語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【経済】日本銀行総裁の資質 ~“平成の鬼平”と“パペット”~

2014年12月12日 | 社会
 三重野康氏が日銀総裁に就任した1989年12月は、バブル経済の絶頂期で、日経平均株価が史上最高値の38,915円を記録した。総裁就任前の副総裁時代から、三重野氏は過熱する経済に懸念を抱き、しばしば「日本経済は乾いた薪のうえにいる」と警告を発していた。
 総裁就任後は、立て続けに公定歩合を引き上げ、金融引き締めにとりかかった。バブル退治に邁進する姿に、“平成の鬼平”という賛辞が贈られた。

 いま、この急激な金融引き締めがバブル崩壊の傷を深くした、という評価が定着している。
 しかし、ここで論ずべきは、政策の是非ではない。セントラルバンカーの資質についてだ。
 三重野氏は、2012年4月に88歳で鬼籍に入った。白川方明・日銀総裁(当時)は、弔辞のなかで、三重野氏がつねに「中央銀行の物差し」を大切にしていたことを振り返りながら、「終始、慈父のような存在でした」と偲んだ。
 近視眼的な見方に陥ることを戒め、中長期的視野を持つことを説いた三重野氏は、総裁退任後も長らく日銀の精神的支柱であり続けた。

 その精神的支柱を失った後、日銀はあからさまな政治介入に見舞われた。
 「インフレ・ターゲット」なる聞き慣れない金融政策を掲げ、自民党総裁、首相に返り咲いた安倍晋三だ。
 白川総裁は、追われるように日銀を去った。
 刺客として送り込まれる格好で、財務省出身の黒田東彦が総裁に就いた。彼は、安倍首相が唱える“異次元緩和”を直ちに実行し、株価は沸騰した。国内外の投資家たちは、その威力をロケット弾に喩え、“黒田バズーカ砲”と囃し立てた。

 だが、いま、「量的金融緩和」シナリオは、狂い出している。
 皮肉にも、日銀が10月末に発表した追加金融緩和策によって、狂いが明白になった。
 “異次元緩和”の開始時、黒田総裁は「2年後に2%」の物価上昇を約束した。だが、“黒田バズーカ砲”の第一弾では目標達成が絶望的となり、慌てて第二弾を放ったのだ。自分が設定した無理な目標を達成するため、さらなるマネーを供給する。日銀は、文字どおり自縄自縛に陥っている。

 折しも、米国の連邦準備制度理事会(FRB)が量的金融緩和を終了させた直後だ。
 “異次元緩和”を支持する人々が理論的支えとしてきたパーナンキ前FRB議長が「量的金融緩和は理論的には説明がつかない」と発言していたことが「ファイナンシャル・タイムズ」にも報じられ、話題になった。
 “異次元緩和”は
  (1)理論的根拠を欠き、
  (2)実証データ上も疑問が残る。
 そうしたなか、黒田バズーカの号砲だけが虚しく鳴り響いたのだ。

 総裁就任の経緯やその後の言動から、黒田総裁は“パペット(操り人形)”でしかない。黒田バズーカによって日本は再び“平成の鬼平”のいわゆる「乾いた薪」のうえに置かれてしまった。だが、肝心の日銀総裁は警告を発するどころか、薪の前で火遊びをしている。
 株高を演出し、安倍政権を献身的に支え続ける日銀。
 だとすれば、“マネタリー・ディシプリン”の喪失を、総選挙の争点にしてもよいはずだ。

□佐々木実「“平成の鬼平”と“パペット” セントラルバンカーの資質を選挙争点に ~佐々木実の経済私考~」(「週刊金曜日」2014年11月28日号)
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