【鼎談書評】村上春樹『騎士団長殺し』
★村上春樹『騎士団長殺し(第1部・第2部)』(新潮社 各1,800円+税)
(1)村上春樹、3年ぶりの新作。発売日に書店に行列ができ、徹夜の読書会が開かれる。そんな作家は日本には他にいない。
主人公は36歳の肖像画家。妻から突然「あなたと一緒に暮らすことはこれ以上できそうにない」と言われ、怒るのではなく自分が出て行く。友人の父親で日本画の大家の小田原近郊にある家を借りて、ひとりで住む。するとスティーブン・キング並みの不思議小説になってくる。屋根裏に隠された日本画を見つける。その絵はモーツァルトの歌劇「ドン・ジョバンニ」に基づいている。歌劇と同じく騎士団長が殺されている。その騎士団長が、夜中に鈴が鳴ると絵から出てくる。身長60センチ。まさにファンタジー。
そこに若くして総白髪の金満家、免色(めんしき)や、主人公の死んだ妹と被る少女のまりえが交錯し、時空を超えた物語が展開する。
(2)この作品はボリューム十分なのにすんなりとしたおもしろさにひきこまれ、一気に読んでしまう。現実世界では起こり得ないような奇妙な話なのに、それが自然と感じてしまう。
夜中の2時間前後、地中深くからチリンチリンと鈴が鳴り、45分経つとぴたりと止まる。この情景にまずワクワクさせられる。まるで小栗風太郎『黒死館殺人事件』のノリだ(笑)。やっぱり村上春樹は読ませる仕掛けが見事。主人公の相棒が免色・・・・色を免れるなんて、読者をからかうネーミングだ。小説はおもしろくなくてはいけない、の持論の人はたっぷり楽しめる。
(3)主題は喪失と自己回復だろう。妹を失い妻に捨てられた「私」が、いかに立ち直るか。主人公は小女時代に逝った妹に「永遠の女性」を見ている。少女愛なのだ。そこから大人の女性を愛せる男へ成熟し、妻を取り戻そうとする。
小説は女性の胸の大きさにこだわる。バストの描写が何かと多い。少女の胸、大人の胸。胸の大小についての性的な感じ方が主人公の成熟と関わる。
それから絵。主人公は画家だから。騎士団長殺しの絵に隠された意味を解読すればするほどこれまた成熟する。
(4)画家を主人公に置き、絵が大きな役割を果たす設定は、小説家にとって難しそうだと最初は感じた。主人公の絵への眼差しや、創作との関係性を作品の中で作り上げるのは大変な作業だと感じたからだ。ところがあまり多くの説明はないのに、作中で重要となる絵は、頭の中にパッとイメージが浮かんでくる。絵の存在が、小説をより良くしている。
主人公にとって、絵は記憶を残すために描くものだ。原体験は、12歳で亡くなった妹の顔を覚えておこうとスケッチしたこと。妻との初めてのデートでも、スケッチブックに彼女の似顔絵を描く。
(5)小説の展開につれて、主人公の天分が開花していくあたりの描写は生き生きとしている。
(6)不思議と、妹、妻、そしてまりえと、主人公にとって大きな意味を持つ女性はどことなくイメージが似ている。浮気という行為をしている妻のユズも、読んでいると純粋さの方が際立つ。ユズはどこか中性的な印象があり、まりえは胸が小さいところを気にしていたり、「女」というより妖精的な感じがするせいか。その中で、主人公と浮気する41歳の人妻だけ、感触が違って印象に残る。
平凡そうな人妻でありながら、したたかで情報通。免色の家に秘密があると匂わせるなど、脇役だが存在感がある。
「もうあなたとは会わない方がいいと思う」と電話1本でさらりと別れるあたりは、そんな都合のいい話があるわけない、とつっこみたくもなるが(笑)。
(7)『騎士団長殺し』というタイトルはひじょうにうまい。誰でも手に取りたくなる。
最初、中世の物語かと思う。実際、1938年のドイツによるオーストリア併合「アンシュルス」が、なにやら意味ありげに語られる。また、上田秋成『春雨物語』を用いながら、悟りを開くために生きて棺に入る「入定」について触れた件(くだり)もある。中世、近世、現代と重層的な構造を作り出しているが、さほど歴史的にドラマチックな展開が起こるわけではないのが残念。
(8)やはり第三部が予定されているのではないか。騎士団長はともかく、「ドン・ジョバンニ」のほかの登場人物はまだ使い切れていないと思われるし。印象派の音楽を思わせるモヤモヤした感じの、顔のない男が出てきて、この顔を描けると肖像画家としての主人公の完成みたいな大団円を迎えられると思うが、まだ描けていない(笑)。
騎士団長殺しの絵を描いた老大家は若き日にウィーンへ留学し、ナチスに恋人を奪われる悲劇を体験する。その弟はピアニストを志すものの、日中戦争で音楽の夢を奪われる。喪失の主題は歴史的な広がりを見せ、ノーベル文学賞を取るための仕掛けかとも感じたが、そのへんの展開もまだ不十分に感じる。
(9)穏やかな結末なのは意外だった。物語はこれで終わりではないのかも。
まりえが免色の家で隠れているときに近づいてきた足音の主が、まだはっきりとは解明されていないし(笑)。
□山内昌之×片山杜秀×村田沙耶香「鼎談書評 ~文藝春秋BOOK倶楽部~」(「文藝春秋」 2017年5月号)
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【参考】
「【鼎談書評】失われた宗教を生きる人びと ~中東の秘教を求めて~」
★村上春樹『騎士団長殺し(第1部・第2部)』(新潮社 各1,800円+税)
(1)村上春樹、3年ぶりの新作。発売日に書店に行列ができ、徹夜の読書会が開かれる。そんな作家は日本には他にいない。
主人公は36歳の肖像画家。妻から突然「あなたと一緒に暮らすことはこれ以上できそうにない」と言われ、怒るのではなく自分が出て行く。友人の父親で日本画の大家の小田原近郊にある家を借りて、ひとりで住む。するとスティーブン・キング並みの不思議小説になってくる。屋根裏に隠された日本画を見つける。その絵はモーツァルトの歌劇「ドン・ジョバンニ」に基づいている。歌劇と同じく騎士団長が殺されている。その騎士団長が、夜中に鈴が鳴ると絵から出てくる。身長60センチ。まさにファンタジー。
そこに若くして総白髪の金満家、免色(めんしき)や、主人公の死んだ妹と被る少女のまりえが交錯し、時空を超えた物語が展開する。
(2)この作品はボリューム十分なのにすんなりとしたおもしろさにひきこまれ、一気に読んでしまう。現実世界では起こり得ないような奇妙な話なのに、それが自然と感じてしまう。
夜中の2時間前後、地中深くからチリンチリンと鈴が鳴り、45分経つとぴたりと止まる。この情景にまずワクワクさせられる。まるで小栗風太郎『黒死館殺人事件』のノリだ(笑)。やっぱり村上春樹は読ませる仕掛けが見事。主人公の相棒が免色・・・・色を免れるなんて、読者をからかうネーミングだ。小説はおもしろくなくてはいけない、の持論の人はたっぷり楽しめる。
(3)主題は喪失と自己回復だろう。妹を失い妻に捨てられた「私」が、いかに立ち直るか。主人公は小女時代に逝った妹に「永遠の女性」を見ている。少女愛なのだ。そこから大人の女性を愛せる男へ成熟し、妻を取り戻そうとする。
小説は女性の胸の大きさにこだわる。バストの描写が何かと多い。少女の胸、大人の胸。胸の大小についての性的な感じ方が主人公の成熟と関わる。
それから絵。主人公は画家だから。騎士団長殺しの絵に隠された意味を解読すればするほどこれまた成熟する。
(4)画家を主人公に置き、絵が大きな役割を果たす設定は、小説家にとって難しそうだと最初は感じた。主人公の絵への眼差しや、創作との関係性を作品の中で作り上げるのは大変な作業だと感じたからだ。ところがあまり多くの説明はないのに、作中で重要となる絵は、頭の中にパッとイメージが浮かんでくる。絵の存在が、小説をより良くしている。
主人公にとって、絵は記憶を残すために描くものだ。原体験は、12歳で亡くなった妹の顔を覚えておこうとスケッチしたこと。妻との初めてのデートでも、スケッチブックに彼女の似顔絵を描く。
(5)小説の展開につれて、主人公の天分が開花していくあたりの描写は生き生きとしている。
(6)不思議と、妹、妻、そしてまりえと、主人公にとって大きな意味を持つ女性はどことなくイメージが似ている。浮気という行為をしている妻のユズも、読んでいると純粋さの方が際立つ。ユズはどこか中性的な印象があり、まりえは胸が小さいところを気にしていたり、「女」というより妖精的な感じがするせいか。その中で、主人公と浮気する41歳の人妻だけ、感触が違って印象に残る。
平凡そうな人妻でありながら、したたかで情報通。免色の家に秘密があると匂わせるなど、脇役だが存在感がある。
「もうあなたとは会わない方がいいと思う」と電話1本でさらりと別れるあたりは、そんな都合のいい話があるわけない、とつっこみたくもなるが(笑)。
(7)『騎士団長殺し』というタイトルはひじょうにうまい。誰でも手に取りたくなる。
最初、中世の物語かと思う。実際、1938年のドイツによるオーストリア併合「アンシュルス」が、なにやら意味ありげに語られる。また、上田秋成『春雨物語』を用いながら、悟りを開くために生きて棺に入る「入定」について触れた件(くだり)もある。中世、近世、現代と重層的な構造を作り出しているが、さほど歴史的にドラマチックな展開が起こるわけではないのが残念。
(8)やはり第三部が予定されているのではないか。騎士団長はともかく、「ドン・ジョバンニ」のほかの登場人物はまだ使い切れていないと思われるし。印象派の音楽を思わせるモヤモヤした感じの、顔のない男が出てきて、この顔を描けると肖像画家としての主人公の完成みたいな大団円を迎えられると思うが、まだ描けていない(笑)。
騎士団長殺しの絵を描いた老大家は若き日にウィーンへ留学し、ナチスに恋人を奪われる悲劇を体験する。その弟はピアニストを志すものの、日中戦争で音楽の夢を奪われる。喪失の主題は歴史的な広がりを見せ、ノーベル文学賞を取るための仕掛けかとも感じたが、そのへんの展開もまだ不十分に感じる。
(9)穏やかな結末なのは意外だった。物語はこれで終わりではないのかも。
まりえが免色の家で隠れているときに近づいてきた足音の主が、まだはっきりとは解明されていないし(笑)。
□山内昌之×片山杜秀×村田沙耶香「鼎談書評 ~文藝春秋BOOK倶楽部~」(「文藝春秋」 2017年5月号)
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【参考】
「【鼎談書評】失われた宗教を生きる人びと ~中東の秘教を求めて~」