語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【新聞】分断される中央紙 ~「与党メディア」の勃興~

2014年08月22日 | 社会
 メディアには権力を監視する機能がある。本来なら野党であるのがジャーナリズムのあり方だ。
 しかし、安倍政権の復活を機に「与党メディア」が力を増し、政権のお先棒担ぎを平然と行っている。

 2002年12月26日、安倍政権が誕生した。正月を迎え、真っ先に会食したのが渡邊恒雄・読売新聞グループ本社会長だった(1月8日、菅義偉・官房長官同席)。その翌日、清原武彦・産経新聞社会長および熊坂隆光・同社社長と会食した。
 熊坂は、首相を取り巻くメディア人脈の巨魁だ。「正論」懇話会は産経新聞の名物コラム「正論」や同名の雑誌の愛読者の集まりで、日本各地に結成され、著名人を呼んで講演会を開く。産経新聞は、安部が首相に再登板したのを受けて長州「正論」懇話会を作った。

 産経には、安部にとって欠かせない人物がもう一人いる。阿比留瑠比・政治部記者だ。第一次安部内閣では、番記者でありながら安部側近となった。安部が発信したいことを先回りして質問する露払い役を務める。「慰安婦」問題、歴史教科書、中国脅威論など安倍カラー満載の記事を書き飛ばすのだ。櫻井よし子のいわゆる「安倍政権にもっとも近い記者の一人」だ。
 そして、上杉隆のいわゆる「運動家」だ。「阿比留は、偏ることを恐れない。もはや他の記者とは違う世界に存在している。ペンの力で安部政権を支えるという政治的使命を抱いた『運動家』なのだ」(『官邸崩壊』)。
 コラム「阿比留瑠比の極言御免」で安部を褒めちぎり、返す刀で民主党、朝日新聞、中国、韓国などを扱き下ろす。「安部外交 中韓以外は評価高く」(7月10日付けコラム)といった調子である。
 産経は、戦後の歴史教育を「自虐史観」と批判し、戦争犯罪に対する謝罪は不要だと主張してきた。保守の中でも右に突出した異端の中央紙は、安倍政権の誕生によって「ど真ん中」で声を上げるようになった。 

 安部に伴走するもう一人は読売新聞だ。渡邊恒雄は、首相の父(安倍晋太郎)が毎日新聞政治部の記者をしていたころから家族ぐるみの付き合いで、今や「安部後見人」を自認する。かれらの関係を象徴するのが、2013年9月12日付け読売新聞朝刊の特ダネ「消費税 来年4月8% 首相、意向固める」だ。
 読売は消費増税に賛成だが、4月実施に反対で、2014年10月に一気に10%にし、併せて軽減税率を導入しろ、という立場だった。しかし、安部政権として4月実施は譲れず、ナベツネの顔を立てるため首相が会って特ダネを提供した。首相直々のリークだ。このエピソードは読売との深い関係を示す。
 集団的自衛権、原発再稼働、積極的平和主義、TPPなど、政権と一体となった読売の報道ぶりを見よ。
 大方のメディアが異を唱えた特定秘密保護法については、渡邊会長が情報保全諮問会議(特定秘密を管理する)の座長となり、批判の鎮静化に一役買っている。

 読売新聞の特徴は、「権力との一体化」だ。
 最高権力者が特定秘密の座長に納まるように、幹部社員(論説委員など)が政府の審議会のメンバーになっている。
 その一方、現場の記者は会見でほとんど発言しない。「聞きたいことは他社がいないところで聞け」と記者は教育されている。会見は黙って聞き、他社が引き出した大事なニュースだけ書けばいい。記者会見は「皆が見ている」公共空間だ。答えたくないことを憮然と無視すれば、その裏に何かあることを世間に気づかせる。会見は権力者を公開の場に引き出し、問い詰めるメディアの舞台だが、鋭い質問を連発すると嫌がられる。場合によっては記者クラブから外す工作さえ権力者は行う。
 一対一は情報を持っている者が強い。言いたくなければ言わない、都合よく書かせようと思えば情報を提供する。公の場で追求の輪に加わらず、裏でこっそり聞くやり方は「懐に飛び込む」と表現される。情報は得やすいが、権力監視という機能を放棄している。
 表面的には同じに見える記者の仕事は、
   (1)チェックに重点を置くか、
   (2)癒着するか、
で方向は正反対になる。

 読売新聞は、その1,000万部と、翼下の日本テレビネットワークとを合わせ、政権にとってはNHKと並ぶ強力な宣伝媒体だ。
 安部が再登板後、最初にテレビ出演したのが2013年1月13日、「たかじんのそこまで言って委員会」(読売テレビ)だ。可能にしたのは、首相取材の「規制緩和」だ。
 内閣記者会は、首相の単独インタビューを原則自粛とし、テレビ出演は各社持ち回りとしてきた。縛りをかけることで、特定メディアのの優遇や排除を防ぎ、公平を図ることに配慮してきた。これが、安倍政権の働き掛けで規制が撤廃された。
 「自由化」によってメディアの選別が始まった。持ち回りの頃は硬派の報道番組が主流だったが、自由化後は官邸側の意向を反映し、「好感度」「視聴率」が重視される。私生活をスポーツ選手や人気歌手を交えて紹介するなど、お茶の間の受けを狙った作りになっている。結果として、日テレとフジ系列への出演が多くなる。
 お願いすれば立場は弱くなる。官邸の期待するトーンから番組は外れるわけにはいかない。
 悪貨は良貨を駆逐する。「与党メディア」が力を増し、ジャーナリズムの批判精神は細りつつある。

□神保太郎「メディア批評 第81回」(「世界」2014年9月号)の「(2)分断される中央紙、頑張る地方紙」
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