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パリ、カフェ、子育て、サードプレイス、
新たな時代を感じるものなどに関して
徒然なるままに自分の想いを綴っています。

モンパルナスに想いをはせる

2012年06月04日 | パリのカフェ文化


 「飯田さん どうして原文で読まないの?」と
大学院の修士論文を書いていた頃 先輩に言われてしまった。
その人は大阪外大のフランス語学科を卒業していた人なのだけど
私はこう答えたかった。「だって そんなの全部読めません、、、!」


 あの頃の私はどうやってフランス語を読んでいたのだろう?
確かにフランスでインタヴューもしたのだけれど
あの頃のフランス語は一体どんなレベルだったのだろう?
それなりに本と向き合い 1日5ページとかそんなレベルで
なんとかやっていたけれど 私にはやっぱりちょっとレベルが足りてなかった。


 そりゃあもちろん 今でもフランス語を読むのは難しいけれど、、、


 そんな私に朗報なのが 家にあったけどずっと閉じていた
ガートルード・スタインの『アリス・B・トクラスの日記』という
1910年ごろからずっとモンパルナスでサロンを開いていたガートルードの
自伝的日記のフランス語版。かつてパリのピカソ美術館で買ったものの
かなりかいつまんでしか読んでなかった。それに当時 私は
サロン?と思っていた。ガートルードに対する評価もそう高いものでは
なかったし まあいいかなと思っていたのだけれど
ウッディアレンの『ミッドナイトインパリ』を観て以来
ガートルード、すごいんじゃない?と思って手にとってみた。
そしたらこの面白いこと!!(これはもともと英語で書かれています)


 ガートルードは1903年にパリに来たアメリカ人。
彼女の兄のレオは非常に鑑識眼が高くて、仲の良かった
2人はいろんなところに一緒に行っては一枚、もしくは
2人別々に誰かの絵を買った。それらの絵が彼女の居間の壁を埋めていき
まだ珍しかったセザンヌやマティスの絵を見るためにたくさんの人が集まって来た。
ピカソ、マティスをはじめ、沢山のアメリカ人や多国籍な人たちがいた。
映画の中では彼女は英語とフランス語で話してた。
パリは本当に多国籍な街だった。そして今でも多国籍。


 私が現在のガートルードのサロン?!と目を丸くした
ミッシェルの家のサロンには(そういえばこれも同じく土曜の晩だ!)
多国籍な人が集まってくる。ロシア、ドイツ、スペイン、フィリピン、日本、、
産まれたときから国籍が混じってて私には理解できないようなたぐいの人たち
(中国人だけど英語が母国語で中国語もできてフランス語もしゃべりつつ
日本語も学んでるといった、、、)
ミッシェルの家には残念ながら絵画はないけど、自称芸術家たちが集まってくる。
彼らがその後 偉大な人になるのかどうかは私にはわからないけれど
パリの中でも変わった人たちの集まりだろうとは思う。
そこにはアメリカからやって来た若い哲学者のカップルもいて
彼らはフロールでの哲学カフェの後には自宅でサロンを開くらしい。


 そんなサロンに加えてパリには夕食、ディネの文化も存在している。
この本にはマティスの家で食べた夕食の話も書かれてる。
それから小汚かったモンマルトルの洗濯船。こちらはピカソはじめ
後に有名となった多くの芸術家が住んでたアトリエで、ピカソの家は
かなり乱雑だったらしい。そんなピカソと長年つきあっていたのは
フランス人のフェルナンド・オリビエで、彼女は不思議なことに
香水や帽子を愛する優雅なフランス女性だったらしい。どうして
それなのにピカソとずっと一緒にいれたのかわからないけど
モンマルトルの時代はこの2人のカップルがつくったとさえ言えそうな程
2人は沢山の人たちを受け入れて来た。


 ガートルードの話には 南のモンパルナスに芸術家たちが移行する前の
モンマルトルも沢山でてくる。モンパルナスには彼女のサロンが存在していた。
それから詩の集いで有名だったクローズリー・デ・リラも。
パリの北、モンマルトルにはピカソたちのアトリエが存在していた。
彼らはみんなで行ったり来たりしてたけど そのうちモンパルナスに
軍配があがる。ピカソが1912年にフェルナンドときっぱり別れ
他の女性と一緒にモンパルナスに住むことにしたときに
多くの人は「モンパルナスの時代になった」と思ったそうだ。
 
 それくらい 一人か2人の人間が 歴史に及ぼす影響力は
実は大きいのかもしれない。でもそんな人たちも人間だった。
ピカソもマティスも人間だった。偉人だけれども雲の上の人ではなくて
生きて、悩んでた人たちだった。そんな姿がこの本からは見えてくる。


 「なーんだ みんな自分と同じ人間だったのか」
と思えたときに 何かがぐんと変わりはじめる。
それが実際に偉人達に出会えた街のすごさじゃないのかな。
雲の上の存在が なんだ同じように飲み食いもすれば文句もいい
場合によっては自分の方があることについてはできるかもしれないとすら
思えた時に 自分の意識がぐわんと変わる。



 不可能ではないかもしれない


 いや 可能かもしれない


 だって 彼も人間だから。


 そんな風に思えたから 「ミッドナイトインパリ」の主人公は
ヘミングウェイに自分の原稿に対するアドバイスをもらって感激しつつも
自分の道を確かに進んでいこうと思えたのだろう。
私も彼らに会いたいけれど まずは私も
モンパルナスをしっかりと頭に入れて自分の本に向かっていこう。

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