(1)郷原信郎・第三者委員会委員長
7月初め、「やらせメール」問題が発覚すると、自社の内部調査では世論の批判がおさまらないと見て、第三者委員会の設置を決めた。
とはいえ、本気で真相を解明し、企業体質を改める気なぞ、九電には露ほどもなかった。原発の早期再稼働のため、お墨付きを与えてほしかっただけだ。だから、委員の選考にあたって、電力会社の仕事をした経験があり、「原発に理解がある人」であることが基準となった。
九電は、この基準で郷原弁護士に委員長を依頼することにしたらしい。彼の詳細を知らず、コンプライアンスに関する著作などを読んだ程度で、特に郷原弁護士が中国電力のアドバイザリーボードの委員長だったことが決め手となった。
ところが、06年に検察官を退き、主に企業コンプライアンスに取り組んできた郷原弁護士は、「こうと思いこんだら誰が何といおうとも後には引かない性格」で、「今も真相究明したいという特捜検事気分を持ち続けている」人なのであった。検察批判の急先鋒であり、小沢一郎・元民主党代表をめぐる一連の捜査でも、一貫して東京地検特捜部を批判。昨年の大阪地検の不祥事の際には、検察改革を議論する法務大臣の諮問機関のメンバーに選ばれた(法務大臣の推薦)。改革に消極的な検察側にプレッシャーをかける人選と目される。
九電がとんでもない思い違いをしていたことは、委員会発足前後から明らかになる。
郷原弁護士は、九電幹部と古川康・佐賀県知事との密談を知ると、知事に面会して辞任を促した。さらに、九電が当初予定していなかった「調査班」(特捜出身の弁護士らがメンバー)が設置されることになった。
思わぬ展開に、松尾新吾・九電会長は、「佐賀県知事を辞めさせるな」と周囲に言い渡した。
古川と九電との癒着は、既にさまざまな報道で明るみに出ている。
(2)知事発言メモの流出
古川は、当初、密談の事実を伏せ、「やらせメール」を憤慨してみせたりした。
古川にとって都合のよい「九電の勇み足」として事件の幕を下ろすためには、佐賀支店長の、知事発言が記されていた「メモ」流出を九電は阻止しなければならない。
が、その存在が漏れた。この情報化社会に、社内約100人に送信されたメールが、絶対に外部に漏れないと想定するほうがおかしい。
「AERA」8月15日号に全容が報告される【注1】と、九電は真部利応・九電社長直々の指示で、流出の犯人捜しに血眼になった。同時に九電は、第三者委員会が提出を求めた資料を破棄するなど、露骨な隠蔽に走った。調査班による関係者の事情聴取にも非協力的だった。
(3)経済産業大臣の批判
第三者委員会は、最終報告で指摘した。九電と佐賀県が協力しあった「やらせ」の始まりは、プルサーマル計画受け入れ(2005年)をめぐる討論会での「仕込み質問」に遡る、と。
他方、九電は、「第三者委員会と会社の見解は別」と突っぱね、「佐賀県の関与はない」とする報告書を10月14日に経産省に提出した。
実は、経産省の担当課は、九電の「関与はない」とする報告書に内諾を与えていたらしい。
が、枝野幸男・経産相は、「どういう神経なのか理解不能」と再三批判した【注2】。
九電が知事を庇っていることは明白。福島原発事故以後、原発に対する社会の認識が変わった。原子力村の中で話をつければ何でもできる、というのは大きな勘違いだ。【郷原弁護士】【注3】
【注1】「【震災】原発>「やらせメール」知事指示のメモ、九電の証拠隠滅」
【注2】<枝野経産相は24日、九電について「公益企業として、どうしたら国民の信頼を得られるかを自主的に判断できる組織であることが、国民の信頼の大前提ではないか」と述べ、自発的に厳しく対応するよう改めて求めた。>九電は、25日にも経済産業省に最終報告書を再提出する見通しだが、古川康・佐賀県知事の発言が問題の発端ではないとする従来の見解を変えない模様。【記事「九電報告書、25日にも再提出 問題決着遠く」、日本経済新聞2011/10/25 2:03】
【注3】<九電は第三者委の郷原信郎・元委員長に非公式に修正案を提示したが、郷原氏は否定的な考えを示しているという。>【記事「九電、国に不服請求も 」、2011/10/25付 西日本新聞朝刊】
以上、本紙取材班「経産官僚がGOサイン」(「AERA」2011年10月31日号)に拠る。
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7月初め、「やらせメール」問題が発覚すると、自社の内部調査では世論の批判がおさまらないと見て、第三者委員会の設置を決めた。
とはいえ、本気で真相を解明し、企業体質を改める気なぞ、九電には露ほどもなかった。原発の早期再稼働のため、お墨付きを与えてほしかっただけだ。だから、委員の選考にあたって、電力会社の仕事をした経験があり、「原発に理解がある人」であることが基準となった。
九電は、この基準で郷原弁護士に委員長を依頼することにしたらしい。彼の詳細を知らず、コンプライアンスに関する著作などを読んだ程度で、特に郷原弁護士が中国電力のアドバイザリーボードの委員長だったことが決め手となった。
ところが、06年に検察官を退き、主に企業コンプライアンスに取り組んできた郷原弁護士は、「こうと思いこんだら誰が何といおうとも後には引かない性格」で、「今も真相究明したいという特捜検事気分を持ち続けている」人なのであった。検察批判の急先鋒であり、小沢一郎・元民主党代表をめぐる一連の捜査でも、一貫して東京地検特捜部を批判。昨年の大阪地検の不祥事の際には、検察改革を議論する法務大臣の諮問機関のメンバーに選ばれた(法務大臣の推薦)。改革に消極的な検察側にプレッシャーをかける人選と目される。
九電がとんでもない思い違いをしていたことは、委員会発足前後から明らかになる。
郷原弁護士は、九電幹部と古川康・佐賀県知事との密談を知ると、知事に面会して辞任を促した。さらに、九電が当初予定していなかった「調査班」(特捜出身の弁護士らがメンバー)が設置されることになった。
思わぬ展開に、松尾新吾・九電会長は、「佐賀県知事を辞めさせるな」と周囲に言い渡した。
古川と九電との癒着は、既にさまざまな報道で明るみに出ている。
(2)知事発言メモの流出
古川は、当初、密談の事実を伏せ、「やらせメール」を憤慨してみせたりした。
古川にとって都合のよい「九電の勇み足」として事件の幕を下ろすためには、佐賀支店長の、知事発言が記されていた「メモ」流出を九電は阻止しなければならない。
が、その存在が漏れた。この情報化社会に、社内約100人に送信されたメールが、絶対に外部に漏れないと想定するほうがおかしい。
「AERA」8月15日号に全容が報告される【注1】と、九電は真部利応・九電社長直々の指示で、流出の犯人捜しに血眼になった。同時に九電は、第三者委員会が提出を求めた資料を破棄するなど、露骨な隠蔽に走った。調査班による関係者の事情聴取にも非協力的だった。
(3)経済産業大臣の批判
第三者委員会は、最終報告で指摘した。九電と佐賀県が協力しあった「やらせ」の始まりは、プルサーマル計画受け入れ(2005年)をめぐる討論会での「仕込み質問」に遡る、と。
他方、九電は、「第三者委員会と会社の見解は別」と突っぱね、「佐賀県の関与はない」とする報告書を10月14日に経産省に提出した。
実は、経産省の担当課は、九電の「関与はない」とする報告書に内諾を与えていたらしい。
が、枝野幸男・経産相は、「どういう神経なのか理解不能」と再三批判した【注2】。
九電が知事を庇っていることは明白。福島原発事故以後、原発に対する社会の認識が変わった。原子力村の中で話をつければ何でもできる、というのは大きな勘違いだ。【郷原弁護士】【注3】
【注1】「【震災】原発>「やらせメール」知事指示のメモ、九電の証拠隠滅」
【注2】<枝野経産相は24日、九電について「公益企業として、どうしたら国民の信頼を得られるかを自主的に判断できる組織であることが、国民の信頼の大前提ではないか」と述べ、自発的に厳しく対応するよう改めて求めた。>九電は、25日にも経済産業省に最終報告書を再提出する見通しだが、古川康・佐賀県知事の発言が問題の発端ではないとする従来の見解を変えない模様。【記事「九電報告書、25日にも再提出 問題決着遠く」、日本経済新聞2011/10/25 2:03】
【注3】<九電は第三者委の郷原信郎・元委員長に非公式に修正案を提示したが、郷原氏は否定的な考えを示しているという。>【記事「九電、国に不服請求も 」、2011/10/25付 西日本新聞朝刊】
以上、本紙取材班「経産官僚がGOサイン」(「AERA」2011年10月31日号)に拠る。
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