語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【大岡昇平】の文章の特徴 ~現代名文案内~

2016年08月31日 | ●大岡昇平
 

 (1)小説やエッセイ40作品を選び、さわりを抜き出して名文たるゆえんを解説する。併せて作者の略歴、代表作、文章の特徴も簡潔に紹介する。
 「ものの存在を問う」「人生の陰翳を映す」など6部に分かたれる。たとえば大岡昇平『野火』は、福永武彦『風花』などとならんで「心のひだを照らす」に収録される。『野火』から引用されているのは、次の箇所である。

 <月が村に照っていた。犬の声が起り、寄り合い、重なり合って、私が歩むにつれ、家々の不明の裏手から裏手を伝って、移動した。声だけ村を端れても、林の中まで、追って来た。
 靄が野を蔽い、幕のように光っていた。動くものはなかった。遠く、固い月空の下に、私の帰って行くべき丘の群が、薄化粧した女のように、白く霞んで、静まり返っていた。
 悲しみが私の心を領していた。私が殺した女の屍体の形、見開かれた眼、尖った鼻、快楽に失心したように床に投げ出された腕、などの姿態の詳細が私の頭を離れなかった。
 後悔はなかった。戦場では殺人は日常茶飯事にすぎない。私が殺人者となったのは偶然である。私が潜んでいた家へ、彼女が男と共に入って来た、という偶然のため、彼女は死んだのである。
 何故私は射ったか。女が叫んだからである。しかしこれも私に引金を引かす動機ではあっても、その原因ではなかった。弾丸が彼女の胸の致命的な部分に当ったのも、偶然であった。私は殆んどねらわなかった。これは事故であった。しかし事故なら何故私はこんなに悲しいのか>

 (2)著者が大岡の文章の特徴とするものを要約すれば次の3点となる。
 ①論理的な表現である。論理的な接続詞(「しかし」)の多用。抽象名詞を主語とする翻訳的文型(「悲しみが私の心を領していた」)。「私に引金を引かす動機ではあっても、その原因ではなかった」と動機と原因を峻別し、一方を否定して他方を肯定する分析的判断である。
 ②感覚的・情緒的表現である。犬自体ではなくて「犬の声」と表現し、「寄り合い、重なり合って」と擬人的に表現する。「靄が野を蔽い、幕のように光っていた」の比喩、「固い月空」の感覚的で的確な形容。
 ③「主観的な論理文体」である。引用文の後半は一文が7~13字の短文を連ねている。余計な修飾語が削られ、情緒が排除されている。さらに「戦場では殺人は日常茶飯事にすぎない」と一般化し、さらに「私が殺人者となったのは偶然である」と自らを論理的に納得させようとする。しかし、「『悲しい』という現実の感情の前では、そういうことばはすべてむなしく響く」。
 「主観的な論理文体」は思わぬ効果をあげる。「作者が意図的に排除したはずの叙情が流れる」のだ。

 あえて付言すれば、大岡における「論理的な文体」は感情を抑圧するためでなくて、むしろ感情をその生動するがままに純粋に抽出するための装置だと思う。だからこそ、『レイテ戦記』のような記録文学においてさえ、そこから響いてくるのは濃厚な感情、死せる兵士たちへの鎮魂の思いなのだ。

□中村明『現代名文案内 ~文章ギャラリー40作品~』(ちくま学芸文庫、2000)
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