語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【原発】放射能から逃げ回る小沢一郎 ~妻からの「離縁状」~

2012年06月18日 | 震災・原発事故
 編集部によれば、「週刊文春」6月21日号の発売は14日。翌日夕方までに完売した(公表部数70万)。同誌としては、09年夏の「酒井法子逮捕」の内幕もの以来、3年ぶりの記録。文春の公式ウェブサイトは、17日夕方までに1.5万回以上ツイートされ、Facebook上では「いいね!」ボタンが4万回以上押された。
 しかし、テレビの情報番組はちっとも触れない。小沢系の国会議員が圧力をかけていたのだ。

 以上、山田孝男「風知草:手紙の波紋」【毎日新聞 2012年06月18日 東京朝刊】に拠る。

    *

 便箋11枚の「離縁状」とは、小沢一郎夫人の和子が選挙区(岩手県奥州市)の支援者に送った私信だ。発信時期は、昨年11月初旬。震災以来の不義理を詫び、既に元代表と離婚した経緯を伝え、離縁を決断するに至った胸中を明かす。
 私事(不倫)は、ここでは割愛する。公人(政治家)としての小沢を細君がどう見たか、さわりを引いてみる。

 <このような未曾有の大災害にあって本来、政治家が真っ先に立ち上がらなければならない筈ですが、実は小沢は放射能が怖くて秘書と一緒に逃げだしました。岩手で長年お世話になった方々が一番苦しい時に見捨てて逃げだした小沢を見て、岩手や日本の為になる人間ではないとわかり離婚いたしました。>
 隠し子がわかって以来、別棟を立てて別居。DVもどきの暴言を浴びせかけられたらしい。用事は小沢自ら伝えるのではなく、秘書が代わって伝えた。かかる夫婦関係にも拘わらず離婚しなかったのは、小沢が郷里と日本に政治家として役立つかもしれないのに水をさしてよいのか、と我慢した、と和子は書く。

 <ところが3月11日、大震災の後、小沢の行動を見て岩手、国の為になるどころか害になることがはっきりわかりました。/(中略)そんな中、3月16日の朝【注1】、北上出身の第一秘書の川辺が私の所へ来て、「内々の放射能の情報を得たので、先生の命令で秘書達を逃がしました」と胸を張って言うのです。あげく、「先生も逃げますので、奥さんも息子さん達もどこか逃げる所を考えて下さい」と言うのです。/福島ですら原発周辺のみの避難勧告しかでていないのに、政治家が東京から真っ先に逃げるというのです。私は仰天して「国会議員が真っ先に逃げてどうするの! なんですぐ岩手に帰らないのか! 内々の情報があるならなぜ国民に知らせないのか」と聞きました。/川辺が言うには、岩手に行かないのは知事から来るなと言われたからで、国民に知らせないのは大混乱を起こすからだというのです。>

 和子は、政治家にあるまじき振る舞い、と激怒して避難を断った。
 <小沢は「じゃあしょうがない。食料の備蓄はあるから、塩を買い占めるように【注2】」と言って書生に買いに行かせました。その後は家に鍵をかけて閉じこもり全く外に出なくなりました。復興法案の審議にも出ていません。女性秘書達と川辺の家族は1ヶ月余り戻ってきませんでした。2日遅れで届いた岩手日日には3月15日国会議員6人が県庁に行き、知事と会談したとありました。/彼らと一緒に岩手に行こうと誘われても党員資格停止処分を理由に断っていたこともわかりました。知事に止められたのではなく放射能がこわくて行かなかったのです。>
 3月21日、書生は和子に言った。「東京の水道は汚染されているので買った水で料理してください」と。和子は、そんな情報は一切発表されていないから他の人と同じように水道水で料理する、と断った。それ以来、書生たちが料理し、洗濯まで買った水でやろうとした。東京都が、乳幼児には水道水を避けるように、と指示したのはその2日後だ【注3】。
 <3月25日になってついに小沢は耐えられなくなったようで旅行カバンを持ってどこかに逃げだしました。去年、京都の土地を探していたようですのでそこに逃げたのかもしれません。/その直後、テレビやマスコミが小沢はどこに行った? こんな時に何をしているかと騒ぎだし、自宅前にテレビカメラが3、4台も置かれ、20人位のマスコミが押しかけました。それで、あわてて避難先から3月28日に岩手県庁に行ったのです。ご存知のように被災地には行ってません。>

 4月に入ってからも家に閉じこもり、連夜、岩手議員を集めて酒を飲みながら菅内閣打倒計画をたて始めた。菅・前総理が放射能情報を隠していると思ったらしく、自衛隊幹部や文科省の役人から情報を収集しようとした。
 <この大震災の中にあって何ら復興の手助けもせず、放射能の情報だけが欲しいというのです。/本当に情けなく強い憤りを感じておりました。実は小沢は、数年前から京都から出馬したいと言い出しており後援会長にまで相談していました。/もう岩手のことは頭になかったのでしょう。【注4】>
 5には月、放射能からの避難先として長野の別荘地に土地を買い、設計図を書いている。<オフィスOという会社名義で土地を買い、秘書の仲里が担当しているということでした。>
 天皇・皇后が岩手に入った日は、風評被害の視察と称して千葉に釣りに出かけた。<千葉の漁協で風評がひどいと陳情を受けると「放射能はどんどんひどくなる」と発言し、釣りを中止し、漁協からもらった魚も捨てさせたそうです。風評で苦しむ産地から届いた野菜も放射能をおそれて鳥の餌にする他は捨てたそうです。>

 手紙の後に付された松田賢弥「和子夫人の手紙を支援者はどう読んだか」から一部引こう。
 <大震災以降、小沢がことあるごとに原発について言及してきたのは周知の事実だ。例えば昨年3月28日、達増拓也岩手県知事との会談後に小沢は、「原子炉の制御不能状態が2週間以上放置されるのは世界で例がない。最悪の事態を招けば日本沈没の話になる」などと語っている(「岩手日報」3月29日付)。このような言動に違和感を持った人は少なからずいた。(中略)結局、小沢が初めて岩手の被災地に足を運んだのは、今年1月のことだった。>
 東京電力から後援されていた小沢が、東京電力がしでかした原発事故によって撒き散らされた放射能を恐怖して逃げ回るのは、皮肉な構図だが、それだけ事態の重大性がよく分かっていた、とも言える【注5】。

 【注1】3月16日、菅首相は「本当に最悪の事態になったら、東日本がつぶれる」と発言した【注6】。「近藤メモ」の内容は、官邸のみならず小沢にも伝わっていたらしい。あるいは、「米軍機密文書」【注7】の内容が米国側から伝えられていたのかもしれない。
 【注2】昨年3月16日頃から、広東省、浙江省など沿岸部を中心に、突然、食塩を買い求める人々がスーパーや商店に殺到し、売り場から塩が消えた。日本の原発事故で海水が放射線に汚染された、放射線予防にはヨウ素が有効だ、ヨウ素を含む食塩は放射線の害を防ぐ、これから手に入る食塩は危険だ、云々といった一連のデマがネットなどで流れたためだ。思惑や投機により需要が急増、通常500g入りの1袋1.2~1.5元の食塩価格が、一時は1袋10元以上に跳ね上がった。【宮家邦彦「放射能で海洋汚染? 塩買い占めに走る中国人やはり起きたこの騒動~中国株式会社の研究(103)」、JBPRESS】
 【注3】3月23日、東京都は、「金町浄水場の水道水から1kg当たり210Bqの放射性ヨウ素を検出」と発表した。
 【注4】「【震災】岩手を見捨てた小沢一郎/岩手に見棄てられた小沢一郎
 【注5】「【震災】原発>小沢一郎を後援する東京電力 ~東電&電事連の政界支配~
 【注6】「【震災】原発>250km圏内は避難対象 ~機密文書「近藤メモ」~
 【注7】「【震災】原発>東電・政府の情報操作を明らかにする「米軍機密文書」
     「【震災】原発>津波だけが原因ではない ~「米軍機密文書」~
     「【震災】原発>3号機も4号機も危機的状態 ~「米軍機密文書」~

 以上、松田賢弥/本誌取材班「小沢一郎 妻からの「離縁状」全文公開」(「週刊文春」2012年6月21日号)に拠る。
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