語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【本】日本文学史上最高の巨漢による文学の食べ方 ~『世界文学「食」紀行』~

2016年01月02日 | エッセイ
 篠田一士は大食漢(グルマン)にして美食家(グルメ)、体重は100kgを超し、解説の丸谷才一によれば「日本文学史上最高の巨漢」である。
 その篠田が、和書、洋書を濫読、多読するうちに見つけた「食」に関する記述をめぐって、食卓の談話のように気軽なエッセイを書いた。『世界文学「食」紀行』がそれで、1編見開き2ページにおさまる短文ばかりだから、一巻を一気に通読するより、感興にまかせて任意のページをひらくほうが気楽だし、消化によい。じじつ、こうした気まぐれな読み方にたえるほど、どのページをめくっても美味な読書ができる。

 たとえば、「北米料理批判」。
 オクタビオ・パス『食卓と寝台』によれば、アメリカ大陸といってもアングロ・サクソン系の北米とラテン系の中南米では分明のありようがまったく違う。その相違は食生活にみることができる。北米合衆国の食生活は貧しい。合衆国の伝統的な食べ物はなんでも栄養本位で、体力保持のため滋養さえとれれば、手間をかけた料理なぞする必要がない、というのが基本である。ひるがえって、パスの国では食事は食卓をともにする人との和合であり、料理の材料の和合である。それに対して、ヤンキーの食生活にはピューリタニズムが滲みこみ、排除を事とし、香辛料を避けてクリームとバターの「泥沼料理」に満足し、砂糖をむやみに使う。こうしたヤンキーの悪癖は、彼らが好むアイスクリームとミルクセーキをみれば一目瞭然だ。飲み物だって、ヤンキーが常用するウィスキーとジンは孤独な人、内向心の強い人間のためのものだ。・・・・ここでパスの言葉を孫引きすると、「葡萄酒やリキュールは食事の楽しみを補うもので、その役目は、食卓のまわりにくりひろげられる、さまざまな関わり合い、結びつきを、より一層、親密、かつ緊密たらしめるよう刺激することである」
 バスの指摘は、「本質的には正しく、同時に、正確な文明批評にもなっている」と、篠田は結んでいる。
 
 あるいは、「名探偵の手料理」。
 フランス料理は本格小説、イギリス料理は民話、という評言があるが、民話には民話の味わいがある。手のこんだ客料理はフランス料理の独擅場であるとしても、ごく手近な御惣菜のイギリス料理も捨てがたい。
 というような意味の導入部があって、話はコナン・ドイル『四人の署名』にうつる。ホームズは、謎解きを開陳するまえに、ワトソン博士とジョーンズ刑事をホームズ自らによる手づくりの料理に招待した。ただ、どんな料理だったか、あまり詳しく書かれていない。
 そこで、「こういう素っ気ない書き方では、どんなご馳走かよくわからないが、あるホームズ研究家の解読法に従うと、このときのメニューはこうなるそうである。すなわち、前菜がかきのカクテル、主菜が、犢(こうし)、豚などのロースト・ミートを付け合わせにした、やはりローストにしたらいちょうの冷肉、それに、新鮮な葡萄と冷たくした西洋わさびのソースを用意し、これらをバターたっぷり塗ったトーストにのせて食べる。デザートもちゃんと書いてあって、ポート・ワイン、これに合うのはイギリス特産のスティルトン・チーズであることはいうまでもない」

 本書を読んでも、文学的感受性は磨かれないと思う。
 しかし、食卓の話題にすれば、話がはずみ、一同の食欲が増進するにちがいない。心理学にペッキング効果というものがあって、満腹のニワトリの傍らに飢えたニワトリをほおりこみ、飢えたニワトリがせっせと餌をつつくと、満腹したニワトリもまた餌をつつきはじめるのだ。食欲を増進する話題もペッキング効果をひきだす。
 ただし、その結果、誰かが「何々史上最高の巨漢」になっても評者の関知するところではない。

□篠田一士『世界文学「食」紀行』(講談社学芸文庫、2009)
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 【参考】
【食】スペインのご馳走 ~ドン・キホーテ~

 



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