語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【メディア】日本国憲法の国際性 ~人権無法国家ニッポンの落日(2)~

2016年07月09日 | 批評・思想
 (7)3月いっぱいでテレビ・キャスターが大幅に変わった。
   国谷裕子(NHK「クローズアップ現代」)
   岸井成格(TBS「NEWS23」)
   古館伊知郎(テレビ朝日「報道ステーション」)
など。それぞれいわくありげだが、人事は適材適所としか言わない。
 視聴者は、これを自主規制・自粛・忖度と読み替えている。

 (8)5月3日の憲法記念日の放送はどうだったか。
 NHKは、午前中は型どおり各党代表の討論会を行い、夜のニュースでは「全国の自治体がこの1年、政治的な主張をする団体に施設を貸す頻度が上がった」という世論調査を報告した。しかし、改憲派、護憲派のいずれが多かったかは、ついに明らかにしなかった。
 NHKは、「公平」でも「不公平」でもない完全な“無風地帯”を恐ろしく手際よく演出した。ここまでくると、もはやニュースですらない。
 憲法記念日は、本来、憲法の大切さについて考える日のはずだ。
 テレビ朝日の「報道ステーション」は、NHKとは対照的に充実していた。
 敗戦直後の新憲法の成立過程を、幣原喜重郎・首相が側近に語った言葉がノートに書き残されていた。それによれば、「天皇制の存続」と「憲法第9条」がセットで検討されていた。もともと幣原は外交官時代に「パリ不戦条約」(1928年)の成立に力を注ぎ、国際平和主義を提唱する立場にあった。
 他方、マッカーサーは連合国最高司令官として、日本の非武装化と円滑な占領を至上命題としおり、幣原の主張と利害が一致したのだ。
 両者にとって天皇は、それぞれの理由で有効な切り札となった。幣原は、天皇制を残すことを目的と見せかけて、日本国憲法に「国際平和主義」を取り込んだ。マッカーサーが天皇制を残したのは、日本の「対米従属」を安定させるためだった。
 この日、古館伊一郎キャスター交代のあと初めて木村草太・憲法学者が再登場し、次のようにコメントした。
 「憲法9条は国内の最高法規として意味があると同時に、“外交宣言”としての意味がある」
 「9条の究極的には非武装だという理念はあまりにも非現実的に見えるかもしれないが、(中略)大した努力もせずに実現が難しいからと言ってあきらめるというのはもったいない」
 「国際法の世界でも、武力行使は違法なんだということがグローバルスタンダードになってきたことも重要」
 要するに、日本国憲法は「国際標準」にかなっていると語ったのだ。

 (9)デビッド・ケイ・国連人権理事会特別報告者は、「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。検閲は、これをしてはならない」(憲法第21条)という文言は、国際人権規約(1976年)の「市民的および政治的権利に関する国際規約」第19条の内容とほぼ一致するとし、「日本の国民のみなさんが誇りを持つべき条文」だと語った。
 ケイ氏は、この認識に立って、自民党憲法改正案第21条に関しては、「表現の自由」も「公益あるいは公共の秩序を害するようなことがあれば、上記のかぎりではない」という部分を問題にし、「公益・公の秩序」を「表現の自由」の上位に置く思想は、日本が国際人権規約に批准したことと矛盾すると断定した。
 メディアが現憲法が「押しつけ憲法」であるとか、「時代に合わない」という言説に対しては、自民党案が国際標準とはまったくかけ離れた代物であると批判する必要がある。
 現実と見かけがこれほど対立しているのに、メディアの反応は鈍すぎる。
 オバマ大統領の広島訪問。安倍政権のそろばん勘定によれば、オバマ氏の謝罪は無用。そうすれば、日本も南京での謝罪を免れる。植民地に対する加害責任も「不可逆的解決」という言葉に封じ込められる。
 そんなとき、沖縄で米軍基地関係者による女性殺害事件が起きた。日本は何も解決しようとしない。国際水準以下の国だ。

□神保太郎「メディア批評第回」(「世界」2016年7月号)の「(2)人権無法国家ニッポンの落日」
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 【参考】
【メディア】人権無法国家ニッポンの落日(1)



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