録画予約ばっちり
「ファミリーヒストリー」は、ゲスト本人もよく知らない、両親や祖父母の人生を探っていく番組。つい昨日も、女優・余貴美子さんの回の再放送を見たが、台湾や中国・広東省まで取材に行っていた。
小塚崇彦選手のお祖父さんが、満州でフィギュアスケート選手だったことや、帰国して愛知県のフィギュアスケート普及に力を尽くしたことはよく知られているが、具体的にどんな日々だったのか。詳しく描かれてるといいな
<追記>
小塚崇彦の祖父・光彦のフィギュアスケートに賭ける人生。いろいろ記録が残っていた。満州ではカメラマンの仕事だったから、撮った写真がいろいろ。
満州でスケートを始めるきっかけになった初恋の人が健在で 再会は果たせなかったけど、孫が代わりに会えた。
親友とオリンピックを目指していたが、1940年に開催予定だった札幌オリンピックが幻と消えた。幻の東京オリンピックと同じ年に、冬季オリンピックもあるはずだったんだ…。
戦死した親友と約束した「諦めずに、子や孫に託して」。戦後引き揚げてきてから名古屋に屋内リンクを作るために奔走して、昭和28年にもうリンクができた。これは早い、、、
子どもたちに無料で指導したり、スケート人口が増えていく。名古屋方面出身の友人が「自分の周囲にはフィギュアスケートをやってる子が珍しくなかったから、普通の習い事だと思っていた」と言ってたが、そういう環境を作った人がいたからだったのだ。
息子・嗣彦氏がグルノーブ五輪に出場するが、世界との差を見せつけられる。海外の優れた演技から学びたいと、当時のソ連に行く機会があったとき、懇親会でロシア語でスピーチ、エキシビション招待の成功につなげた。
現在の名古屋のアイスリンク、放課後の練習に集まってくる子どもたちがわらわらわら いや、「(日本の3枠に加えて)愛知県枠が欲しい」と言われるだけのことはある。
孫・崇彦がバンクーバー五輪で4回転を跳び、世界選手権で獲得した銀メダルをかけてくれて、夢が続いていくことを実感していたことだろう。
「スケートが好きという気持ちを忘れずに、楽しさを伝えていきたい」と小塚崇彦。グランプリファイナル頑張って