語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【佐藤優】『十五の夏』 ~1975年のチェコ(2)~

2019年01月22日 | ●佐藤優
 <国際ユースホステル協会が発行するハンドブックを頼りに市の中心にあるユースホステルを訪ねたが、満室ということで断られた。大学の寮を夏の間ユースホステルに開放しているような感じだ。空き部屋は絶対にあるはずだ。どうも資本主義の人間を泊めないようにしているようだ。
 僕が「どこに行けば宿を紹介してもらえるか」と尋ねると、ユースホステルの職員は、「ホテルに直接行っても、外国人旅行者は受け付けてもらえない。チェドック本社に行って相談するといい」と答えた。
 チェドック本社にはタクシーで行った。タクシーの運転手が「闇両替をしないか」と誘ってきたが、「コルナは十分にある」と言って断った。チェドック本社は、バーツラフ大通りからそれほど離れていないところにあった。人であふれている。HOTELと記されたカウンターにも10人くらいの行列ができているが、なかなか先に進まない。結局、3時間近く待たされて、ようやく僕の番になった。
 「ホテルを紹介してほしいんです」
 「何泊ですか」
 「3泊です」
 「残念ながら1泊しか紹介できません」
 「それでは、ホテルで連泊をお願いすればよいですか」
 「それはできません」
 「それではどうすればよいのですか」
 「明日、またこの窓口に来てください」
 また3時間も待たされるのではかなわないと思った。予定を変更し、プラハには1泊だけして、夜行寝台でプラハからワルシャワに移動することにした。
 チェドックの窓口でホテル代を支払って、宿泊券をもらった。支払いは米ドルか西独マルクでしかできない。「強制両替で手に入れたコルナを使うことはできないか」と尋ねたが、「できない」という。「ドルのトラベラーズチェックを使うことができるか」と尋ねたが、「それは可能だ」ということなので、トラベラーズチェックで支払った。お釣りも米ドルできた。
 ホテルは、旧市街の入り組んだところにあった。チェドック本社を出て、7~8歳の男の子を連れた男性がいたので尋ねた。男性は、ホテルの場所を示す地図を書いてくれた。男の子が、ポケットから飴を出して僕にくれた。せっかくの厚意なので喜んで受けることにした。ホテルは1キロくらい離れている。スーツケースを抱えて移動するには少し距離がある。そこでタクシーを使うことにした。タクシーの運転手からまた闇両替を持ちかけられたが「コルナはたくさんある」と言って断った。車の中でさっき子どもからもらった飴をなめてみた。堅い飴の中に木イチゴのジャムが入っている。おいしい飴だった。タクシーは5分くらいでホテルに着いた。「ドルなら2ドルだ」というので、コルナで払うのと比べ、圧倒的に安いので、ドルで支払った。
 チェドックの宿泊券を渡すとすぐにチェックインすることができた。時計を見ると午後7時だった。移動とホテルの予約をとるための行列で疲れ切ってしまった。朝から口にしたのは、子どもからもらった飴だけだ。猛烈にお腹が空いていた。部屋はきれいに整頓されたツインルームだった。スーツケースを部屋に置いて、レストランに行った。ウェイターが「満席で、食事をとることができない」という。ホテル料金には夕食と朝食が含まれている。僕は、夕食券を示して、「お金を払い込んでいるのに、食事ができないのはおかしい」と抗議した。するとウェイターは、「モーメント」と言って、僕を待たせた。2~3分でウェイターが戻ってきて、端の方の席に僕を案内する。きれいな女性が座っていた。年齢は30前後と思う。片言の英語を話す。イタリアからやってきたという。注文から1時間近く待っているが、まだ料理が来ないという。僕の方は、ウェイターを何度呼んでも注文さえとろうとしない。それから30分くらいして、イタリア人女性のところに大きなシュニッツェル(トンカツ)とゆでたジャガイモの付け合わせが運ばれてきた。それと籠に入ったパンが運ばれてきた。イタリア人は僕に「半分、食べないか」と言う。僕は「大丈夫。これからきちんと注文します」と言ったが、彼女は「これじゃあなたはきっと夕食からあぶれる」と言って笑って、ウェイターに「大至急、お皿を持ってきて」と言った。ウェイターがすぐに皿を持ってきた。イタリア人は、皿の上でシュニッツェルを半分に切り、ジャガイモを3つ移して、僕に渡した。肉にはすこしスモークがかかっているようだ。実においしい。イタリア人も「チェコ料理はおいしい。ただ、観光を受け入れる態勢ができていない。特に夏がひどい」と言っていた。僕が、「あなたは観光でプラハを訪れているのですか」と尋ねたら、「違う」という答えだった。夫といっしょにプラハで商談をしているという。夫は別の場所で会食をしているので、1人で食事をしているということだった。イタリア人は、コーヒーとケーキを2つずつ頼んだ。コーヒーはエスプレッソで苦かったが、ケーキはリンゴの堅いタルトだった。横にホイップクリームが山のように添えられていた。
 僕は食事代を支払おうとすると、イタリア人に「その必要はない」と言われた。ケーキを含め、すべてクーポンに含まれているという。結局、僕の夕食券は使わないまま余ってしまった。彼女は僕に、「未使用の券は、チョコレートやタバコと交換することができるわよ」と言った。
 社会主義国で、ホテルをとったり、レストランで食事をすることがこれほどたいへんとは思わなかった。この先、旅行を続けることができるか、不安になった。
 部屋には大きなバスタブがあった。そこにお湯をいっぱい張って、風呂に入った。チューリヒとシャフハウゼンのユースホステルにはシャワーしかなかったので、生き返る思いがした。>

□佐藤優『十五の夏(上下)』(幻冬舎、2018)の「第二章 社会主義国」の「4」から引用

 【参考】
【佐藤優】『十五の夏』 ~1975年のチェコ(1)~




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