語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【読書余滴】中野好夫の、人は獣に及ばず

2010年10月30日 | ●中野好夫
 オランダ人は細工には巧みなようだが「獣の類なり」、と放言した客に対して、司馬江漢は即座に、「人は獣に及ばず」と一蹴した。

 本書の冒頭に置かれた短文「人は獣に及ばず」は、このエピソードを枕に、人類は「邪悪で、残忍で、貪慾で、しかも醜陋」と断罪し、その所業をあげる。
 たとえば人類が絶滅に追いやった信天翁、あるいは戦争。
 そして天文学者ジェームズ・ジーンズの一書から引用し、人類が、少なくとも生命が宇宙に誕生したのは偶然の産物であり、何千年後か何万年後には人類は必ず滅ぶ、と断言する。
 人類文明の後は「原始時代の状態に返り、そしてまた将来の可能性も何一つのこさぬ、死塊のような地球だけが、無限広大な宇宙空間の中を、ただ黙々として展転しつづけるのであろうか」。

 野口悠紀雄の「『自然との共生』賛美」批判」を読むと、どうしても中野好夫のこの一文を想起せざるをえない。
 自然を制御し、自らの「福祉」を拡大してきた人間は、地球に生存するだけの価値がある存在なのか。

 「人は獣に及ばず」に漂うのは、濃厚な厭人主義である。厭人の行き着く先には自殺が待っている。アルベール・カミュは、いみじくも喝破した。真に重大な哲学上の問題は一つしかない、それは自殺である、と。

 もとより中野好夫は自分から命を縮めるような真似はしなかった。
 剛毅に生きて、次々に書きまくり、現に本書には1973年から1981年にかけて発表された70編近くのエッセイが連なる。冒頭の一編を除き、いずれも世相や文学、交際のある人物を語って自在、酸いも甘いも噛みわけて闊達、率直に言い切って簡勁にして豪快。冒頭の「人は獣に及ばず」とは別の趣である。
 若年の頃から人間性の複雑さに目を向けた中野好夫は、夫子自身、じつに複雑な人ではあった。

【参考】中野好夫『人は獣に及ばず』(みすず書房、1982)
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