語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【加賀乙彦】ある死刑囚との対話

2016年07月31日 | ●加賀乙彦
 p.14
 <なぜに、この世のやみは濃いのでしょうか。神がないから、神が死んだからというニイチェの叫びは、深いニヒリズムを私たちに残しましたが、このニイチェのニヒリズムを克服する手だてを、私たちはまだもっていないのです。おそらく、世界中の哲学者の誰もが、まだこの手だてを、人々の解放されていく方角を示せないでいます(少なくとも私の知る限りではそうです)。早い話が、19世紀のヒューマニズムや科学精神は沢山の植民地戦争や不幸をつくりだしただけだったし、マルキシズムも本当に幸福な国をつくりはしませんでした。さて宗教はどうか。これについてはどうか。これについては私には語る資格はありませんから沈黙いたします。むしろいろいろとお教えください。
 いずれにしろ、人々のおちこんでいるにせの光の世界、心ある人々の濃い闇の世界、この二つの世界の人々が相互に無関係に生きている、これが現代の世界でしょう。お互いに相手を知らず異端者あつかいするのです。
 ではどうしたらよいか。その一つの道が、表現の世界でしょう。闇の中から光の方に手をさしのべるのです。私の文学への執心はここから来ます。そのためには、評論よりも詩や小説のほうが表現できる。なぜといって、闇の世界の自覚は決して抽象的な思惟ではないのですから、それは議論では到底表現できないことなのですから、なによりもそれを表す言葉がないのですから、私の尊敬する思想家森有正の用語をかりれば、それは「経験」であって「体験」ではないのですから>

□加賀乙彦『ある死刑囚との対話』(弘文堂、1990)
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