 しかもママサークルまでいった!」という
いわゆる主婦の経験をいかした上で フランスでの
子育て事情を身体で比較し 本が書けたらいいよなあ
もっと主婦にピンとくるもの
もっと日本の普通の女性が読めて 共感が湧くものを
私もいつか 書いてみたい と
あまりに異なるフランスの事情について書かれた本を
読む度思うけど まずは経験することで
読んでるだけでは わからない。

 子育て事情も 生き方も 学校の教育の仕方も
かかるお金も全然違うあの国で
私もいろんな経験をして いつの日か
ボーヴォワールが残したように
沢山の人に力を与える そんな本が書けたらいい

 ちなみに『フランス 新 男と女』とてもおもしろいです!
同じ時代を生きてるのに本当に?こんなに違うの?
日本とフランス!?とびっくりします。

フランス 新・男と女―幸福探し、これからのかたち (平凡社新書)
Muriel Jolivet,鳥取 絹子
平凡社


 せっかくなので好きなフレーズを引用しておきます。
すごく日仏の違いがでていると思います。


 「僕は日本人の視点はとてもよくわかる。
「すべて、一つまみの幻想のためじゃないか!」ってね。
でも逆に僕のほうから日本人に聞きたい、
何のために我慢してるんですかって。
だいいち日本でも、人はすべて幻想で動かされているんだ。
キャリアを積み、いい会社に入り、安定したものをみつけ、、」
(中略)
「たしかにフランス人は、日本人の言う
「平凡な生活に対する憧れ」では満足しない。
でもその「平凡」っていったい何だろう。
僕は日本人に、僕のようになれとは言わないよ。
でも僕がショックを受けるのは倦怠感だ。
どの顔を見ても退屈しきっている。
だから、僕はかんがえてしまうんだ。
待てよ、僕の目の前にあるこの顔こそが、
この国を証明しているのではないかって。
顔にあらわれている
あなた方はいつも眠っている!
そこから僕に疑問がわく。
あなたたちは満足しているんですかって。」


 ちなみに この文章はフランス人が書いていますが
(何故か日本人がフランスの子育て事情をかくと
礼賛!!になるけど フランス人は別に
そこまで素晴らしいとは言わない。
私の知人はみんなパリで子育てするのは難かしいと言います)
最後にこんな言葉が書かれていました、、、


 「バルザックは知人からの結婚の知らせを聞いて
「ああ、またひとりの女性が人類のために失われた!」と言い放った。
この言葉を現代に置き換えるとすれば、結婚ではなく
出産が当てはまるだろう。」
と「終わりに代えて」で書いています。
もう10年前の本なのでだいぶ変わったんでしょうか
やっぱり知りたいところです。


犠牲の母

2009年07月28日 | 日仏子育て事情
昨年京都でちょっと通った桶谷式のマッサージの
先生に こう言われたのが気にかかる。
「あなたは犠牲の母ね、、、」

 犠牲の母って 何だろう
それは言い意味なのだろうか
それとも悪い意味なのだろうか 
私にはわからなかったし 今でもよくはわからない。


 その時の私にとって この言葉は
むしろいい意味な気がしてた。
自分は痩せはて 子供は肥えて
おっぱいだけで大きくなった 自分のことを犠牲にしても
子供をなんとか元気に育てた 「母乳育児」が
大切なんだ!と思った私は 日本的な価値観に
かなりそまってた私としては それでいいのだと思ってた。


 けれどもそれってどうなのだろう 
フランス的な価値観に ちょっと触れるたびに私は迷い
いつもどうかと思ってしまう。
フランスでは母乳をあげるのはたいしてよしとはされていなくて
母親が自分の人生を 大人としての人生を
できる限り楽しみながら 子供も育てるそれが
いいとされてるようで 母乳は「動物的」なんだそうな


 いろんなことに迷い 悩み 考えながら
もうちょっとフランスの育児について知りたいなあと思っていたら
とても参考になる本に出会った。
その本(『世界一ぜいたくな子育て-欲張り世代の各国「母親」事情』)には
フランスだけでなく、日本やオランダ スイス ドイツなどで
子育てをしてる女性の悩みや生き方と社会における
価値観の違いが書かれてて ものすごく参考になる。


 とくに参考になったのは 母乳で苦しむスイス人の
女性の話で 母乳が絶対いいのだと 言われているから
頑張ったけど 辛くて辛くて それでもなんとか頑張って
だけどつらくて 子供は泣き叫び おかあさんは家事を
する余裕もまったくなくて 旦那はその状態にたえられなくなり
家庭が崩壊していってしまう そんな状況の描写があった。

 そうなんだ そんな辛い想いをしている人がいるんだな、、、
「母乳絶対主義」の裏では 母乳で苦しむ人がいる
それでストレスがたまり ご飯もろくに食べられなくて
おっぱいが美味しくなくなり トラブルがおこり
赤ちゃんはわんさか泣いている それでも母乳?
それならミルクにした方が いいのだろうと思うけど
その母をしばるのは「母乳じゃなきゃだめ!」という
強迫観念に近いもの それってわかる!でも
そんなの絶対やめたほうがいいと思う。


 私も子供が産まれた直後に母乳絶対!!の義母がきて
うまくいかない母乳で悩む私の横で「何があっても
母乳が大事!!」と延々さとされ ミルクを足してる
病院を非難され それがとても辛かった。(泣きました)
それでも母乳?それでも どんなにつらくても?
結局の処私の母乳が続けられたのは 実家の母が
京都にきてくれ 散々ご飯をつくってくれて
なんとか助けてくれたから。それでなんとかなったけど
もうやめよう!と決意した夜 乳腺炎になってしまって
それを直すためにはれんちゃんに飲んで貰うしか
ないとわかって 結局つづけることになったけど
母乳育児のその裏で 母乳神話のその裏で
がんじがらめで苦しむ人が どれほどいるというのだろう。


 私の場合は 母乳やおんぶや 器具をつかわない昔の
育児に興味があって 義母がそれをかなり強く推奨していて
だけど一方 自由に生きて フランスに憧れた面もあり
やりたいこともあるわけで そういうことを
身よりもない場で 一人で全部かかえていたら
そりゃ破綻すると 今になってようやくわかった。

 「仕事と育児の両立」だとか 「子供がいて
素敵な生活」だとか 本屋に行けば きれいな言葉が
並ぶけど ほんとのところは どの国にいても
沢山の女性は悩みを抱えて 自由に生きてはきたものの
子供を産んだらがーんと変わって
どっぷり子育てにつかっていたり 母乳のことで
悩んでいたり たいして変わらないようだ。
そんなことを伝えてくれて 深い視点で世界の子育てを
比較検討してくれてるのも 著者が子供を産んだから で
母乳育児をやってみて 色々思っていたからで
彼女だからこその視点があって 本当にためになる本だった。
子育てをした人には した人にしかわからない
深い 深い視点があるのだと思う。たぶんそれは
子育てをした男性著者とは もっと異なった視点であって
もっと共感をもちやすい。

 今日は素敵な女性に出会った
そんなモデルもいるんだな 彼女は子供を産んで10年で
この本を書いたそうな 私ももっと たくさんのことを
自分の視点で研究したい。

フランス人脳科学者との対話

2009年05月18日 | 日仏子育て事情

 ここ最近私のまわりはダイアローグ
ダイアローグと言っている方が多いようで
はて対話って何なのだろうと かつて買って
読みかけていた 『ダイアローグ』という本なんかを
触ってみると なんだか対話というのはフランスの
カフェでの会話と似ているようだ。

 そうかーー対話ねえと思いながら
昨日はフランス人と会う機会があったので
その人と会いに街に出た。

 フランス人と会うといえば
先日嫌な思いをしてから 留学時代の
つらい経験を思い出し もうこりごりかも
やっぱりしんどい こりゃパリ症候群にもなるよなーと
警戒心を隠せないでいたけれど 今回の人は
なんだかかなり良さそうな人で 警戒心もちょっと薄れる


 その人は 以前パリの哲学カフェで出会って知り合った人の
友人で 京大に「脳に性別はあるのか」というテーマで
講演をしに来るらしい。私は全然しらないけれど
パリのパスツール研究所で働いているカトリーヌさんという方で
脳だとか狂牛病だとかについて研究をしているらしい。


 彼女と会って ちょっと雨の街を散策しながら
どこに行こうかと散々悩んでみた結果
日本の文化を知ろうというわけで結局「ワタミ」に行くことになる
この選択、、、どうなんだろー 日本人的にはまるで
いけてないよなーと思いながらも 彼女は彼女で喜んでくれ
まあいいっか ということになる。


 さてそこで長々と彼女と話をしていくと
やっぱり会話が面白くって 彼女は政治が科学におよぼす作用に
ついて最近は興味があるのだと言った。科学は科学といわれるけれど
政治的にも利用され 悪影響をおよぼすこともあるわけで
科学だけでなく 科学と社会などにも興味があるらしい

 そこででてきた話題のメインが脳とジェンダーみたいなことで
彼女は「脳みそに性別なんてない!」と言い切っていた。
かつては男と女の脳とか 白人と黒人の脳は違うと言われていたけど
そんなことはないわけで 産まれた子供の脳みそは10%しか
機能してなく 環境の変化やいろんな作用によってそこから
激しく脳が機能していくらしい。


 そこで私たちがした話は「自然」と「文化」は違うってこと
日本にいると つい子供を産んだりする環境で「自然派育児」とか
「自然に産みたい」とかいうけれど だから私はそれはある意味
動物的だと思ってたけど 彼女はそれらを「文化」なのだと言っていた
産むときに痛みがあるのは「文化」じゃなくて「自然」だろうと思うけど
その後の育児にどれだけ母が関わってくかは「文化」によって違うのかなあ
そして彼女はジェンダーらしく 「文化」はかつて人間がつくった
歴史なわけで それなら変えてゆけるのだ というようなことを言っていた


 最近めっきり古風な方に逆戻りした私にとって
彼女の話はかなり頭で考えられたセオリーなように聞こえたけれど
ボーヴォワールのような人達がきっかけになり
どんどんフランスは変わっていって 男女同権
女も産後すぐに働いて 子供を産んでも 特に変わらない
そんな風になったらしい。


 でもさー 産後すぐなんてへろへろで とても動けないと
思うけど と私が言うと「三ヶ月から働けるわよ!」
ほんとかなー 私には信じられないと私は言うと
「でもそれは人によるし それが可能な人たちだって一杯いるわ」
なんだかんだで言い負かされて 「よく考えたら私が産後
本当にしんどかったのは本も書いていたからかもしれない」
そういったら彼女は「そうよ!」と即答をして
「あなたは二人の子を産んだようなものだからね
あなたの経験は一般化できるものではないわ」と言っていた。
確かになー 一人目で一番しんどいときに 私は本もやっていたから
そりゃかなりしんどくて 二人目はぐんと楽なのかもな
しかしこういういわゆる「対話」は 面白いけど
なかなかしんどい。ボーヴォワールはかつて話し相手を
「こてんぱんにやっつけた」と書いていたけど 
ちょっとそんな感じだなー


 それにしても フランスはかなり子育てしやすくなってるらしく
女性も8割の人が働いていて 専業主婦はほとんど存在しないらしい
そういわれると 「何で日本はそうじゃないの?」といわれると
「若い人達も女性は従順なように見える」といわれると
うーん確かにと思うけど それはそれで 家庭生活が
うまくいくのかもしれなくて どうなんだろう 女性が
家庭も仕事ももって 本当にうまくいくには
もっと違う価値観が必要なんだろうと思う
日本人と フランス人とでは働き方もまるで違うし
フランスでうまくいっても それをそのまま日本に適応しようとしたら
無理が生じることがある。


 ところで彼女と話をしていたnatureということは
科学者的には人間の生物学的な自然なんてないらしい
では自然がその文化の昔からある形をさすのなら
いわゆる「自然派育児」は女性に古風な形の育児をさせて
家に縛られることになるわけで 彼女的には natureなんてなく
脳のように全てが環境に左右されるだけなのならば
環境をつくりかえればいいじゃないかという発想になるわけだ
さすが革命の国!人間が社会をつくっているという
そういう哲学の国ならではの強い発想なような気がする


 日本の哲学はよくいわれるけれど「自然共生型」と
いうわけで 周囲の自然や環境に合わせて生きてくわけだ
「征服型」じゃないもんなー 子育てをしてそれをすごく
感じるけれど 「日本だってもっと女性が自由になるべきよ!!」と
言われると そうだなー もう自由な気もするけれど うーんと
言葉が出てこない。対話って 難かしいよね
黙っていると言いくるめられ 意見を言っても
「私はそうは思わないわ!だってね、、、、、!!」と言われ
またまたうーんと思ってしまう
日本ではよく話す方の私はいつも フランス人の側からみたら
何を言いたいんだかと思われてしまっているのだろう

 対話もカフェも女性の自由も みんな西洋から来た概念だけど
まったくもって文化も違う 正反対なくらいの日本で
何がどれだけ通用していくのだろう フランス人と会ってみると
いつも刺激されるけど いつもなんだか途方に暮れる
それでもパリは今ベビーブームなようだから
もう少し フランスの子育て事情を学びたい。

カトリーヌさんの本は日本語でも出ているそうです 面白そうだな!
http://www.amazon.co.jp/脳と性と能力-集英社新書-カトリーヌ-ヴィダル/dp/4087203964/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1242618409&sr=1-1

フランスに行くなら

<iframe frameborder="0" allowtransparency="true" height="60" width="468" marginheight="0" scrolling="no" src="http://ad.jp.ap.valuecommerce.com/servlet/htmlbanner?sid=2716631&amp;pid=879463511" marginwidth="0"><script language="javascript" src="http://ad.jp.ap.valuecommerce.com/servlet/jsbanner?sid=2716631&amp;pid=879463511"></script><noscript></noscript></iframe>

ブログランキング

http://blog.with2.net/link.php?1215861