語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【池内紀】『ゲーテさんこんばんは』

2016年08月14日 | エッセイ
 
 古い倉庫を始末し、新しく設置した際、古い倉庫から出てきた本の一。

 (1)18~19世紀の古典は、概して著者の生前には認められず、死後に評価されることが多かったらしい。ところが、『若きウェルテルの悩み』は、刊行直後からベストセラーとなった幸運な作品である。しかし、それでもゲーテは、生前は詩人・作家としてよりも行政マンとし知られた。小さな公国の行政機構の中とはいえ、枢密顧問官にのぼりつめたから、能吏には違いなかった。鉱山の再開発をはじめ、財政改善に東奔西走している。傍ら、あの膨大な詩、小説、劇を書いているから、そのエネルギーには感服するしかない。かてて加えて、文学とは関係のない鉱物学や植物学にも本職はだしの精力を割いているから、彼が生みだした戯曲の主人公ファウストを凌駕する怪物と呼んでもよい。

 (2)本書は、こうした巨人ゲーテの人と作品をやさしく解説する。くだけたタイトルに見られるように、若い層に受けそうな軽い筆致が特徴である。
 〈例〉『ウェルテル』。当時の通信事情、整備されつつあった郵便馬車網という新しいメディアを反映している点に着目し、手紙を今日のe-mail、書簡体小説をパソコン小説になぞらえる。この古典がぐんと身近に感じられるではないか。

 (3)池内紀はドイツ語圏の文学者だから、フランス語圏の文物にあまり同情的でない。
 〈例〉ゲーテの青年期にはやった「自然に帰れ」(ルソーに由来すると言われるが出典不明)について、池内は次のように書く。
 <ついでながらルソーの語ったような「善き田舎人」は、人生読本とかオペレッタには登場しても、現実には存在しないことを私たちは知っている。素朴で正直で陽気な人もたまにはいるかもしれないが、おおかたは頑固で、陰気で、欲ばりである。首にリボンを結び、頭に麦わら帽子をのせているかもしれないが、それは決して純朴さの保証ではない。いつも嫉妬深く隣近所に目をくばり、わが庭とわが家とわが収穫物を疑りの眼差しで、いわば爪と歯で見張っている>
 あるいは、レアリストの都会人が見る田舎人というところか。

□池内紀『ゲーテさんこんばんは』(綜合社、2001/後に集英社文庫、2005)
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