語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【佐藤優】競争の土俵に上がらない  ~官僚の掟(3)~

2019年03月02日 | ●佐藤優
 小泉改革以来、新自由主義の浸透した我々の社会には、成果主義と競争原理が持ちこまれ、富裕層と貧困層の格差が広がり、能力主義による実力の差が可視化されるようになりました。東日本大震災以来、「絆」や「人とのつながり」ということが強調されるのは、そう言わなければならないほどに、人間関係のギスギスした社会が出来してしまったからと見ることができるかもしれません。
 ところがそんな社会の中に、ほんの一部だけに張られた。ある種の「結界」のような聖域が残されている。それが官僚の世界なのではないか、とひとまず考えてみます。その中にいれば、絶対に脅かされることのない安全な場所、競争にさらされることもなく、ひとたびそこに入ってしまえば自分を守ってくれる「あたたかい世界」であること。
 第三者的に見れば、官僚というのは、常にモラルも金銭感覚も、国民の目によって監視される息苦しい職業だ、それなりに地位のある役職につけば国会で答弁しなければならないし、勉強不足や適性の欠けた大臣の背後で、分厚い資料のファイルの束を抱えながら「回答」を耳打ちする黒衣だ。いざとなれば佐川・前国税庁長官のように総理をかばった挙げ句に国会で吊るし上げられ、事実上、更迭される。それのどこが「あたたかい世界なんだ?」そう思う人がいるかもしれません。
 たしかに、上司の小間使いをして、下働きもイヤと言うほどして、組織防衛に汲々としているように見えるかもしれませんが、それは競争のない世界と「表裏の関係」にあるふるまい方です。これは私の実感として言えることですが、中央官庁というのは「競争の土俵に上がらない」「自分を追求して個性を発揮できなくても生きていける」まさに保証された安全地帯でもあるのです。
 官僚は組織の中にいるからこそ、新自由主義の荒波を受けずに済んでいる。なぜなら彼らは競争から免れているからです。官僚社会は、一般社会のような勝ち負けがない、まったくの別社会です。官僚である限り、「対外試合」に出かけて無様な目に遭うことはない。官僚は「公」の中にすべて自分を埋没させることができて初めて「競争なき、あたたかい世界」をまっとうできるのです。そのためなら、バカバカしいように見えることでもひたすら滅私の精神で奉仕できる。

□佐藤優『官僚の掟 競争なき「特権階級」の実態』 (朝日新書、2018)の「第1章 こんなに統治しやすい国はない 」の「競争の土俵に上がらない」を引用

 【参考】
【佐藤優】自殺の大蔵、汚職の通産、不倫の外務 ~官僚の掟(2)~
【佐藤優】『官僚の掟』の目次



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。